第18話

 喫茶店での約束は、明日香の訃報による精神的ショックとソースの香りがミキサーでぐるんぐるんかき混ぜられて誕生した、本来生まれる予定ではなかったやむを得ない偶然ということで勘弁してほしかった気もするが、私の元来のオタク魂が羞恥に余裕で勝利し、結果偶然は必然に姿を変えてすくすく育った。女に二言はないともいうし。

 明日香はご多分に漏れず、臨死体験者の一人に名を連ねることになった。それはいいのだが一度死んだ体がすぐにでも元通りキビキビ動くわけではなく、数週間の入院を余儀なくされた。私はこの時点でクレセントランド行き断念も検討したのだが、見舞いに訪れたところ、コラボに行けないことをとても残念がり、この情熱をマチガル妄想にぶつけまくっているらしい。病院なのでネットはダメ。個室を用意してもらったとはいえいつ何時看護師が様子を見に来るか不明な状況で、あり余る激情を創作にぶつけるわけにもいかず、妄想に逃げるしか道がなくなっている。こんな涙なくては見られない状況を打破するには、私が現地でコラボグッズをゲットし、快気祝いのプレゼントにするしかないのである。しかも二枚ゲットした入場券を無駄にしないように、誰か一人を誘って。

 このように大きく育った必然を引き連れて、岡崎結衣と幸田伊織は十月の半ば、天高く馬肥ゆる日和、クレセントランドのフードコートにいた。幸田は『マーチアがベルベットに振る舞った地上のB級グルメ・焼きそば定食』をさも美味そうにすすっている。コラボフードの特典のコースターは、マーチア&ベルベットだった。ちなみに私の『海の国エキスふんだんソーダ』はマーチア&ガルディアだった。

「これも偶然なのかしらね」

「えっ?」

「こっちの話よ」

「そうか」

 幸田は焼きそばを気持ちよいほど豪快にすすり終え、箸を置いた。五芒星のマイ箸を。

「あんた、そのコースターちょうだいね」

「こんなもんでよかったらいくらでもやるさ」

「こんなもんとは何よ、こんなもんとは」

 フードコートには『ヴィアベル』ファンの老若男女が押し寄せているのだから、後ろ指をさされるような発言は慎んでもらいたいものだ。

「それよりさ」

「それよりって」

「桜井なんだがな。十文字でいろいろ検査した結果、やっぱりあいつが騒動の原因だと判明した」

 私は差し出されたマチベルコースターをしまうのを後回しにして、ソーダもテーブルに置いた。

 薄々勘づいていたことではあるが、あらためて口にされるとしんどい思いが腹の中に深くのしかかってくる。

 幸田は淡々と続けた。

「十文字は今回の人形騒動のきっかけを、桜井が問題の加賀美市に戻ってきたからだと仮定した。なんせ妹を亡くしたんだからな。桜井の強い思いと加賀美の地と殺された子どもたちの恨みがリンクして、さらに人形祭りの翌週という時期も相まって今回の事件に発展したんだと考えた」

「強い思い? 憎しみでしょう?」

「憎しみという表現はちょっと間違っているな。桜井はどうやら、蛭峡事件の記憶そのものを脳から消し去っていることがわかったからな」

「……どういうこと? 他のみんなと同じように?」

 生徒たちの多くは臨死体験者ではないが、気絶から覚めたときにはT県で過ごした記憶が曖昧になっており、講堂での記憶が薄いものが多く見受けられた。これはただただ異常事態を前にしたショックによる影響が大きく、十文字は彼らのために学校に掛け合ってリベンジ林間学校を計画しているそうである。

 一番童顔の野中早苗が一番タフで、彼女は直前まで私たちと連絡を取り合っていたことが幸いしたのか、それとも五芒星の加護を受けている私と仲が良かったからなのか、すべての記憶が正常である。ただモーツァルトは二度と弾きたくないと漏らしていたが、ソラなんちゃらの『超絶技巧練習曲』を完璧に弾いてワクチューブに上げると息巻いていたから心配する必要はない。

 ちなみに、桜井くんのお見舞いに家族以上に一番訪れているのも彼女であるらしい。やれやれ。

「ショックという意味では同様だが、大きさの桁が違う。皆林間学校に行ったという記憶はそのままで、断片的に記憶を消している。特に顕著なのが講堂での出来事で、あとは正常というケース。あいつは全部消したんだ。妹がいなくなったのは病気や事故によるもの。引っ越したのはなぜだか不明だが通っていた小学校が廃校になったため。そう思わなきゃ生きていけなかったんだろう」

 私はソーダの空色に桜井透の笑顔を浮かべる。そのつもりはないのに、テーブルの小さな震動が伝わって液面が揺れる。それと同時に笑顔は悲しみの色を帯びていた。

「そこまで厳重にしまい込まれたトラウマの鍵が開くには、相当大きなきっかけが必要だ。十文字の調査と、桜井の林間学校での断片的な記憶、そして野中のしっかりした記憶をつなぎ合わせた結果、きっかけらしい出来事がいくつか見つかったんだ」

 昼時のフードコートは『ヴィアベル』ファンや普通のカップル、家族連れでごった返していて、そこかしこでそれぞれのグループが己の世界に浸っている。コースターの交換会を開いたり、次の予定を話し合ったり、愛を語らったり。誰もが今日の、クレセントランドでの週末を心待ちにしていたに違いない。そんな中で岡崎結衣は幸田伊織の、世にも恐ろしい真相に耳をかたむけていた。

