第35話
縦横無尽に動く善鬼の刃を躱し、避け、受け流すのに忙しかったのだ。ほお、首筋、肩、腿とすでにいくつものかすり傷を負っていた。道鬼斎とふたりがかりで応じているものの、伸縮自在にして動きも不規則な剣は避けがたいものがある。威力こそファヌエルの術に及ばないが厄介さはそれを上回る。
刹那、メルショルは血の気が引く感覚に襲われた。移動の軸、と――敵の一閃の銀弧がかさなってしまったのだ。
だからといって即座に死ぬわけではない。
直後、予想通りにメルショルの動きは崩れた。兵法の理合に照らし合わせれば当然の結果だ。兵法と太刀打ちの違いは、相討ちを避け一方的に勝ちを収めるところにある。だから、その太刀筋は単に相手を傷つけるだけでなく、動作を崩すことに工夫がなされている。
後ろに重心が傾きその場に居着(いつ)いたメルショルは、視界にせまる善鬼の刀身がどんどん大きくなるのを凝視した。時の流れが緩慢になり、死の恐怖をより育てようとしているように感じられる。
剣尖が睫に触れた。死んだと思う。次の瞬間、善鬼の剣は動きを止めていた。
「も、元に戻ったぜ」
「どうやら、あちらが片をつけてくれたようだな」
善鬼、道鬼斎の言葉が、水が耳に入ってしまったときのように不明瞭にしかメルショルには聞こえない。こんな目に遭うことになるとは――。
通辞、和議のための仲介人という部分に意識をとられていたが、それを望まない者がいれば命を狙われるのは当然のことだ。ただ、前回の戦のときは偶発だった。ために、ついその可能性を失念していたのだ。改めて、この役目の恐ろしさをメルショルは思い知った形だった。
その後、「手を借りたいの。ちょっと来てちょうだい」とメルショルたちは千代女たちに呼ばれて林の中に入ることとなる。
「メルショル、こやつに聞いてくれ。我らに助太刀をした者どもは何者でいかなる眼目があるのか、とな」
千代女が怖い顔をして側に片頬をあげてたたずむファヌエルを見上げていた。
助太刀、と疑問の表情を浮かべるメルショルに、
「戦いの最中に、敵とは別の天使どもが現れて、なぜかわしらと戦っておった奴輩に攻撃を仕掛けたのさ」
と茨木童子が事情を説明する。何がどうなっていると、声と顔が同時に訴えていた。
「なんだ、そりゃあ」
善鬼がすなおに感想を口にした。メルショルも内心は同感だが、さすがに彼ほどに単純な言動をするのは、思慮の浅さをみずから露わにするようで気が引け眉をひそめるにとどめた。
「だから、問いつめろ、ともうしている」
千代女の語気の強い声に押されメルショルは彼女の言葉をそのままファヌエルにつたえた。
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