椿、奮闘する2

黒板の隅には葵の字で『球技大会まであと一日!』と書かれている。

「あ、ちょっと守間くん。」

帰り際、清臣は赤羽唯華に呼び止められる。

「最近、取り巻きの子に冷たくない?私が文句言われちゃった。」

「それは、申し訳ない。」

思っていないな、と唯華は思う。

変に取り繕わないのは悪いことではないと思うが、それを唯華に言われるのはいい気分ではない。

「いいのよ。椿のこと、好きなんでしょ。」

何も言わない清臣。

少し泳ぐその視線を見て唯華は笑う。

少し見下したように見えるのは、たぶんそう思っているから。

「好きなのよ。目を見ればわかる。」

清臣は怪訝な顔をした。

気づいていないみたいだけど、清臣が椿を見るときはやさしい目をしている。

「別にいいけど、椿は不器用だからその分、がんばらなきゃだめよ。」

唯華が言ったことを飲み込めないまま、唯華もそれをわかっていて、その場を立ち去る。


球技大会当日。

椿は朝から沈んでいた。

「そんなに憂欝?」

唯華は笑って椿の顔を覗き込む。

「いやぁ……それもそうなんだけど、筋肉痛が……」

連日のスパルタ練習の成果はあまり感じられないまま、ただ疲労が溜まっただけだった。

「早く外野行っちゃえば終わるでしょ。」

「それじゃあ、つまんないじゃん。」

「出た、運動音痴の癖にへんな意地っ張り。」

「なにか悪い?」

唯華は椿と同じ帰宅部のはずなのに、運動神経は抜群だった。

「そういえば、私たちのドッヂボール、バスケの決勝の時間とかぶってるよね。」

「え!?」

「なによ、その反応。」

からかうような唯華の目。

「別に、太陽とかはっさんも出るし。」

「そうだねえ。」

「もうなんなの!」

唯華は楽しそうに笑う。言いながら椿も笑みをこぼした。


動かないでいると体育館は寒い。椿は体育館の隅で小さくなっていた。

唯華にはあんな風に言ったけど、本当のところは少し残念だった。

普通、球技大会で観客がいるなんてことないはずなのに、隣のバスケコートには女子の人だかりができていた。

実行委員の人に呼ばれて立ち上がる。

一足先にサッカーは終わった。サッカーの結果は三位だったが、本命だと言われるバスケは決勝まで進んだことだけ聞いて、清臣の戦績は聞いていない。

人だかりでバスケコートがどんな様子かはわからなかった。

「外野の人はビブス着てください。」

係の人が大声で叫んでいる。

彼の喉を思いながら、椿は内野に入る。

対戦相手は一個下の学年だった。

「椿、そっち敵陣!」

唯華の声にすぐ横を見ると、後輩と目が合う。

「ごめんなさい。」

気まずそうに頭を下げあって自分の陣地に戻る。

「サッカーでも間違えてたよね。」

「あれは、間違えたんじゃない。下手だっただけ。」

椿は敵の人にパスをしたのだ。

どこでもいいから蹴ってと言ったのは奈乃香だ。

試合開始のホイッスルが鳴る。

ドッヂボールは全体的にやる気はない。

特に女子はその傾向が強いはずなんだけど……

「まずい、こいつらやる気だぞ。」

葵が椿の耳元で言う。

なんでもハンドボール部の子がいるとかで剛速球が飛び交っている。

「思ってたのと違う……」

舞香が悲鳴をあげた。

当たったみたいだ。

葵はしれっと椿の後ろに来て椿を盾にしている。

「当たったら、楽になるよ。」

そういって椿が下がろうとすると、葵は椿の肩を持ってその場にとどめる。

「だって、あれ痛いじゃん。」

「じゃあ、なおさら友達を盾にしないでよ!」

葵と椿が小競り合いをしている間に、敵は二人に狙いを定めた。

椿は空を切るボールの音が聞こえてとっさに首を傾ける。

つぶれたカエルみたいな音がした。

葵の顔面にボールが当たった。

「いったーい……」

