椿と唯華2

唯華に別れたほうがいいと伝えたあの時から、唯華は椿に冷たかった。

椿は分かりやすく落ち込んだ。

表面化しなかった唯華と葵の確執は、椿の落ち込みによって、浮き彫りになった。

「お嬢。」

清臣に呼ばれて顔を上げる。

目の前にあったのは灰色の電柱。

「危ないですよ。」

「ありがとう。」

椿は心ここに在らずの状態だった。

「なにかあったんですか?」

清臣の声は優しい。

その優しさに驚いて戸惑うことも無くなった。

「別に……大丈夫、ですけど。」

とはいえ、感情の出やすさには自覚もあった。

「俺でよかったら話してください。お嬢が落ち込んでると不安になります。」

椿は下を向いて小石を蹴り飛ばす。

「どうしたの?」

椿が聞く。

「なにがですか?」

「優しいじゃん。」

はにかんで笑うと、清臣を小突く。

清臣はいつものようにムッとするかと思った。

けれど、わずかに口角を上げて微笑むような表情を見せる。

椿は勢いよく顔をそらした。

なにあの顔……

耳まで赤くなっているせいで、どんな表情をしているかは清臣にもわかった。

椿は視線を彷徨わせた後に、目を見開いて声を上げた。

「あ!」

椿は慌てて清臣の方を振り向く。

「あの人、唯華の彼氏!」

唯華に見せられた写真に写っていたのと同じ人。髪色も顔も特徴的だったからわかる。

清臣は不思議そうな顔をして首を傾げたあと、「そうですか。」と言う。

「そうなんだけど……その、私の悩みの種で……」

「そうですか。」

興味なさげだ。

「別れてほしいの、あの人と。」

「なんでですか?」

「あの人……女遊びも金遣いも荒いって。」

椿は葵から聞いた話をそのまま伝える。

「高級車を乗り回せるって、ものすごい金持ちですね。」

少し棒読みの清臣が気になるが、それどころではなかった。

「イヤな金持ちだよね。」

清臣は唯華の彼氏に一瞬目をやって、そして顔を顰める。

「あの人、どこの大学ですか?」

椿は急いで思い出そうとする。

唯華の彼氏は路地を曲がっていく。

「えっと……共政大だったかな、経営学部のテニスサークルとかで、いかにもって感じだったような。」

清臣は椿が話すたび眉間に皺を寄せる。

「え?臣、どうしたの……」

「今、あの人の隣にいるのは、有名なヤクザです。羽振がいいのは、実家が理由じゃないでしょう。」

椿は清臣の言葉が終わる前に、その手を掴むと、走り出す。

想像以上の足の速さと、力の強さだった。

清臣は強く手を引いて椿を引き止める。

「なんですか?」

「ヤバいやつなんでしょ。」

「そのヤバいやつに向かって走っていったのはお嬢ですよ。」

今度は椿が首を傾げる。

「状況、わかってますか?」

とりあえず頷いたと言うような相槌。

絶対にわかっていない。

「お嬢が触れるには危険すぎる相手ってことです。」

椿は一度開きかけた口をつぐんで、俯く。

「それなら、なおさら……今、唯華を守れるのは私だけだから。」

「だとしても、考えなしに動くのは危険です。」

清臣は椿に握られた手を優しく握り返す。

「早くしないと、って思っちゃうの。」

清臣は一瞬、優しい瞳をした。

しかし、すぐに鋭い光がその目に宿る。

手を引いて椿を抱き寄せる。

同時に、鈍い音がした。

椿が後ろを振り返ろうとする前に、清臣は椿を死角に隠すように自身の背後に移動させた。

パイプのような細長い鈍器を持った男が二人。唯華の彼氏と、もう一人はさっき見た男とは違う。

鉄パイプのようだが、清臣はそれを腕一本で受けた。

「臣!」

鈍器を交わすことなく全て受ける。

相手の一瞬の隙をついてあっという間に男二人を制圧した。

うめく二人を尻目に流れるようにどこかに電話をかける。

椿が心配する間もなかった。

「あの……臣、大丈夫?」

手に細い傷ができて、出血していた。

「ちゃんとヤバいやつだったじゃないですか。」

「はい……」

反省の色が言葉に出る。

「怖かったんですか?」

その目は服の袖を掴む椿の手を見ていた。

「違うから!」

椿は慌てて手を離す。

「帰りましょうか。」

「え、えっと……あの、これは?」

椿は倒れ込んだ男たちと清臣を交互に見た。

清臣は思い返したように、男たちのポケットをあさる。

慣れた手つきで財布から身分証を抜き取って写真を撮る。

「これでいいでしょう。」

「それ、どうするの?」

「さあ……俺が決めることじゃないので。」

清臣は眉を下げて優しく笑う。

「大丈夫ですよ。」

なんだか、清臣がいつになく頼もしく見えた。


「唯華、あのね……」

椿の恐る恐ると言った調子に、唯華は早々に勘づいた。

最初から唯華の反応は敵意をむき出しにしていた。

「彼氏となら別れる気ないから。」

「そうかもしれないけど、唯華の彼氏、本当に危ない人みたいで……」

「なんで?」

その声からは椿を信じる気がないことが伝わってくる。

「危ない人といるのを見ちゃって。」

「だから、危ないって?そもそも危ない人って、誰?なんで椿はそれを知ってるの?」

唯華は責めるように言葉でまくし立てる。

「それは……」

あとから思えば上手い言い訳なんていくらでもあったけど、いつになく冷たい唯華の声に頭が真っ白になっていた。

椿はなにも言えないまま、唯華は小さなため息を残して去っていった。

「なんでみんな……」

去り際の唯華の呟きは椿にも聞こえていた。

唯華はなにも悪くない。いや、少しくらい椿たちの話を聞いてくれたっていいけど。

もし、椿と関わらないほうがいいと言われたってあの子は、同じような反応をするのだろうから。

その日を境に、二人の距離はどんどんと離れていく。

二人の不仲は静かに、しかし着実に噂として広まっていった。

いろんな人から詳しい説明を求められる中、最も肩身の狭い思いをしていたのは葵だった。

「私のせいだよね…」と葵はいつもの元気さはどこにいったのか、なで肩になって言った。

「いや、私が上手くいえなくて…」

言い方も、タイミングも、きっともっといいやり方があったと椿はこのところずっと後悔していた。

葵には顔を合わせるたびに謝られる。

その一方で、深く追求してこない奈乃香や梨乃たちともどことなく距離ができていた。

唯一、舞香だけが「大丈夫?」と椿に声をかけた。

「なんかあったの?……って知りたいわけじゃないけど、話したいことあったら聞くから。」

舞香だけじゃない。

そっとしておいてくれるのが、椿には嬉しかった。

「唯華、椿ちゃんだけじゃなくて、私たちとも話してくれなくてさあ……あの子、前からいけすかない感じだったけど。」

だがそれは、椿に対する慰めとは言い切れないほど、そのままの言葉だった。

「最初の頃なんてものすごく嫌われて、椿ちゃんが助けなきゃずっと一人だったのにね。」

その言葉は椿の胸をざらりと撫でて不快な感触を残した。

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