第30話

「いってしまえば?」

 と問い返しながらも、千代女はメルショルに危ういものを見ていた。

 この男はまっすぐ過ぎる――というのが理由だ。

 和睦とはそもそも妥協の産物だ。たとえ罪を犯したといえる者が先方にいてもときに赦さねばならない。しかし、それは平穏な解決であると同時に正義や道徳の崩壊につながる危険がある。

 そのことは人の歴史が証明している。後世、内戦と呼ばれる戦いがおこなわれるようになり、それが和解によって解決した折にはやはり、人々のあいだで社会秩序が失われた。それはそうだ、自分が道理を守っても余人が守らないで許されるとなるのなら、守っている者も莫迦らしくなる。それが人の死などの水準でおこなわれれば、良心など跡形もなく消し飛んでしまってもおかしくない。

 果たしてそんな現実に、

 このメルショルという男は耐えられるのか――。

 武田家において根津流透波衆、歩き巫女を細作として用いてきた頭であった千代女は危惧を抱いていた。

 ただ、同時にメルショルのような人間が千代女は嫌いではない。

 かつて亡くした夫にもそういう部分がたぶんにあったのだ。

「宗門の庇護を得るための方便だ」

 こちらの心中になど気づかず、メルショルはまるで自分の不道徳を指摘されたようにばつの悪い表情で応じた。

 可愛いわね――当人が聞けば起こりそうなことを千代女は胸のうちで口にする。

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