「まず、桜井透自身の行動。俺はよく知らないが、あいつにはエアピアノの癖があるんだろ」

「ええ。ワクチューブの動画を見ながら指を動かすのをよく見るわ」

「それが問題だったんだ」

 幸田は指を一本立てた。

「初日の夜。あいつは同室のメンバーが寝静まる中、ベッドの上でいつものようにエアピアノにふけっていた。曲はモーツァルトの『くるみ割り人形』」

 そう。早苗いわく、彼がエアで弾くのはたいがい『くるみ割り人形』か『子犬のワルツ』なのだそう。特に『くるみ割り人形』は彼がワクチューブでバズった一発目の、記念すべき曲である。

「桜井くん、そんなにあの曲が好きなのね」

「ああ。なんたって妹の朱里が存命していた頃、一緒に練習していたのがあの曲で、あの楽譜だったんだからな」

 桜井くんの動画の説明欄には楽譜へのリンクが貼ってあった。私は音楽は門外漢だし、楽譜だっておたまじゃくしとカタツムリが五本の線の上で体操しているふうにしか見えないのだけれど、たったひと目見て、それが後方抱え込み宙返りぐらいむつかしい体操であると理解した。

「妹はピアノ教室に通っていたわけではないが、桜井から教わって会得していったらしい。この兄にしてこの妹あり、才能があったんだな。あいつはあの楽しい曲をレクイエムとして贈るべく、動画を上げることを許可したそうだ」

 きっと妹はピアノも好きだったけれど、兄と演奏するのが何より楽しかったのだろう、と私は思う。目を閉じるとまぶたの裏に、家庭用のピアノの前で無邪気にはしゃぐ二人の兄妹の笑顔が浮かぶ。二度と戻らない幸せなひと時。

「この思い出の『くるみ割り人形』を久実乃の山でエアであれ弾いたこと。まずこれがひとつ大きかった。さらにもうひとつ不運なことに、これは俺の手落ちという他ないんだが」

 幸田は世を儚むようにため息をついた。

「地図で見れば一目瞭然だ。あの小学校、妹が命を落とした教室から見てあいつが泊まったふれあい館の部屋はちょうど北東――鬼門にあたるんだよ」

 鬼門! 私は驚きに満ちた顔を上げた。鬼の通り道といわれる忌むべき方角で、北東に限界を設置したり水回りを置かないほうがいいらしい。科学文明が発達した今の時代でも家を建てるとき、鬼門を気にする人は多いという。

「俺たち祓い屋は何よりも方角を重視するからな、鬼門封じは欠かさない」

「鬼門封じ?」

「自分が一晩でもいる場所の鬼門と裏鬼門の……南西に厄除けを置き、魔が入り込まないようにするんだよ。今回俺は使命を課された身、いつもより厳重に封じたはずだった。ただあいつの部屋はちょうど封印をすり抜けるように配置されていた。まったく、俺の鬼門封じは一般人がやるそれと違ってそう甘いわけではないんだがな、それほどあいつの思いが強かったのか、人形たちの怨念がすさまじかったのか。どちらにせよ、俺があいつが原因であると見抜けなかったのが悪いんだがな。これは十文字当主失格だ」

 幸田は再び自責の念に唇を噛みしめる。

「仕方ないわよ。桜井くんだって覚えてなかったんでしょう」

「だからよりたちが悪い……ともかく、これもひとつのきっかけといっていいだろう。ともかく鬼門のおかげで人形の怨念とあいつの思いとがリンクしやすい状況にあったといっていい。まだあるんだが……聞くか?」

「何よ」

 私は眉間にしわを作った。

「ここまで来てお預けって?」

「いや、ここから先はおまえも聞きたくない話になるかもしれないからな」

「今さらじゃない。いつもはあれだけズケズケものを言うくせに。全部聞かせてよ」

 私は小さく声を荒らげた。勇気を固めるようにソーダをずるると飲み干した。

 一度好きになった男のことなのだ。

「なら、言うが」

 幸田は数秒黙り込んだのち、やおら口を開いた。

「これは昨日今日の話じゃない。三好明日香という敵と高校で再会したときから、あいつの箱は開きかけていたんだよ」

 ああ。

 たしかにこれは、聞きたくない話ではあった。が、考えの及ばないものではないことがまた悲しかった。

 ずっと気になっていたのだ。人形たちは最初に私たちの前に姿を見せたとき、明日香をいの一番に狙い、その後は誰も突き飛ばしていないのだ。ただ行進を進める最中に巻き込まれて怪我を負ったものがいただけで、目についたもの誰彼構わず見境なく蹴散らす真似はしていなかった。デモンストレーションのようなものだと思っていたけれど、喉に小骨が引っかかったようにピンと来ない部分はあった。人形と桜井透の思いのつながりが引き起こした事件であり、明日香が二つの事象と明確に関わる人間の一人ならば、ただの脅しでは済まない、深い理由のある行動だと考えて当然だ。だが、

「おかしいわ」

 私は突っかかるような口調になった。

「明日香だって桜井くんと同じ、弟を殺された被害者なのよ。今回犠牲になったのは無事に生き延びて引っ越した人たちでしょう? とんだ筋違いじゃない」

「いや、そうじゃない」

 ちょうどここでウェイトレスがウォーターピッチャーを手に私たちのテーブルのそばを通りがかった。幸田はもったいつけるつもりか、純粋に喉の渇きを抑えたかったからなのか、声をかけて水をついでもらった。ごくごくいっぺんに飲みきって、一息で言った。

「三好の弟はあの事件で死んだわけじゃない。無事生き残って家族全員引っ越した。ただ、中学二年生のときに自殺したらしいがな」

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