椿と兄の恋
「臣!ゴールデンウィークだよ!」
「そうですね。」
最近は椿が清臣の部屋に来ることが増えた。
インターフォンに清臣がドアを開けると、バカみたいなセリフを言う椿。
「頼みがあるの。」
「なんでしょう。」
椿は何かを企んでいるようだった。
「デート、行かない?」
一瞬、本気にしたのがバカだった。
「どう?似合う?」
椿はフレームの大きなサングラスをかけて清臣のほうを見た。
「似合わないです。」
どちらかといえばかわいい寄りの椿の顔には似合わない。
「じゃあ、臣がつけてみて。」
言われた通りにしてみる。
「……似合うね。よし、それで行こう。」
今、椿たちは変装道具を探しているところだったのだ。
「かえって目立ちますよ。」
清臣はサングラスを外すと、黒いフレームのメガネを手に取る。
「これくらいのほうが……」
椿が息をのむように動きを止める。
両手で口元を抑えて目を見開いている。
「かっ……」
椿はそこで言葉を止める。
「なんですか?」
首を横に振って「なんでもない」と言った。
――カッコいい、とか迂闊に言うべきじゃないから……
「やっぱり、素のままで行かない?」
椿が提案する。
しかし、清臣はメガネを外さない。
「好きなんですか?こういうの……」
清臣がグッと顔を近づけると、椿は身を引いて離れる。
怒ったような顔をしているが、顔が赤いのはそのせいかわからない。
椿は『デート』と言ったが、正確には尾行だ。
誰を——それは兄である興。
興が女性と遊びに行くらしいことを憂から聞いた椿は、迷うとなく興をつけることにした。
「なにがそんなに気になるんですか。」
「心配してるの。興兄、チョロそうだもん。」
決してそんなことはないと思うが。
椿は憂から根掘り葉掘り聞いたようだ。
待ち合わせ場所と時間をばっちり把握していた。
「お嬢、そう言うあからさまな尾行は逆に怪しいんですよ。」
椿は電柱の裏に隠れて様子を伺っていた。
「プロがいると違うね。」
椿は朝から変なやる気だった。
何かを見た椿が小さく声を上げる。
「お兄だ。」
その視線の先には、モデルみたいな興がいる。
少し遅れて、可愛らしい女性が駅から出てくる。
椿はその女性に気づくと、視線で追う。
きっと年齢は興と大差ないのだろうけれど、高校生だと思われそうな幼さが滲み出ていた。
その女性はきょろきょろと周りを見渡すと、興を見つけて駆け寄って行く。
「臣、あの人知ってる?」
「いいえ、見たことないですね。」
清臣は考える暇もなさそうなくらいの即答をした。
椿には見覚えがあった。
「お嬢?」
椿はその女性に訝しげな視線を向けている。
「前にお兄があの人の写真を見てた。」
それも、複雑そうな目をしていた。
「昔の写真みたいだったけど、一緒に写ってたのはお兄じゃなかった。」
一体それがなにを意味するのかわからない。
「若、楽しそうですけどね。」
表情にこそ出ないが、その様子は椿にも伝わってくる。
「臣、そういうのわかるんだ。」
「失礼ですね。」
椿は女性をじっと見つめている。
「まあでも、あの人いい人そうね。」
「それは……どうでしょう。」
人は見かけによらない。
なにより椿は、人を見る目がない。
興たちは無難にショッピングデートだった。
「あの女の人の上司の結婚祝いを選ぶんだって。」
「詳しいですね。」
「憂兄が聞いたみたい。そこまで聞けるって、あの二人なんだかんだ仲いいよね。」
清臣は頷いた。
「見て、これかわいい。」
椿は真っ赤なハートのマグカップをさして言う。
「買っちゃおうかな。」
「金欠だとか言ってましたよね。」
「……やっぱやめた。」
椿はむすっとした顔のまま清臣を見る。
「臣、まじめに尾行しなきゃ。ほら、行くよ。」
「どの口が……」
「全部、おいしそう……」
お昼はパンケーキで有名なカフェだった。
椿はイチゴパンケーキを頼んだ後も、物惜しそうにメニュー表を見続けていた。
「また来ればいいんじゃないですか。」
メニュー表から顔を出した椿が聞く。
「付き合ってくれる?」
「しょうがないですね。」
清臣は口ではそう言いながらも、優しい瞳——椿を愛おしむような瞳をしていた。
椿はそれで満足したようで、メニューを閉じると椿は兄の方に目をやる。
「お嬢は、恋愛したいんですか?」
その横顔に、ふと清臣が聞いた。
「したいよ、そりゃあ。」
椿は笑ってあっさりと言う。
「まずは好きな人見つけないとだけど。」
わかっていたことだけれど、いざ口に出されるとやっぱり驚くべきことだ。
