第16話
それからが大変だったのは言うまでもない。
噴水みたいにわんわん泣いている場面を明日香に目撃され、白い目を向けられて、恥ずかしいやら嬉しいやら恐ろしいやら、私たちは腰が抜けて座り込んでしまった。他の生徒たちも続々と起き上がる。皆、悪魔の音楽を聴かされて気絶していたとは思えない、昼下がりの猫のような穏やかな目覚めだった。
桜井くんは、警察と嘘を名乗る十文字の付き添いに連れていかれた。皆は揃って目をパチクリさせていたが、決して悪いようにはしないという彼らの言葉を信じるしかなかった(ただ、着物姿の警察は怪しいと思う)。
十文字宗康は、幸田に言った。
「お主が岡崎結衣の力を借りたこと。それは重々承知である。ただ、岡崎結衣と出会い、彼女の力を見切った点、称賛に値する。やはり結婚は予定どおり進めよう」
十文字唯は、父に言った。
「父上。わたくしはお断りいたしますよ」
「唯、なぜだ。おまえは伊織に好意を抱いていたのではなかったのか」
「あら嫌だ。ですけれど亀の甲より年の功、父上のほうが長く生きておられるのですからわかっていらっしゃるでしょう? 当然ではありませんか。わたくしが伊織ちゃんのことを嫌うなんてことは誓ってありませんけれど、伊織ちゃんにふさわしい御方がわたくしではないことは、伊織ちゃん自身が一番わかっているのではありませんか? ねえ、岡崎さん」
「あ、あはは……」
大ガラスの幸左衛門の背中で十文字親子を京都まで送り届ける道中の会話である。重役の車係を仰せつかった幸左衛門はガチガチで、ふさふさの羽が雨に打たれたようにしんなりしていた。
「お言葉ですが」
幸田は憮然とした様子で腕組みをしている。
「説明が足らなかったことを謝っていただきたいですね」
「あら、伊織ちゃんったら。また死んでみせようかしら」
「やめてください。心臓に悪い」
私は断固として拒否した。
私と幸田は久実乃を発ったときに二人から説明されたのだが、トンデモ理論すぎて夢想家の戯言かと思った。今でも頭の半分では嘘じゃないかと疑っているのだが、目に見える事実はそうなので信じるしかない。今日は本当に異常な出来事しか起きない一日だけれど、最後の最後で大ボスが待っていたようだ。
彼らが飲んだ、不気味な瓶に入った不気味なドロドロの正体は、『蠱毒』と呼ばれしものらしい。
蠱という、お皿に三匹の虫を盛りつけるおぞましい字から察せられるとおり、虫をこれでもかと使った術である。三匹どころではない。蜘蛛やムカデ、ゲジゲジなど、百もの虫をひとつの壺に集め、殺し合いをおこなわせ、生き残ったたった一匹を神として祀る。そして血みどろの壺から取れる毒は人の命を簡単に奪ってしまう、強力な呪いである。バトロワも真っ青なデスゲーム。何より恐ろしいのはこの毒をいっさいためらうことなくソフトクリームみたいにぺろっとする、この十文字父娘なのだが。
十文字の血を引くものは、蠱毒の呪いから復活できる特別な力を受け継ぎ、台頭してきた家系である。そして特筆しなければならないのは、十文字が五百年の時を超えて長く繁栄を続けていられるのは、この力を殺人という本来の使い方以上に引き出し、コントロールしていたからに他ならない。
「人を呪えど穴はなし」
人を呪わば穴二つ、他人を恨んでやっつけてもいつか自分に返ってくる、という陰陽師の教えの逆をいった。自分を呪殺することで望みを叶える。気になるあの子を振り返らせることだって、なくした時計を見つけることだって、死んだ人を生き返らせることだって――
「だからといえど、わたくしたちも人の子ですから。何度も何度も死ぬのは本意ではありません。特別な事象のときに限ります。ええ、今回のように、こちら側の事情のために皆様を巻き込んでしまったときなど。ただ人は、自分が一度死んだことをなかなか受け入れられるものではなく、記憶を勝手に変換します。一度死んだ、ではなく死にかけた、というふうに。臨死体験という言葉を聞いたことがあるでしょう? この現象の多くは十文字の蠱毒が関わっているとか、いないとか」
ころころと笑う十文字唯を一度でも可憐とみなした私は、とてつもなく見る目がない。この親にしてこの子あり、彼女も十分苛烈な精神の持ち主だ。
「僕は知りませんでした」
幸田は苦虫を噛み潰している。
「『占事略决』にも書いていなかった」
「当たり前よ。十文字独自の力なんだから。あなたもできるわよ?」
「はいはい」
幸田はなおざりに答えた。
私はちょっと思い出す。占いで出現時間を提示しなかったのは、幸田の試練のために伏せただけではないか。じゃなかったら嘘だ。時間ごとき、笑顔で死を操る人間が予言できないわけがない。
大ガラスの黒い体はK市のビル街を颯爽と駆け抜ける。空の上で和気あいあい。悪くない時間ではあるが、京都に到着する前に私はどうしても、彼らに聞かなければならないことがあったのである。しかし幸田も久々の友人とのやり取りに顔をほころばせているし、水を差すのも悪い。とかしこまっていると、十文字当主宗康が私の気持ちを推し量るようにぐっと眉に力を入れた。
「岡崎結衣」
「はいっ」
私は背筋を伸ばした。二人も会話をやめる。
「お主はなぜ、幸田伊織に選ばれたのか、気にかけているのだろう」
「お、おっしゃるとおりです」
図星だった。私は鷹の前の雉で体を縮こませていると、鷹はふいに目を細めた。
「よろしい。このままでは寝覚めが悪かろう。ではまず、髪飾りを出しなさい」
私は言われたとおりにポケットから取り出し、渡した。私の手いっぱいのそれも宗康氏の無骨な手には小石のように小さく見えた。氏はそれに目を凝らし、瞬きしていたが、やがて私の手に戻した。
「間違いないな。これは、私自身が過去、お主に渡したものである」
えっ?
よくあるだろう。ラスボスだと思って倒したドラゴンだったが、それは真のボスにたどり着くためのまやかしに過ぎない。
驚きは更新されるためにあるのだ。
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