第9話
道を横切り、草木をかき分け。猫一匹分の細道を、子どもたちと猫は難なく通り、さながら軟体動物の幸田はあっさり通り、私はふうふう顔に血を昇らせながら通り。
たどり着いた先は学校だった。正確には学校へ上る坂のふもとだった。私たちは子どもたちに連れられて、黙々と坂を上った。
コンクリートの摩天楼、と呼ぶにはいささか低すぎるけれど。高台に建っているからそう錯覚するだけかもしれないが。ただ、その建物から与えられる名状しがたい威圧感に、私は一瞬立ち尽くしてしまった。先をずんずん行く子どもたちと幸田。私が動き出すのを待つように、猫のさぶが足元で鳴いた。
小さなしゃべる生き物に背中を押されて、私は駆けた。建物がこぼす汚水のような拒否反応に逆らうのは気が引けたけど。私が感じているのだから、幸田だって当たり前に気づいているはずだ。それでもやつは立ち止まらない。
あとから知ったのだが、この学校は大きく第一校舎と第二校舎に分かれていて、二つは中庭をはさんで向かい合わせに置かれている。外の体育館へ行くには第一校舎の一階から伸びる渡り廊下を通っていく。建造物を分解していくと、第一校舎、第二校舎、体育館、グラウンド、そして守衛室となる。都会のマンモス学校じゃあるまいに、田舎の公立小学校ならば本来ならばこれだけで十分すぎたはずだ。高台だからかグラウンドも私の母校の二倍は広いだろう。
子どもたちが思い思いに駆け回るグラウンドを侵食するように、六つ目の建物が見つかったときには度肝を抜かれた。およそ小学校にはふさわしくない、しかしこの学校には必要不可欠なものであるかもしれない。
ぱっと見、公民館である。しかも蛭峡に到着したときに見たような町の大きなそれではなく、バスケットコートほどの、公民館としては猫の額ほどの広さである。ただたったそれだけの小建造物が、心臓を蹴っ飛ばすほどの奇妙な迫力をもって私たちを出迎えた。
その建物の名は、卒塔婆のような形の札に達筆な文字で書かれ、入り口のところに置いてあった。『蛭峡事件資料館』――
「べっち言ってた。いれーひ、ある」
猫が私にしか聞こえない声で言った。べっちというのは、蛭峡に拠点を置く蝿の名前だそうだが、そんなことはどうでもよかった。
念は土地に宿るのだ。トンネル。道。建物。何か起こった場所には念が宿る。私も生まれて十余年、それなりにホラー小説も読んできたし、夏場の怖い番組も見てきたから、なんとなくは知っていた。でも、この地にとどまるそれは格別だと思う。
「…………」
少年少女が同時に腕を持ち上げ、ある場所を指さす。そこを確認した私は、なんとも言えない恐怖の符合に押し潰されそうだった。おそらく幸田やさぶだって、まともな感情で見られる光景ではなかっただろう。
急ごしらえのようなテーブルの上に並ぶフェルト人形。犬や猫、キリンやライオン、象にうさぎ、怪獣。
新しくできたような糸のほつれが、私の心を捻り潰さんほどつかんだ。
「これって……」
私の押しひしゃげたような声は途切れた。
「二人とも!」
何事もないように案内人として歩いていた子どもたちが二人同時にしゃがみ込み、胸を抑え、苦しみはじめたのである。私は呆然と見ている幸田を突き飛ばして、駆け寄り、二人の頭をそれぞれの腕に抱えた。
「大丈夫!?」
揺すっても声をかけても無駄。そんなことはわかっている。
「幸田、あんた救急車を……」
「ダ――」
女の子が私のほうに小さな手のひらを伸ばした。まるで止めるかのように。
「諦めちゃダメよ、お姉ちゃんに任せなさい!」
「……に……と……――」
それが最後だった。
足をバタンバタンと動かし、全身を深く痙攣させる。口を大きく開き、そこから魂が抜け出るように、はっと声にならない声をあげると、二人は金輪際動かなくなった。
私の両腕にはくまのフェルト人形とうさぎのフェルト人形、そして星の髪飾りの、空気のような重みだけが残った。
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