椿の周囲では恋愛の話ばかりだったから。
好きな人がいたっておかしくないと心のどこかで思っていた。
「こう見えて私、全然恋愛体質じゃないから。」
笑いながら言うから、冗談のつもりか本気なのかわからない。
「臣は?」
急に振られて、清臣は考えてみる。
少しの沈黙が流れた。
「恋愛感情がなにかはよくわからないですけど、お嬢みたいな人ならいいんじゃないですか。」
「よく言うよ。」
笑い飛ばす椿は、本気にはしていないみたいだ。
「まだ帰らないの……?」
椿は渋い顔でかなり前を歩く兄たちを見ている。
「足パンパンなんだけど。」
ゆっくり歩くから興との距離はどんどん広がっていく。
もう帰ろう、そう言いかけて椿はあることに気づく。
さっきまで力の抜けた顔をしていた椿が一点をにらむ。
「こんなときに……」
清臣のほうを見ると、同じだったようで軽くうなずく。
椿は足を速める。
一定の距離を守って興の後ろを歩く不審な男たちがいた。
どこの筋かわからないが、興を狙って後をつけていることは明らかだった。
「お嬢、どうする気ですか?」
「どうって……」
椿は口ごもる。
清臣にはわかっていた。
「危険なことはさせられません。」
「追い払うくらいいいでしょ。」
それがどの程度のものかはわからないが、椿は怒りをにじませる。
椿たちが彼らとの距離を詰めると、向こうも早々に気づいたのか、興を尾行することをやめた。
それでも椿はそれでは満足しなかったのか、不安だったのか、今度は椿が彼らを尾行する形になった。
しかし、相手は椿たちのことには気づいている。
これではんまと誘い込まれているのと同じだ。
清臣の忠告も制止も無視して椿は行く。
「お嬢ちゃん、どこのものか知らねえが、それは無謀すぎるなあ。」
椿は静かな瞳で相手を見据える。
街灯一つなく、月明かりも周囲の建物に遮られる路地裏で、椿の瞳が鈍く光る。
「邪魔しないで。」
椿の一言と共に、おおよそ人体からは聞かないであろう音がした。
相手も興を狙うだけに素人ではないのか、椿の拳をうまく受ける。
だが、相手が態勢を立て直す前に椿が攻撃する。
もう一方の仲間が加勢しようとするのを、清臣が妨げた。
敵は椿に傷つける隙すら与えられず、ただ殴られるだけの状況に、困惑と恐怖を抱いていた。
何も、考えられなかった。
ただ興の幸せを邪魔しようとしたことが許せなかっただけじゃない。
これまで無理やり押さえつけられていた自分の中の何かがあふれて止まらなくなった。
椿の拳は無慈悲に相手を殴り続ける。
そんな自分の様子を俯瞰してみているような気持ちで椿はいた。
それでも、止めようという気持ちは起きない。
ただその景色を見ているだけで、なんの感情も生まれてこなかった。
清臣もその状況はわかっていた。
相手が動けないほどの怪我を負えば、事後処理が大変になる。
そろそろ引かなければならない。
「それ以上は……」
いいかけた清臣は椿の表情を見た瞬間、相手を蹴り飛ばして椿の下へ駆け寄る。
椿が対峙する刺客と引き離すように、後ろから椿を強く抱き締める。
その反動で、相手は激しく地面にしりもちをついた。
抵抗するように身をよじる椿を抑えこんで、清臣は相手をにらむ。
「早く行けよ。」
その瞳はさながら人を殺すときの目つきだった。
その殺気に圧倒された相手は、数歩後ずさりしたあと、走り去っていった。
清臣は小さく息を吐いて腕の中の椿を見やる。
「落ち着いてください。」
眉間にしわが寄って力の入った表情は、怒っているようにも、泣くのを我慢しているようにも見える。
この椿は、本当にこれまでと同じ椿かと疑いたくなるくらい、別人のようだった。
この華奢な体からは想像もつかない力と、いつもの運動音痴からは想像もつかないほどの機敏さ。
そして、人を傷つけることを厭わない瞳。
いつもは明るい椿の裏になにがあるのか理解するには、清臣はまだ椿のことを知らない気がする。
肩の力が抜けた椿の指の隙間から血がこぼれる。
清臣はそれに、かすかに目を見開くと、硬く握られた手をとる。
「力、抜いてださい。」
そっと指に触れると、椿の手がゆっくりと開かれる。
強い力で握っていたせいで食い込んだ爪が皮膚を破って血がにじんでいた。
だが指を伝った血は椿のものではなく、さっき殴った相手のもののようだった。
触れた清臣の手から、人の体温を思い出した椿は、力んだ瞳で一点を見つめていた。
その瞳は不規則に揺れていた。
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