第24話



 ――白い着慣れぬタキシードに身を包み、参列者の居並ぶ席を横目に、真っ赤な絨毯の先にある大扉を見つめていると、ガチャと言う音がチャペルに響き渡り、初老の男性の腕に手を添えた、真っ白なウエディングドレスを纏った彼女が、ベールに顔を隠したまま、その姿を現せる。



 時は進み、平成十六年。私は人生で最初で最後になる、結婚式を挙げた――。




 出会いは先述の通り、メール交換からの始まりだ。幾度かのメール交換を交わし、季節が夏だったということも有って、花火がしたいと彼女が言った。その瞬間まで互いに顔は勿論、住んでいる場所も、年齢すら明かしていない。唯、メールのやりとりの中、彼女は何をどう受け取ったのかわ分からないが、私に好意を向けてくれたのだ。そうして住所を聞けば、なんと私の自宅から車で一時間圏内に暮らしていた。そこから話はどんどん弾み、気づけばメールは電話に変わり、写メールまで交換した。


「……もしかして、めっちゃ若くね?」

「そうですか? 今年二十二です」


 ――ふぇ? 出会った当時の私の年齢は三十一……。あれ? もしかして九歳下? いや、十歳か?!


 んんっ。私はそこで一旦考えた。今までお付き合いした女性たちを……。確かに年下の彼女は幾人もいた。がそれは同時に私自身の年齢もまだ、二十代だったからである。いや、そうじゃない。そこじゃなくて年の差だ。先述の通り私には妹がいる。故に何故だかそれ以上、下の年齢の女性と付き合った経験は無かった。なぜ、と聞かれてもそこは何故かとしか答えられないのだが、その日限りは別として、お付き合いした女性は皆そうだったのだ。


 そこまで考えた時、私の中で彼女は「お友達」枠に収まった。何故かそうするのが自然だと思ってしまったのだ。


 晩婚化が進んだ現代、年の差婚も見慣れて久しい。ただ、私の中の結婚観は、恐らく昭和のそれだったのだろう。年齢差にしても二から四歳程度までで、極端に離れると価値観が違うかもと勝手に考えていたのだ。


 何故そんな事を考えたのか。


 私は、十代後半から二十代の全てで、女性関係にはだらしが無かったと言うか、節操がなかった。貞操観念は勿論、毎日女性が変わっても気にもしない。そんな超が付くほど下品でバカな男だった。そんな男が女性を不幸にする事件を未遂とは言え起こさせ、結果罰だと言わんばかりに総スカンを食らった。先輩の会社へ入社してからは、色々な人生経験を積ませてもらい、常識とは何か、一般論とはこうだという物も教えてもらった。そうした結果、たった三年の期間では有ったけれど、純粋に一人で生活する期間を得たのだ。ただ、と言う、のせいで、私の下品病が再発してしまい、日夜メール交換をしては話を交わしていたのだ。ただ、そこに敢えて「出会い」を求めてガツガツする事はなくなって居たが。


 そんな小さな心境の変化も有ってか、三十歳の大台を迎えた時、眼の前には「結婚」「子供」と言う言葉がちらついた。別に焦りを感じたわけではない、ただ、そう言った「これから」を考える事が出来る様になって居たのだ。自分に子供が出来たなら、成人までは現役で居たいと感じたし、ならば逆算すると自ずと年齢は見えてくる。そんな思いが心の隅で燻って、流石に彼女との恋愛は無理だろう……と、思っていたのだが。


 ――彼女の妊娠が発覚した。


 あ~い、とぅぃまて~ん!


 彼女の実家に行くときは、流石の私も緊張の極地であった。確かに交際は認めてもらっていた。がしかし! 「子供はきちんとね」と彼女のご母堂にものすっごい笑顔で言われたのを覚えていたし、彼女の妹にはひと目見た瞬間に「オッサンやん!」と言われ、心が荒んだのも忘れていない。そんな中、何故か彼女の兄とお父上は好意的で「公認したんだから、二人のタイミングで」とここが心のオアシスやぁと抱きつきそうになった。


 そんな艱難辛苦かんなんしんくを乗り越えて、ドタバタと式の準備や、産婦人科の通いと忙しなくなり、私の母たちとの会食で、両家は初めて顔を合わせた。


 ……はっきり言っておく。その当時の記憶は曖昧すぎて殆ど覚えていない!


 後から聞けば、呑めぬ酒を無理やり呑んで、かなり醜態を晒していたと当時の妻には笑われた。会食自体はそのお陰で終始笑って終わったそうなのだが、後日、義母には何故かチクチク小言を言われてしまった。



 ――翌年、私の、いや私たち夫婦のもとに「息子」は三千八百グラムと言う、大ぶりサイズで産まれてくれた。


 ここで少し、私の愚痴というか、こぼれ話のボヤキと言うか。少しだけ聞いてほしい事がある。私は「立会出産」という形で、分娩室へ入ったのだが、勿論陣痛が来てすぐに部屋に入るわけではない。深い理由までは聴いていないが、多分初産の場合、子供が産道から頭を見せるまで、自然分娩は時間がかかるためだと思うのだ。現に出産後周りの経産婦さんたちと新生児達を見学していると「うわぁ、やっぱり変形してるぅ」という言葉を聞き、何だと訪ねてみた所、その場合によって様々ではあろうが、中でもポピュラーなのが、頭にの様な器具を取り付け、赤ちゃんを引っ張り出すという作業工程もあると聞いた。幸い、うちの息子はそんなご無体は受けずに、すんなり産まれてくれたのだが、やはり産みの苦しみは相当な痛みを伴っている様子で、部屋中に響く彼女の怒号と悲鳴。それを聴きながらも冷静な先生たちと看護師さんを見ていると、少し場違いな気分になって、落ち着かなくなってくる。そんな拷問を見ているような、何とも言えない気分で居ると、彼女がまた声を張り上げ痛がり始めた時、看護師さんが私に話しかけてきた。


「旦那さん! 奥様の手を握って励ましてあげて下さい! 今、もう少しで赤ちゃんの頭が見えそうなんです」

「ぅえ?! は、はい! が、頑張れ! もうすこ――」


 彼女の顔を見つめ、優しく語りかけながら、私は本心からそう言って彼女の手を掴もうと、差し出した瞬間。


 ――やかましわい!


 差し出した手はあっけなくたたき払われてしまう。


「……。」


 その瞬間、丁度私の反対側に立つ若い看護師と目が合う。


「……ブフォッ!」


 これでもかと首を捻ったせいだろう、思わず漏れ出たを、今も鮮明に覚えている。


 ――あんたが言うたんやで? 手ぇ握ったれて。はたかれましたが? 思いやりの心で語りかけたんですが、怒鳴り散らされましたが?


 まぁ、これが私のほんのり苦い、初めての立ち会い出産の経験談です。


 ただ、産まれた我が子に罪はなしと言います。私の心は既にポッキリ折れていましたが、それでも産まれた瞬間は、やはり嬉しくも有り、感慨深いものでした。……ただ、産まれた我が子を見た最初の印象は「顔デカ!」だった。いや、別に嫌というのではない。ただ率直にそう感じてしまったのだ。そんな考えは駄目だと、心の中で言い聞かせてると、横で取り上げた先生が一言。


「こりゃまた大きい顔の子やな。これはお母さん痛かったな」


 ……産まれた我が子に罪は……ないよね――。


 

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