兄と苦しい再会

深夜二時。

興は一人、暗いダイニングにいた。

ドアが開く音がした。

「あれ?まだ起きてたの?」

椿だった。

「あぁ……お前も、起きてたのか。」

「いや、目が覚めちゃって……喉乾いたから。」

目をこすりながら冷蔵庫を開ける椿。

「なにしてたの?仕事?」

「いや……」

興は静かにスマートフォンを伏せる。

「明日も休みか。」

椿は頷いて、飲み終えたグラスを流しに置いた。

「なんかあった?」

椿が聞くと興はすぐに「いや……」と否定する。

「ならいいけど。」

椿の目に入った写真が気になっていた。

そこには一組の男女が映っていた。

楽しそうな雰囲気のその写真を、興は懐かしさと悲しみの入り混じる複雑な瞳で眺めていた。


オフィスの一角。

社長室の大きな窓からは、東京の夜景が見下ろせる。

興は自分のスマホが鳴っているのに気づいて、我を取り戻す。

ボーっとしていた。

電話は憂からだった。

切ろうか迷ってから電話に出る。

「なんだ。」

「まだ仕事?」

時計を見る。

二十二時。憂だって仕事中だろう。

「何の用だ。」

「冷たいなあ。心配してやってるのに。」

「頼んだ覚えはない。」

電話口の向こうで憂がフッと笑う。

「今日はもう帰れ。」

「お前に言われる筋合いはないと言いたいところだが――そうするよ。」

「俺もそうしたいなあ……」

憂が言い終わらないうちに電話を切る。

パソコンの画面を閉じる。

この数日は思い出したくないことを忘れるために仕事に没頭していた。

興の長い脚が急いでオフィスを出る。

生ぬるい初夏の風が頬を撫でる。

やはり、無理はよくない。

駅に向かって歩く。

椿は、帰ったころには寝ているだろうか。

妹は寝るのが早い。いわゆるロングスリーパーだ。どこかぬけたところも、幸せな人だと思う。

その緩さが、興にとっての救いでもあった。

この世界が嫌いではないけれど、ずっとここにいると頭がおかしくなりそうだったから。

興はふと足を止める。

街灯の下でうずくまる人影があった。

瞬間的に察する。

無視してその場を去ろうとして数歩歩く。

それでも、やっぱり気になって戻る。

「……どうしたんですか。」

声をかけると目を真っ赤に泣きはらした朝子がこちらを見た。


「まさか、また会うとは……!」

涙が残っているのか少し震えた声が明るく取り繕って言う。

「こんばんは。」

「どうしたんですか。こんなところで。」

朝子は視線をさまよわせる。

わかりやすい。

「同窓会で……」

「行ったんですか?」

興は少し食い気味で聞いた。

朝子は少し驚いたような表情をしながら、何度かうなずく。

「そういう、あなたこそ……」

「仕事場が近いんです。」

前の通り冷たい興に朝子は少し気勢をそがれる。

「私もそろそろ帰らなきゃ。」

朝子はスカートのすそをはたきながら立ち上がる。

「……なにか、あったんですか。」

え?と間抜けな声を出す。

「なんで、ですか?」

朝子は慌てたような表情とともに、おぼつかない滑舌で言った。

「泣いてたんじゃないですか。」

「あ……」

朝子はバレた、というように肩をすくめる。

「少し、嫌なことがあって……」

「聞きますよ。話し相手、必要なんでしょう。」

朝子の顔がゆがむと目が潤む。


あいつは言った。

「俺に何かあったらさ、あいつのことよろしく頼む。」

まぶしい笑顔で。

その裏に何があったか、興は今でもわからない。


「私、学生時代いじめられてたんです。」

知っていた。

「それなのに、同窓会行ったんですか。」

「だって、楽しみにしてるっていうから……私こんな性格だから、いじめられるのもしかたないなって思ってたし、昔のことは忘れて楽しもうと思ったんだけど……」

朝子は慌てたように付け足す。

「いじめっていうのも、ひどいものじゃなくて、いじられキャラがちょっと行きすぎちゃったみたいな感じで……」

興は何も言わないが、朝子がビビるくらい雰囲気には怒りがにじんでいた。

「すいません……もっとハキハキしゃべれたらいいんですけど。」

「そういわれたんですか。」

朝子は何かを思い出すように一点を見つめていた。

『社会人なのにまだそんな感じなの』

『朝子って本当変わんないよね、とろいっていうか、そんなんでやってけるの?』

「ただのいじられキャラなんです……それと同じくらい、みんなのマウントの取り合いも見てられなかった。」

興は軽く相槌を打つだけで何も言わなかった。

「すいません、こんな楽しくない話……」

「いいや……」

気の利いた事一つ言えない自分が憎い。

「でも、よかったです。私、兄が死んでから、こんな風に弱音を吐くこともできなくて……なのに名前も知らないあなたになら話せるって不思議ですね。」

興は彼女の兄の顔を思い浮かべる。

