第29話
――さて皆さん、唐突ですが東京以外にお住いの方々に質問です。
自分の話す言葉の『方言』についてどの程度、自覚していますか?
……まさか、生粋の『大阪コテコテ』方言持ちの私が、友人から「……お前、何標準語喋ってんねん」と言われる日が来ようとは、その時は思っても居ませんでした。
――時に平成十九年。息子が
「ほら〇〇、そこ座って」
「あい!」
……どうでしょう、この言葉を見て、何か違和感を持たれるでしょうか? もし、分かった方ならそれは間違いなく「関西人」で一定年齢以上の御方と推察できます。はい、子どもの返事は問題ないのです。「は」がきちんと言えてないのはまだ上手く舌が使えていないだけなのですから。そちらではなく、奥さんのほう。
彼女の生まれも育ちも私と同じ生粋の「大阪」なのです。ではどこに違和感があるのか。ずばりそれは『そこ座って』です。そう! この言葉こそ、私達昭和生まれの人間、ましてや関西人ではあり得ない言葉遣いだったのです。……何故なら私や、関西に住んでいる方々なら親が子に「座りなさい」と言う時、必ずこう言うからです。
――はい、そこ、オッチンして。
確かに彼女は私より十歳若く、言葉遣いも勿論『コッテコテ』とまでは言いません。特に私の場合、大阪市内では有っても、南東部に生活圏が有った為、所謂「河内弁」や「泉州弁」等と言った、特にキツイ言い方をする地域と接点を持っていたので、普通の会話でも「威圧感」は有ったと思います。……ですが、それでも。こと「オッチン」に関しては、関西人なら遺伝子レベルで刷り込まれているはずなのです。例えば街のファミレスで、公共バスに乗ったときや電車の乗車した際。公園の東屋でおやつや食事を与える時、親達は必ず、そう言って「きちんと座る」礼儀作法を教えて居たのです。
……にも関わらず。まるで、そう言うのが当たり前のように。彼女は子供に『座って』と言い放ったのです。
その言葉があまりに当たり前過ぎて、私は思わず「えっ、なんて?」と彼女に聞き返したのを覚えています。彼女は私の疑問に、当初すぐには気が付きませんでしたが、私の説明に「あぁ」と応えると、会社の同僚のママ友さん達の交流で、そんな話題が持ち上がったと教えてくれました。
――地方出身者の子供がいつ、地元に戻るのか。
そんな話題を聞いて、一瞬「?」となる私に彼女は真面目な顔をして教えてくれたのです。
「……〇〇はまだ、小さいから問題ないけど、他のところの子は幼稚園児や小学生の子も居てるやん。そんな子達は地元の子らと何時も話してると、こっちの方言で言葉を話し始めるねんて。ほら、隣の▢▢さん、私らと近い兵庫やろ? 両親は生粋の「神戸弁」やのに子供は、こっちの方言使ったりするって。でもそれも、今、ここにいるから通じるわけで、私ら地方研修組って何時、ここから離れるか、決まって無いやん。だから、いっそ」
――標準語で言葉を教えたら、意味の理解が早いかもって、なってん。
言われて妙な納得感と言うか、言葉に説得感があった。何故なら私もそうだが、地方から研修と言われて、この本社に勤務している人間は、最低でも二年は異動できないと聞いていた。そこから先は社長や会長の判断となり、実際、隣に暮らす兵庫の同僚は、この地に暮らして既に四年が経っていた。
私達大人にとって「四年」と簡単に言っているが、果たして小さな、そして多感な子供たちにとって、その年月はどれ程のものなのだろう。振り返ってみても今は遠くて難しいが、それでもその一瞬一瞬を思い出せるほど、時に眩しく、時に狂おしいほど鮮烈に思い出せる部分もある。ましてそこで、「方言」問題など、当時の子供時代に考えたこともなかったのだ。
それは私にとってまさに青天の霹靂とも言えるものだった。今までの私の「人生」に於いて、またはその「生き方」そのものについて、その中心はいつも「私自身」であった。確かに結婚をして伴侶が出来、その道程には相談する「相手」は出来ていたが。まさか、子供の「そんな事」まで考えないといけなくなっていたなんて。そこで私は初めて自分の至らなさに気が付き、同時に。
――親になるという事は「まず子」の事から考えなければいけない。
と思い知らされた。
――たしかに「たかが方言」と思われるかも知れない。だが、その子にとって「その当人」にとって、それが「たかが」と言えるかどうかなど、決めつけることは出来ないのです。「自分ならこう思う」や「私ならこう考える」は他人の思考であり、あくまで「後付」の理由でしか無い。だってそれは「その当人」が今現在、その意思にかかわらず直面していることなのですから。
あぁ、こうして親は親として、子に教えてもらい、子は、そんな親の背を見て、育っていくのかと痛感したのだ。
――とある日、使わなくなったガラケーを、彼のおもちゃ箱に放り込んでいたら、それを彼は自分のポケットから徐ろに取り出して、「パカリ」と開いて耳に当てたかと思うと。
「……おぅ、おぅ。……いや、ちゃうっちゅうねん。おぅ、……そや、たのむで!」
と空を見上げるよに話した後「パタン」と片手で畳んで「たのむで、ほんま」と呟いたのを奥さんと目撃した直後「なんでやねん!」と爆笑したのはいい思い出なのだ。
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