第25話
六
下手人は鬼だったということで、通辞のメルショルは仲間と別れ陣の一角の粗末な陣屋で手当てを受けていた。薬を縫ってさらしを巻いてくれたのは、以前見たような風貌の鬼だった。牙こそあるものの優しげな面立ちをした相手をメルショルはつい注意してしまう。
「なんか、おらの顔についてるかい」
「いや、そっくりな御仁を閻魔殿下のもとで見かけたものでな」
「ああ、それはきっとおらの兄貴だ」
とたん、鬼は顔をほころばせた。
「元気にやってたかい」「ああ、息災のようだった」
親密な空気を醸す鬼に戸惑いながらもメルショルは答える。悪魔(デモニオ)、その言葉に伴天連が込めていた侮蔑の言葉との乖離が感情の源だ。
「そりゃあよかった。兄貴はおらの村の誇りだからなあ、なにしろ閻魔様のもとで働いてんだから」
「そう、か」
言葉通りに誇らしげな顔をする鬼にメルショルは切支丹としての考えを保ち辛辣にとらえることができない。そもそも、既に大きな綻びの生じてしまった信条だ、守る価値があるかといえばそれもまた疑わしい。
「それにしても地獄に落ちたてで、鬼卒の一撃を防ごうとするなんて無茶をなさるなあ」
と、鬼は話題をここで変えた。
「手前も覚悟はしていたが、あそこまで鬼の一閃が強烈とは思っていなかった」
「命があっただけ運がよかったよ、あんたわあ」
地上で生きていた頃なら、メルショルも一端の兵法者としての矜持に傷を負っているところだが今は素直に鬼のいう通りだと思う。
「気をつけなされよお」
ふいに鬼が周囲を気にするそぶりを見せた。むろん、陣屋には鬼と自分しかいない。
「表向きは一致団結して南蛮浄土の将兵を迎えるっていっちゃあいるけどよお、所領が安堵されるなら別に向こうの下に入ってもいいって御仁らもいるって話だ」
「それは」鬼が明かした重大事にメルショルは言葉を失う。
数々の浄土、地獄を斬り従えてきたという神の軍勢が交渉相手なのだ、非常な困難は予想されていた。だが、そこに地獄の側が一枚岩でないという条件が加わるとさらにそのむずかしさは比べものにならないほどに跳ね上がる。
桶狭間で信長公が今川義元公を倒されたかのごとき難事をやり遂げるよりも困難ではないか――心情を反映して視界が翳った。
しかも、と旅立つ前の閻魔とのやり取りを思い出す。
『南蛮浄土との和議のために矛を収めておる期間は二月(ふたつき)、それを越えればもはや談合もかなわず南蛮浄土が勝つか我らが勝利を収めるか、そのどちらかとなるまで殺し合うこととなろう』
「下手を打つと、和議を望まない陣営から狙われるかもしれねえから、気をつけなされ」
鬼の言葉でメルショルは我に返った。ただ、その気分は忠告の内容もあってさらに重いものとなった。
ただ、人としてこれだけはいわねばと礼をのべる。「忠言、感謝する」
これに鬼は照れたような笑みで応じた。「困ったときはお互い様だよ」
困ったときはお互い様、かとメルショルは声に出さずにくり返す。
地獄で責め苦を受ける切支丹の魂(アニマ)を救いたいという思いが元々の動機だったが、
そもそも困っている者に手をさしのべるというのは切支丹の教えではなかったか――。
そんな考えが脳裏をよぎった。それだというのに実際には神(デウス)こそが争いを引き起こしている。
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