「あなたは、同窓会とか行ったことありますか?」

「……ないです。」

「そうですか、じゃあ、なおさらこんな話してすみません。」

朝子は頭を下げると、そのあとは興ではなく正面を向いてうつむく。

「でも、少しは楽しかったんです。一瞬、うまくいくかもって期待した分、裏切られちゃった感は、多少ありましたけど。来たこと、全部後悔してるわけじゃないんです。」

心の綺麗な人だと思う。

そんなところも兄にそっくりだと。

「……あなたは、そのマウントの取り合いに参加したんですか?」

「まさか、そんな器用なことできないです!」

興は朝子の顔をちらりと見て言った。

「じゃあ、今吐き出していいですよ。自慢したいこと。」

朝子はプッと吐き出して笑った。

「変なこと言うんですね。」

「いえ、まあ……」

朝子は笑いながら顔を上げて考える。

「そうだなあ……自慢したいことか。」

あ、と思い出したように手をたたいて興を見る。

「私の兄なんですけど、剣道部で全国大会行ったんです。学校イチの不良をとっちめて、でも、誰とでも友達になれる人だったから、その不良とも友達になって……私がいじめられていたときも、助けてくれたり、見守ってくれたり、相談に乗ってくれたり……」

「兄の話ばっかりですね。」

朝子は耳の後ろをかいて笑う。

「私は不器用だけど、自慢の兄がすべて補ってくれたから、それで十分だったんです。」

「他には、ないんですか。自慢できること。」

朝子は少し長い時間考えて言う。

「私、こう見えて小学校の頃は学級委員やってたんですよ。あ、あと読書量が学年で一番でした。それと……」

「たくさんあるじゃないですか。」

朝子のまん丸の目が興を見て、瞬きを繰り返す。

「そうですね……捨てたもんじゃないって、少しは思えたかもしれないです。」

ありがとうございます、と朝子は深く頭を下げた。

興はチラリと腕時計に目をやる。

「……そろそろ帰りますね。」

「あ、そうですよね。すみません、引き留めてしまって。」

「いえ、楽しかったですよ。」

興は表情が変わらないままだったが、朝子は嬉しそうにうなずく。

「駅まで送ります。」

「あ……じゃあ、お願いします。」

そうして駅に足を向けた二人。

少し歩いたところで、酒が入っているとすぐわかる声がした。

「え?朝子?」

少し着飾った服。上気した頬。

「あ……由紀。」

気まずそうな朝子を見れば、それが同窓会のメンバーだということはわかる。

「二次会来ないと思ったらこんなところにいたの?」

朝子をバカにしたような声色が、興を一目見ると、一気に変わる。

「どなたですかあ~?」

「おい、由紀酔い過ぎだって。」

「やだあ、朝子彼氏?」

「似合わないじゃん。」

朝子が一歩引いた。

興はふっと、小さくため息のような息を吐くと力の入った朝子の肩を抱く。

「行きましょう。」

朝子の驚いた瞳が興を見る。

「朝子さんには似合わない、下品な方たちですね。」

「え?」

すぐ横から困惑したような声が聞こえた。

「もう二度と彼女に会わないでください。」

興はそう捨て台詞を吐いて、朝子とともにその場を離れた。


「すいません、勝手なことをしました。」

興が謝ると、朝子は肩をすくめて笑う。

嬉しそうな笑みだった。

「すっきりしました。あの人たちの顔見たら。」

私、性格悪いですね、と言って口の端からこぼれる笑み。

「あの、連絡先交換しませんか。」

言いながら興は自分でも驚いていた。

まさかこんなこと自分からいうなんて。

「……いいんですか?」

「はい。」

「でもなんで?」

興は少しためらってからいう。

「何か困ったことがあったらすぐに駆け付けられるように……すいません、おこがましいですよね。」

「……いや、あの、それ私も駆けつけてもいいですか?」

「え?」

興は拍子抜けた顔をする。

「何度も助けてもらったし、これからも私だけ助けてもらうのは……」

興は頷いていう。

「心強いです。」

「お世辞、下手くそですね。」

なんだか朝子のくすぐったくなるような笑い方は椿の笑い方に似ていると思った。

「京極さんって言うんですか。」

仕事の用のアカウントだったから、名字しか見えない。

それでも朝子はなにかに気づいたようだった。

「……どうかしましたか。」

「あぁ、いや、兄が親友のこと『キョウ』って呼んでたことを思い出して……だから、京極さんにはいろいろ話せるのかもしれないですね。」

そうですね、と心にない相槌を打って興はスマホを閉じる。

「じゃあ、また……」

朝子は少し照れくさそうに言って手を振る。

興の姿が見えなくなるまで律義に手を振る朝子を見て、彼女の兄の姿を重ねた。

あいつは、興にはまぶしすぎるくらい明るい奴だった。

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