第26話
地獄の陣の一角で、メルショルの手当てをした鬼、新笠(にいかさ)の準備で夕餉がととのえられた。人外が食事を必要とするというのは考えてみると不思議なものだがなんでも、
「地獄で罰を受けた者から発散される負の気が中空にはなたれ、やがてそれが雨とともに降り注いで大地に染み込み、米や稗や粟の形で体に取り込まれる。それを地獄の住人は糧としている」
そうだ。そんな物を口にして大丈夫なのかという疑問がメルショルの脳裏をよぎったが、そもそも考えてみれは閻魔のもとにいるときに既に一日二食を食べていたのだから今さらだろう、と若干の不安を残しながらも考えることにした。
「そいじゃあ、おいらは他に用があるから」
と新笠が消えたところで、「実は」とメルショルは彼から聞いた話を小声で仲間に語って聞かせた。
だが、案に相違して仲間たちの反応にあまりおどろきはうかがえない。
「やはり、そうでしょうね。あの鉄砲を使ったこと自体、おそらくは南蛮浄土と地獄の争いを引き起こすことが目的だった」
最初に声を発したのは千代女だ。なぜ、という顔をするメルショルに、
「戦の趨勢をひっくり返すのが眼目であったなら、あれを陽動にして本陣を突く、あるいは待ち伏せるにしても、もっと兵を伏せておくであろう」
と道鬼斎がかすれた声で理由を明かした。
「どちらが仕組んだんだろうね」「むずかしいところね」
岩布の問いかけに千代女は眉間にしわを寄せる。
「先に和議を求めたのは十王だが」
「私心のために余のことなど気にかけない、なんて者は地獄でもありふれているようだしねえ」
千代女と道鬼斎はああだこうだ、とひたすら議論を尽くした。
「飯を食ってるときにごちゃごちゃうるせえぞ」
「あなたこそ意見のひとつも出さないでうるさいわよ」
「向後、判断を誤らぬために推量を出し尽くすというのは大切なのだ」
千代女、道鬼斎双方に非難のまなざしを向けられ、怒りを面に刷いた善鬼は面倒くさそうな顔になる。
「いっそ、争い合わせて白黒つけりゃあいいじゃねえか」
「あんたが莫迦だってわかったから、もう黙って」
好戦的な笑みを浮かべた善鬼だったが、千代女の冷たい言葉に凍りつくことになった。
談合に参加できていないメルショルもすこし居心地の悪さをおぼえる。
それにしても面妖だ――千代女と道鬼斎は武田家中だったためかかわりがあるが、縁もゆかりもない自分や善鬼、地獄の住人である岩布がひとつの目的のために働いている、という光景など夢想だにしなかった。
戦を仕掛けてきたのは南蛮浄土だという――だったら、それを止めることは決して間違っていないはずだ。実際に天使や鬼が死んでいる光景を目撃し、メルショルはそれをふり返ってそんな思いを抱きつつある。
「メルショル、メルショルではないか」
そこにふいに第三者の声がひびいた。その声音は歓喜に満ちたものだ。他方で余人に話の中身が聞こえては具合が悪いため千代女と道鬼斎は口を閉ざす。
メルショルはまさか、と思いながらも肩越しにふり向いた。
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