第17話

   四


 和睦の交渉がおこなわれる。その話を受けて、戦陣にも多少の弛緩した空気が流れていた。

 黄泉を治める八百万の神と地獄の十王の間で人の魂を巡る争いが起こり収束して爾来、大きな戦というものを知らずにきた地獄の住人たちは数か月に渡る戦いに速くも厭戦気分を蔓延させていた。

 前記の戦を倭(やまと)地獄の役と呼び、名のある神、鬼が大勢死んだ熾烈な戦いだったがそれも時が経れば過去のこととなってしまい記憶も教訓も風化するものだ。ただ、それでも警戒はつづけなければならない。陣城をはなれて小物見(しょうものみ)の衆が小高い丘、雑木林の近くへとさしかかっていた。

 本来はここは敵と味方、どちらかが占有すべき要地だがとりあえずの停戦を受けてどちらの兵の姿もなかった。

 白天狗の奴輩が――物見の鬼の一匹は胸のうちで南蛮浄土の連中につけた蔑称をとなえる。なにが、真の神は神(デウス)のみ、だ――勝手な理屈のもとに戦を仕掛けてきた連中のことが赤鬼は憎かった。

 聞くところによれば、みずからの宗門以外で崇められる神を倒しては地獄に押し込めているという。まったくもって傲慢な――戦が途切れたことでかえって余計なことを考え怒りをわかせる時間ができてしまっていた。

「おい、油断するな」

 小頭の叱責が飛んだ瞬間、林をまわって似たような所帯の影が姿を現す。

「白天狗どもだ」「悪魔(デモニオ)め」

 お互いに憎悪を剥き出しにして怒鳴り合った。もっとも、向こうにしてもこちらにしても相手が何を言っているかは分からなかった。人の思念の集積によった生まれた彼らは、その土地の人間の習いや思想に大きな影響を受ける。無論のこと、言語も。

 向こうから現れたのは南蛮浄土の妖、天使だ。その姿を目の当たりにしたとたん、鬼は頭蓋が怒りの熱で膨れ上がるのを感じる。視界がゆがんだ錯覚にさえ襲われる。

「待て」しかしそこに小頭の冷静な声が飛んだ。といっても、その声音もまた怒りを抑えたものではあったが。「奴輩の目的も物見のようだ、下手に手を出して向後の交渉の材料にされてもつまらぬ。みな、手出しは控えよ」

 小頭の指揮のもと、鬼たちは憮然としながらも構えた武器を保持する姿勢にもどった。太刀を抜いた者は鞘に戻し、薙刀や長巻を構えた者は柄を垂直に立てて肩に預ける形をとる。それを見て取ったためか、向こうもまた刀槍の構えを解いた。

 城をはなれれば鬼道を使える――それは双方ともに同じだ。一度、火蓋を切ってしまえばお互いが浅手では済まない。城であれば竜脈の力で守られておるゆえ、敵の鬼道など気にせずに済むが――地獄の城というのは、大地を流れる霊力の流れ流脈の上に建っている。ために地上でいえば寺社に当たる場所に存在することが多かった。筑前のあたりでは太宰府が第一等の城であり、他に香椎城、莒崎(はこさき)城、住吉城が有名だ。

 だがそこを一歩出れば結界からはずれることになり、鬼道を無防備に喰らうことにもなりかねない――小頭としては危険を犯さずに済むのならそうしたい。陣地ならばまだ、龍脈の流れを多少なりとも利用できる場所にもうけられるため、守備や、鬼道の術の攪乱の期待もできるがそうでない場所で敵を戦うのはぞっとしない。

 敵勢に筑前の戒壇(かいだん)城と聖種(しょうしゅ)城を奪われておるゆえ、いつまでも悠長なことはいっておられぬだろうが――距離にして七里と少し、鎮西の要である太宰府から見て目と鼻の先だ。ために、守りが薄くなるのを承知で敵方も将兵を城から出して出城を構築している。

「ふん、傲慢な了見を持つが痴(し)れ者ではないようだ」

 鬼の小頭が収まりのつかない分を皮肉に込めて口にする。手下の鬼も内心、それには同意していた。こちらの挙動から意図を読み取る知恵はあるのだ。だったらなぜ、勝利の算段も定かでない戦いに南蛮浄土は乗り出したのか。

 お互い、小頭の下知のもとすこしずつ後退をはじめた。刹那、雷鳴に酷似した音がひびく。

「鉄砲だ」と誰かが叫んだ。「誰が撃たれた」「畜生」

 殺気だった声が交錯するが、天使方のひとりが胸を爆ぜさせ血をしたたらせて倒れるのに気づいて鬼たちの表情は困惑に変わる。

 今しがた、手出しは無用、と小頭の指示を受けたばかりなのだ。それだというのに。

「おのれ、こんな話は聞いていないぞ」

 小頭が表情を歪めて叫んだ。

 が、それで“攻撃を受けた”側が収まるはずがない。殺られる前に殺る、そんな気魄でもって天使たちは武器をふたたび構え鬼たちに向かって突撃する。もはや、殺し合いは避けられなかった、不可避だ、回避不能だ。


 銃声は遠くにまで届く。地獄、南蛮浄土、双方の本陣にまで“発砲の事実”がほどなく知らされ、血気逸った者たちは手下を率いて現場へと駆けつけつつあった。坂道を風を切って転げ落ちるようにして物事が悪化の一途をたどる。

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