椿と因縁2
気持ちいいほどの晴天だった。
会場には選手たちがたくさんいる。
観覧の保護者はほとんどいなかった。
大会とはいえ、地方大会だからだ。
清臣はあまり詳しくないのだが、大一番がかかっている大会なのだそう。
椿に声がかかったのは、団体戦のメンバーの一人が怪我で出られなくなったから。
誰もその代わりをやりたがらなかったからだそう。
「大丈夫ですか、先輩で。」
兎はウォーミングアップ中の椿に言う。
椿は周りが驚くくらい落ち着き払っていた。
「大丈夫も何も、やるしかないでしょう。」
「足、引っ張らないでくださいね。」
兎は遠慮とか、後ろめたさとか、そういうものを一度も感じさせない。
「怖気づいて辞退した人たちよりは、マシだと思うけどね。」
兎はちらりと後ろの方に視線をやった。
出場はしないけれど、手伝い出来た部員たちがそこにいた。
「そうやってまた敵に回す気ですか。」
「もう今更でしょう。」
椿は兎から視線を逸らすと、小さくため息をついた。
「集中したいから、外してくれない?」
さらに大きなため息を返して、兎は去っていく。
椿の脳裏をぐるぐると回る記憶。
なにも、悪くなかった――今はそう思うしかない。
一方、会場の外れでは。
「……この大会って男女混合なんですか。」
清臣が憂に声を潜めて聞く。
「違うでしょ。」
清臣の視線の先にはまどかがいた。
椿と仲良さげにしゃべっている。
すらりとした体格といい、勝気な顔と言い、美少年と言われれば納得してしまいそうな人だ。
「……女だったのか。」
そのつぶやきに憂は勢いよく清臣のほうを振りかえる。
「お、お前まさか……!」
「なんですか。」
清臣はなにもわかっていないようだ。
「認めたくないが、お前かわいいやつだな。」
はあ!?と清臣は憂をにらむ。
「なんなんですか。」
口元をニヤつかせる憂に清臣は言い放つ。
「大体、来てよかったんですか。」
椿は絶対来ないで!って言っていたのに。
「そりゃあ、妹の晴れ姿だもの……それに、臣がどうしても行きたそうだったから。」
「だとしたら、余計すぎるお世話です。」
大会は夕暮れごろに終わった。
それなのにあっという間だった。
椿たちのチームは八位でギリギリの入賞だった。
「ありがとう。」
のどかの言葉に椿は首を横に振って笑う。
「よかったです。」
この次は県大会。
でも、とのどかは言う。
「次はちゃんと部員の誰かに出てもらうよ。」
椿はぎゅっと唇を噛んでからうつむいて、頷いた。
「今日は、本当にありがとう。」
のどかの優しい手が椿の肩をたたく。
「今度お礼するから。」
「椿ー!」
響いた声に椿は肩を跳ね上げて驚く。
「お兄!」
椿は顔を真っ赤にして怒ったように叫んだ。
「来ないでって言ったじゃん!」
「まあまあ。」
憂はなだめるように言うが、それが余計椿を怒らせている。
「いい活躍だった。さすが、俺の妹だ。」
「抜かれたけどね。」
それでも、たった一週間の練習で一人にしか抜かれなかったというのはむしろ好成績だろう。
聞けば、椿を抜いたのだってエース級の選手だっていうから、部員たちも椿に対して冷ややかな視線を送ったりしないのだろう。
「今日はお祝いだなー。」
「もう、いいから。そういうの。」
嫌がりながらも口元からあふれる笑み。
「いい御身分ですね。」
声に振り向く。
清臣には見覚えのある顔だった。
「なんだ、あのガキ。」
憂は聞こえないような声で清臣に聞く。
突っかかろうとした割には、清臣もよく知らない。
椿だけがじっと通り過ぎる彼女を見つめていた。
グッと拳を握った。
「あのさ!」
その手が強くほどかれるのを合図に声が出る。
嫌味な彼女――兎が振り返る。
「私が過去に何をしたのか、されたのか、ちゃんと考えて。そうじゃないと、知らないうちに人を傷つける。」
もっとも、椿を傷つけるためにしているのだろうけど。
「……私は、先輩から聞いたことを。」
いつもと違う椿に兎は戸惑ったように返した。
「あなたは、私が人を傷つけたから、傷つけられてもいいと思っているみたい。それが間違っているとは言わないけれど、それなら、自分だけは許されるなんて言わないでね。」
