第31話

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 深更のことだ。緩慢な動きでひとりの人間の小者が起き上がる。

 彼は所々に立つ歩哨の目を盗んで移動する者の存在に気づいていた。眠ったふりでそういった者が現れるのを待っていたのだ。

 それを追って小者も小便に行くようなそぶりで立ち上がり、死角に入るやくだんの者の追跡に入った。この小者の化けた諜者は一夜で三十里を駆け抜けることもできる俊足の持ち主だ。

 もっとも、将兵が入り乱れる陣でのこと目的とする相手の姿を見失ってしまう。

 おおまかな方向を頼りに諜者は探索をおこなった。このあたりの地面はあまり硬くない――痕跡は残りやすいはずだ、とおのれに言い聞かせた。焦りは禁物だ。

 やがて、それらしき足跡を見つける。歩幅が大きいのだ。これは早足になったり、駆け出したりしたときに起こる。南蛮浄土の衝突があったためそういった足跡自体は珍しくもないが向かっている方角がそちらとは違う。

 が、しばらくして痕跡が消えた。だが、諜者はあわてない。こういったときの手立てはいくつか存在しそれを彼は学んでいる。

 まず数歩前進して足跡の進行方向に別の足跡が発見できないか試した。

 しかし駄目だった。そこで最後の足跡の地点までもどり、そこを中心に輪を大きくしながら円周状に動いて痕跡を探す。あった――さほど時間をかけずにそれは見つかった。

 それから足跡を追ううちについに当人の姿を視界に収める。その時点で相手が、馬を使っていても関係なかった。陣ですれ違い様に最初の者から“何か”を渡された二人目の相手を追って夜道を走った。篝火のほうは見ないようにし、最低四半刻は闇に目をならした上に元々夜目が効くため支障はない。

 やがて、相手は樵小屋(そまごや)のごときものに姿を消した。それから姿を現した鬼は元来た道をもどりはじめた。

 小屋のほうに気配はない。だが、諜者は焦れることなくひたすら待った。忍耐力はこの類の人間にとっての必須の要素だ。もっとも、諜者の技術というのは“型”として教えられるものは五割を切る。つまりは職人芸だ。

 ましてや彼の俊足は。そんな諜者の視界に、先ほどの相手が来たのとは逆の道から誰かがやって来た。一匹の鬼だ、むろん先ほどの者とは違う。

 その鬼卒は小屋に姿を消すやしばらくして何事もなかったように出てきて、元来た道を戻り出した。馬の嘶きが聴こえ、蹄の音が鳴りひびく。やれやれまた難儀な――内心ぼやきながらも諜者は馬を駆る鬼を距離を置いて疾走でもって追った。静かに着実に秘事が進行する。

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