第36話

「攻撃を仕掛けた天使の素性と目的が知りたいのか? けどもなあ、残念ながらおれは知らねえ。鬼のほうだって、十王やお歴々がなにを考えてどんな連中をどう動かしてるかなんて熟知してるわけじゃあねえだろう」

「答えを隠そうと時を稼いでいる」

 ファヌエルの返答を伝えても千代女は怒るでもなく冷静な声でそう評した。その言葉にメルショルは目を見開きかけ、ファヌエルを意識し内心あわてて自制する。

「今の言葉でそんなことが?」

「細作が積み重ねてきた知恵を舐めないでちょうだい」

 思わず小声になるメルショルに千代女は不敵な笑みを浮かべる。いわれずともメルショルは心のうちで透波の底知れなさに薄っすらと彼女に対し悪寒をおぼえていた。

「まあ、いいわ。軍監天使の腹の内はおいおい探るとして、とりあえずはこちらを優先するわ」

 千代女が側に転がされている、襲撃してきた天使のうちのひとりを目で示した。

 息はしているが、茨木童子の大太刀によるものか、四肢を見事に切断されている。

 そこからは悲惨な光景が繰り広げられることになった。通辞を務めたメルショルは何度も目を閉じてしまったほどだ。

 戦や諜報の玄人であれば拷問に耐えうるというのは俗説だ。実際はそんなことは不可能だ。また模範的には拷問によって知り得たことは信頼度は低くなるともいわれているが、後世において尋問が過酷であれば過酷であるほど良質の話が聞けたという証言もなされている。

 だが、結果として知り得たことは多くない。

 なぜなら、

「おれたちは堕天使だ。赦免の条件としておまえらを襲うように命じられただけだ。命じた奴は顔を隠していたし、名前も知らねえ」

 ということだった。恐怖に染まりきった相手の訴えだ、疑う余地はない。

 その言葉にメルショルはまたも衝撃をおぼえることになる。

 主や天使が和睦をご破算にするために刺客を放ったというのか――できれば、信じたくなかった。一部の天使による暴走であってほしかった。切支丹を名乗る気持ちは失ってもなお、宗門に対してまだ捨てきれずにいるものはあった。その一部が神と天使は高潔なものだという知識だ。

 しかし、

「ほんとうのことをいっているようね」

 千代女は顔を返り血で汚しながら独語に近い声で告げる。血を浴びてもみじんも表情も変えないところにこの女人の半生が如実にあらわれていた。

「じゃあ」「ええ、もう用済みね」

 茨木童子の確認に千代女がうなずき、前者が人の身にしてみれば大刀の部類に入る長大な脇差の一閃で天使の首を無造作に刎ねた。それをすこし離れた場所にたたずみ見守っていたファヌエルは、顔色ひとつかえず微動だにせず沈黙を保ったままだ。

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