少し視線をさまよわせて兎は力なく地面をにらむ。
椿の後ろから叫び声が聞こえる。
見なくてもわかる。憂だ。
「仕事だと!?」
椿はグッと腕を伸ばす。
「あー、疲れた。」
ストレスたまるんだよね、と椿は笑う。
気づかれもあるんだろう。そんな笑顔だった。
ねえ、臣。とつぶらな瞳が話しかける。
「いっちょ、やりませんか?」
これだって、言われなくてもわかるようになってしまった。
「太りますよ。」
「そのときは、臣も一緒だよ。」
茜色は空の端に消えて、星がまたたいている。
風が汗を乾かして、頬を撫でる。
前髪を揺らして、椿は目を細める。
きゅっと結んだ口元から、何かがこぼれる。
消えた横顔が震えた。
大きな涙がボロボロと零れ落ちる。
「全然、楽しくなかった。」
椿の走りは、速かったし、フォームもきれいだったのに、表情だけは歪んでいた。
一週間、いや、もっと我慢していた。
肩が震えている。
その小さな体に手を伸ばして抱き締める。
「汗臭いよ、私。」
涙声が言う。
「大丈夫。いい匂い。」
「変態。」
清臣は椿を抱きしめる腕に力を入れる。
つぶれたカエルみたいな声がする。
「ごめんって。」
優しい、柔軟剤の香りがした。
甘ったるいケーキを食べながら椿はぶつぶつという。
「臣にあの写真見られちゃったし言うけどさ」
っていうか、言わせて。と椿は言った。
あの写真の通り、あの頃の椿はぽっちゃりしていて、今みたいにかわいくなかった。
「お嬢はずっとかわいいですよ。」
「知ったような口を。」
決してスポーツ向きではない体型に反して、陸上部ではエースを務めていた。
だが、そんな椿に対する嫉妬によって、ある同学年の女子を中心にいじめられていた。
「それでも、いじめって被害者ぶれるほどじゃない。陰口言われたり、陸上部に友達がいなかっただけ。」
椿はショートケーキの上のイチゴを食べてからいう。
「愚痴と悪口の違いって正直わからないし、私も愚痴よく言うから人のこと言えない。」
「お嬢は少し、優しすぎるんじゃないですか。」
「唯華にも言われた。噂でいろいろ聞いた唯華がその部員のところに言って怒鳴りつけたんだよね。」
それはそれで問題だった。
けど、マズいのはそのあとだった。
唯華とのいざこざがあったその日、椿はそのことを知らないまま、ロッカー室で首元をつかまれてしまう。
京極の血か、まったく動じない椿にその同級生は椿を殴りかけた。
抵抗しようと相手を突き飛ばした力が思った以上に強くて、骨折こそしなかったものの、赤黒い痣が残るほどの打ち身と軽い捻挫を負わせてしまった。
それが椿が部活をやめたきっかけ。
その相手は退学した。自主退学という形だったが、それも椿に対する嫌がらせが先輩や唯華の証言によって暴かれてしまったからだった。
後で聞いた話だったが、椿を執拗に嫌っていたその子は、両親が全国大会で入賞するほどのスポーツマンで、その期待を背負っていたこと。
大して強くない学校でエースにもなれないなんて、と大会の場で親から叱責されていたのを、のどかは聞いていた。
椿は彼女を責められなかった。
「兎はいい子なんだよ。真っすぐだし。私が退学させた子のこと慕ってて、今も信じてるだけ。」
「やっぱり、優しすぎる。」
そういう清臣の瞳こそ優しかった。
少し赤い目でじっと机の上を見つめた後、深く息を吐いて、勢いよくケーキを頬張る。
「泣いて、いいんですよ。」
椿はぶんぶんと首を横に振って笑う。
「泣かなきゃ、そのうち忘れられる。」
椿はまたケーキを頬張る。
チョコケーキ、モンブラン、タルト――
「お嬢。」
清臣の物憂げな、でもどこか熱のこもった瞳が椿を見つめている。
その瞳に、見とれてしまった。
「臣……?」
清臣の手が伸びて椿の頬に触れる。
くすぐったいその感触に思わず肩をすくめる。
耳が熱い。
「ついてますよ、子供ですか。」
清臣の指にはクリームがついていた。
椿は頬を膨らませて清臣をにらむと、またケーキを食べ始める。
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