第40話
「俺様にはこれしかないからな」「なにかが残っておるだけましであろう」
こちらに聞こえるかどうかという声で道鬼斎が応じた。
「ああ、なにかいったか?」
善鬼が聞き返すと、
「いや、兵法者として見上げた心がけだともうしたまでだ」
と道鬼斎はこたえる。
先ほどといっていることが違う気がするが、
まあ、どうでもいいか――。
深く考えるのが苦手、かつ嫌いな善鬼はあっけなく疑問を切り捨てた。
「どうだ、俺様と立ち合わねえか道鬼斎」
「遠慮する、兵の指図であればおぬしにも負けぬであろうが、剣では分が悪い」
善鬼の誘いに道鬼斎は肩をそびやかす。
「おいおい、武士が逃げるのか?」
「遁走もひとつの手よ。それに地獄で名を挙げても、恥部をさらしたとしても後世にはつたわるまい」
挑発にも道鬼斎は無表情を保った。
これこそがこいつの本領だろうな――善鬼は冷静に道鬼斎のことを推量する。
伝え聞く限り、道鬼斎という男は必ずしも恵まれた人生を送ってきたとは言いがたい。
武田信玄に見い出されるまではその容貌魁偉さが枷となりなかなか思うに任せなかった。そしてその最期も、上杉勢に対し劣勢に立たされた武田勢を支えるために討ち死にだ。忍耐強さ、根気強さという点においては、この男ほどの人間はそうそう見つかるものではないだろう。
それから、善鬼は朝餉を食べるために母家にもどった。
一室にあつまった旅の仲間たちの前に箱膳が運ばれてくる。ただ、善鬼にしてみれば飯が不味くなるから止めて欲しい“講義”がおこなわれた。
「いい、いざ人は交渉となると、みずからが知っている以上に相手がおのれのことや願いをつかんでいるような気にがするものなの。それは気のせいだということを肝に命じなさい」
「相手の足もとを見るのも手だ。それをくり返すことで、相手におのれが不利な立場にあるかのように思わせ、交渉を有利に進めることができることもある」
千代女と道鬼斎がメルショルに向かって食事をしながらも交渉の術を説いていた。
南蛮浄土の連中の言葉が理解できるメルショルがその知識を持っているほうが交渉の場において便利であり、また有利に働くだろうこということで今朝から始まったのだ。
ただ、とにかく“理屈”が嫌いな善鬼にしてみれば自分が聞かされているわけではなくとも耳にしているだけでうんざりしてくる。千代女にしろ、道鬼斎にしろ、こういった輩はいつもそんなことを考えながら動いているのかと思うと感心するよりあきれてしまう。
が、メルショルは生来のものなのか、まじめな面持ちでいちいち両者の言葉にうなずいていた。
修羅場でも逃げ出さなかった、
その根性は認めてやるが――。
どうにも反りが合わないと善鬼は思っている。ただ、こいつらと一緒にいれば、また修羅場が向こうからやって来る――それだけで充分だ。
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