第11話
三
広大な閻魔殿の一角にある客間にとりあえずメルショルは案内された。ここに同じく交渉の仲間となる人物が現れるから待て、ということだった。
『神は我らを救わない』『日の本の地獄で切支丹となった者は苦しむ』『慈愛を説く南蛮浄土が竺漢韓倭地獄に争いを仕掛けた』――いくつもの真実が巨大な槌が振り下ろされるようにメルショルの信じていたものを打ち砕いた。
たしかに自分は愛する女人の忘れ形見を守れなかった。しかし、それでもそののちに切支丹を守る剣を取ってからの行動に迷いはなかったのだ。とにかく切支丹を信じ、伴天連から忌まれても血を流すことも厭わなかった、自分を十字軍の戦士のごとくとらえていた。
だが、今やどうだ? 日の本の地獄に囚われる虜囚に成り果てている――命をかけた戦いの末が、南蛮の地獄にすらいけず罪人として扱われる仕儀だ。
急に体のなかが空っぽになって軽くなってしまったような感覚に襲われている。
責め苦など受けずとも、メルショルはすでに苦悶の声をあげたくなっていた。
そんな彼の心を辛うじて支えているのは“門徒を救わねば”という思いだ。だが、それはむろんのこと前向きな精神ではない、虚ろな思いを払拭するには至らない。
と、部屋の外、襖障子の前に誰かがやって来る気配がした。
弱味を見せる訳にはいかない――メルショルは閻魔の嫌味っぽい顔を思い出しながらなんとか表情を引き締めた。
「失礼いたします」
外から聞こえたのは意外にも耳に心地のいい女性の声だ。
そして、声に見合った容貌の持ち主が障子を開けて部屋に入ってくる。どこか不思議な気配の漂う、黒目がちな背丈の低い巫女のなりをした娘だ。目を引くのは体に不似合な豊かな胸乳(むなぢ)だ。
「なにかおかしなところがございますか」
笑いながら娘はメルショルの対面に腰をおろした。
「いや、閻魔の選んだ交渉の担い手が女性とは夢にも思わなかったゆえ」
予想外の事態に、メルショルはつい本音で応じる。
「あら、女子(おなご)であっても油断をなんてしていいの」
その言葉に、やっとメルショルは冷静になって状況を分析した。確かにいう通りだ。女の透波など珍しくもない、また閻魔がわざわざ選んだということを考えれば凡庸な女人であるはずがない。
「冗談です。交渉の仲間にそれほど警戒なさらずとも」
こちらが胸中に警戒の念を抱いたとたん、それを即座に相手は看破した。表情は変えなかったというのに正確に見抜いた、その事実に今度こそほんとうにメルショルは相手の油断のならなさを悟る。
「妾(わらわ)の名は望月千代女(もちづきちよじょ)というの」
「手前は切支丹の門徒ゆえ、メルショルという名を名乗っている」
それでも黙って対面するのは時間の無駄だ、互いに名を名乗った。メルショルとくり返し千代女が面白がるような顔つきをする。
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