後輩女子の焦ったような声が聞こえる。

「大丈夫だから……」

強がった葵だが鼻から鮮血が垂れる。

「葵、鼻血!」

葵は手に垂れる血を見て、呆然とした顔で椿を見る。

「ごめん、椿、あとは頼……む……」

白目をむいて倒れる葵の襟元をつかんだのは唯華。

「はーい、保健室行きますよ。」

そのまま葵を引きずりだす。

唯華は保健委員だが、それ以上にサボりたかったのだろう。

主審のホイッスルが鳴る。

「再開しまーす。」

テンポ感の良さに感心していた椿だが、次の瞬間、重大な事実に気が付く。

味方の陣地には自分を含めて三人しかいない。

元外野の二人と椿だ。

三人いるはずの元外野は、唯華がサボったので二人になってしまった。

周囲を見渡して、ふと、向こうのコートにいる清臣と目が合う。

今は試合中じゃなかったのか。

とにかく清臣は目線を動かして何かを伝えようとしている。

敵陣に視線が移動しているあたり、集中しろと言っているようだ。

わかってますよ、と心の中で呟いて、椿は前を向く。

ボールを待っているのはさっきから強烈な球を投げてくるハンドボール部の女子だ。

真っ直ぐ投げられるボール。

でも椿にはわかっていた。

直前で軌道を変えるそのボールに椿は少しだけ身を捩った。

驚いたような顔の清臣の方を振り返って椿は満面の笑みを見せる。

驚いたのは自分も。

でも、それ以上に嬉しい。

「私、できてる!」

だがその次の瞬間、椿の顔面にボールがあたる。

ホイッスルの音が響く。

「顔だからセーフです!」

椿は知らなかったが、そのとき、清臣は笑っていた。

「え?お前なんで笑ってるの?」と、太陽が思わず聞いてしまうほどの笑みだった。


「まあ勝てないよね。」

鼻にティッシュを詰めた葵。

二人が保健室から戻ってくる前に試合は終わっていた。

黄色い歓声が響く。

「見なくていいの?」

ドッヂボールの間に清臣のバスケが始まっていた。

「ここから見えるよ。」

敵がパスしようとしたボールを、そこにいなかったはずの清臣があっという間に奪って、ゴール下まで運ぶ。

真っ直ぐと前を向く真剣な瞳。

「かっこいいなあ」

唯華の笑い声が聞こえて、椿は観戦に集中しすぎていたことに気づく。

「出てたよ、心の声。」

椿は慌てて口を手で塞ぐ。

「もう手遅れですよー。」

葵は椿をつつきながら揶揄う。くすぐったくて笑みが溢れる。

終了のホイッスルが鳴った。

「お、かっこいい守間くん、勝ったみたいだよ。」

「やめてよ、もう。」

女子の歓声の奥で、挨拶の声が聞こえる。

それが済むと、一斉にコートの中に入っていく。

「なにが楽しいんだか。」

「椿が言うか。」

こういうときの清臣は遠くに行ってしまったように感じる。

テレビの中の、アイドルみたい。

人混みが真っ二つに分かれる。

なんだかんだ椿は、バスケコートの方を気にしていた。

清臣の姿が見えた。

「あれま……」と唯華が呟く。

清臣はまっすぐに椿の元へ向かってくる。

「勝ったの?」

椿はたどたどしく聞く。驚いて言葉がうまく出ない。

「はい。」

「おめでとう。やるじゃん。」

椿は照れたように言う。

清臣は唯華に気づいて一度開きかけた口を閉じる。

そして、笑う。

「椿も。」

「……え?」

椿——椿、椿?

名前で、呼んだ?

椿は打ち上げられた魚のように口をパクパクとして、呆然としている。

太陽が清臣を呼んでいる。

「またあとで。」

清臣は颯爽と去っていくが、椿はあまりの熱に目眩を感じた。

「おぉ……大丈夫?」

ふらついた椿を支える唯華。

椿はほとんど涙目になって唯華を見た。

「なに、あれ……」

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