椿と唯華3
「椿!やばいよ。」
いつもヤバそうなのは葵の方だが、葵は本気で焦ったような表情をしている。
「どうしたの?」
言いづらいんだけど、と前置きして続ける。
「唯華とうちらの不仲が、守間くんのせいにされてる。」
「なんで……」
「わからないけど、とにかく、守間くんが椿と唯華を引き裂こうとしてるって。」
そんな根拠のない噂、誰が信じるのだろう。
「誰が言ってたの?」
「もともと守間くんを気に入らない人は少なくなかったでしょう。」
そうなの?と椿は面食らうが、葵はあっさり頷く。
「頭脳明晰、運動神経抜群、そのうえイケメンともなれば、嫉妬もするわよ。」
学校にいるときの清臣はいつもキラキラしていて、妬みとは縁遠いようだったけれど、光があれば影もある。ということだろうか。
「なに話してるの?」
声に振り向くと、その先にいたのは唯華だった。
「あ、いや……」
葵は気まずそうに視線を逸らす。
「守間くんのこと、聞いた?」
唯華は「聞いたけど」とどこか冷たく言い放つ。
「あの、ただの噂だからね?」
唯華は眉ひとつ動かさない。
「守間くんは、そんな人じゃないから。」
なにも言わない。
椿はすっかり勢いを落として「それだけ……」と視線を逸らす。
「まだ守間くんなんて、よそ行きな呼び方しちゃって。」
声が冷たかった。
「最近の椿、守間くんばっかり。私たち四年も一緒にいたのに。」
「唯華……?」
顔を上げた椿は驚いたように目を見張っていた。大きな目が小さく震えている。
唯華はそれを見て苦しそうに顔を歪めると、椿と目が合うことなく踵を返した。
「今のって、さ……」
葵が呟く。
「違う、違うから。唯華は、そんなことしない。」
「唯華!」
唯華はただ歩いていた。
周りのことなんて気にできないくらいただ黙々と。
「唯華!」
一度は聞き逃した声。
声の主は、抜群のスタイルと高く結んだポニーテールに勝気な顔が印象的な女子だった。
「のどか先輩……?」
「なんで、そんな思い詰めた顔してるの。」
余裕で溢れる笑み。その奥にある本気で心配したような顔。
「お久しぶりです。」
「そんな畏まらないでよ。やりづらいから。」
「あ、はい……」
「なにかあった?」
肩に入っていた力がスッと抜ける。
優しいわけじゃないけれど、どこか落ち着く声。
「いろいろ、うまくいかなくて……椿と、喧嘩っていうか。」
「まあ、きっと大丈夫よ。あなたたち二人、ずっと助け合ってきたじゃない。」
「どうかな……」
椿の思いやりを無視してきたのは、私。
「あのときも、助けて、助けられて、かっこよかったよ、あんたたち。」
「またその話……ちょっと恥ずかしいくらいなのに。」
唯華の顔から思わず笑みが溢れる。
椿も、私も、ずっと変わってない。子どものまま。でもすこし、変わったこともある。
私は何度も恋をして、失敗して、その分捻くれた。
最近の椿は急に大人びたように思う。
なんだか、置いていかれたような気がしていた。
私は恋が下手で、あの子も下手なはずなのに、守間くんと椿のお互いを見る目といったら――
僻みなんて、私が一番嫌いなものなのに。
「どういうこと?」
皆、必死に隠していた。
椿の声は大きなショックで震えていた。
「あ、いや……」
あまり話したことのない子たちだった。
「ごめん、ちょっと後にしてくれる?」
奈乃香が静かに牽制するように言った。
休み時間になって、彼女たちは椿に駆け寄ると、噂の真相を確かめようとしてきた。
清臣のことと、そして、新しい噂。
「信じてるわけじゃないんだけど。」
嫌な予感がした。
「あの、モラハラっていうか、そういう噂があってさ。」
「そんなわけないでしょ。」
椿の静止を聞かずに奈乃香は言う。
強い口調に彼女たちは少し怯んだようだった。
「なんなの、あの子達。」
奈乃香は少し大きな声で言う。
「知ってたんでしょ、この噂。」
「まあね。でも、言ってもいいことないでしょ。私はあの子たちみたいに無神経じゃないもの。」
「うん、ありがとう……でもなんで急に……」
「誰かが、昔のこと言いふらしてるみたい。」
奈乃香にも言っていなかったことなのに。
「ごめんね。」
「いいの、奈乃香が謝ることじゃない。」
椿は思い詰めたように一点を見つめている。
帰りの時間になって、椿が教室を見渡しても清臣の姿はなかった。
カバンはある。
椿は廊下に出て周囲を見渡す。
清臣の姿はあっさり見つかったが、その姿を見た瞬間、椿は顔をしかめた。
ファンの子たちだった。
彼女たちの表情と場の雰囲気を見るに、あまりいい話ではなさそうだ。
「ひどいよ!」という声が聞こえる。例の噂のことだろうか。
椿はその場にいるのはやめて、教室に戻ろうとする。
「あの子、性格最悪だって!」
去り際に椿の耳に入った言葉。
何を言われても、怖くない。
もう慣れた。
そのはずだったのに……
「どうした?」
一点を見つめて思いつめた様子の椿に声をかけたのは太陽だった。
「え?」
「え、って、なんか深刻そうな顔してたよ。」
椿は首を横に振って笑う。
「大丈夫。」
「そっか……しっかり食べてよく寝るんだぞ。」
「子どもか。」
椿はいつもより翳った、それでもさっきの顔よりはずいぶんと明るくなった顔で笑う。
「じゃあな!また明日!」
太陽は知っているのか、知らないのか、いつもと変わらない太陽みたいな笑顔だ。
椿は手を振って太陽を見送った。
その太陽とすれ違うように、清臣が戻ってくる。
「すいません、遅くなりました。」
「ううん。」
清臣は少し急いで荷物を片付ける。
ふと、顔を上げて椿のほうを見る。
「どうしました?」
「なにも、ないけど……」
少しの沈黙の後、椿は小さな声で言う。
「ごめんね。」
「俺は大丈夫です。お嬢こそ。」
「私だって、別に……」
気丈に振る舞うつもりが、語尾はだんだんと弱くなっていく。
今も、昔も、なにも悪いことはしていないはずだ。
そりゃあ、唯華には申し訳ないことはしたかもしれないけれど、全く関係のない人にどうこう言われるようなことはしていない。
根も歯もない噂は、事実無根なだけに、椿にはもはやどうすることもできない。
それが辛い。
「大丈夫だから。」
言い聞かせるような口調だった。
視界がゆがむ。
目頭が熱くなって、溢れそうになる涙がギリギリでこらえている。
清臣の手が椿の頭を優しくなでる。
大きな涙が零れ落ちる。
「くやしいよ……」
ぬぐっても溢れてくる涙。
止まらない涙も、今だけは落ち着いている心も、全部、清臣の優しい手のせいだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます