第33話

 刹那、文字通り、銀光が伸びた。善鬼が腰間からほとばしらせた剣尖が寸を瞬時に増して走ったのだ。追う側、大太刀をふるおうとしていた薄汚れた身なりの相手が股間から下腹にかけてを裂かれて体勢を崩すや倒れる。

 転瞬、善鬼の差料の刀身は元の長さへともどっていた。鬼道、海内無双(かいだいむそう)。

 なんでも、地獄の食べ物を口にする、黄泉戸喫(よもつへぐい)をくり返すうちに異能、鬼道を習得する者が人間のなかに稀に現れるということだ。地獄の食べ物の滋味が人の魂(アニマ)に変化をうながすということらしい。

 刹那、甲高い声がひびき渡る。千代女の鬼道、長鳴鳥(ながなきどり)。危機の存在、方向、距離などを鳴き声で知らせる異能だ。それ自体は攻撃の力を持たないが、修羅場において果たすその役割の大きさは決して侮れるものではない。考えてみれば当然だ、奇襲が寸前で察知され、その居場所がたやすく突き止められるとしたら、敵にしてみればたまったものではない。

 瞬間、知らせにしたがって善鬼が迅雷の速度で剣をふるった。雑木林に身を隠し弩(いしゅみ)を構えていた相手の放った矢が弾かれた上に、喉首が避けて血を吹くことになった。鉄炮と違って火縄の焼ける臭いがせず硝煙も生じない、確かにひそかに狙うには適した得物だった、が相手が悪かった。

 またたく間にふたりの仲間がやられた、そのことに動転したのか無数の気配が街道から林のなかに足並みを乱して移動していく。

「追うか」「放っておけ、当所の当(あ)て所(ど)を見失うな」

 戦意たっぷりにいう善鬼に、勘助が淡々と告げた。

「南蛮浄土が攻めてこなければ、こんなことにはならなかったのに」

 と、そこで岩布が悲しげに独語する。今、殺(や)られた者たちは地蜘蛛たちだった。常に先陣を切らされることに嫌気がさして軍立場(いくさたてば)から逃げ出した者たちだろう。独特な肌の黒さから遠目にも素姓は知れた。

 表情からどのようなことをいっているのかなんとなく察したのか、岩布を横目にファヌエルが表情を翳らせた。メルショルも岩布に同情の念をおぼえたが、

「ふん、こっちは戦様々だ。これがなけりゃ、責苦を受けているところだからな」

「まあ、それも否定はできないわね」

 善鬼と千代女は必ずしも心を同じくしていなかった。

 先日の、隠れて鉄炮を撃った者を追ったときの一体感はそこにはない。孤独に似た影が心のなかをよぎる。やはり、人やそれに類するものはそんなものなのか、そんな思いがメルショルの心にわく。

「人にとってはこれを好機に変えるという手もあるということよ」

 沈んだ表情をするメルショルに千代女がいたずらっぽい顔でいった。

「それなりの働きを見せれば、人に対する罰への是正を求める糸口にすることもできないことじゃない、そうでしょう。今までは十王が決めたことにしたがうしななかったけれど、それなりの働きを見せれば人の異見を受け入れる余地も生まれるというものよ」

「なる、ほど」

 そのせりふにメルショルは心が軽くなるのを感じる。とたん、千代女が双眸を鋭くして静かに視線を移動させた。

「なにか?」「いえ、気のせいのよう」

 怪訝に思うメルショルに千代女は明るい顔つきにもどって首を左右にふる。

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