檻
エリックの魔法が好きだった。
自由で、美しくて、それなのに無尽蔵で。
花のように枯れることも、小動物のようにいつか失うことも、絵の様に色褪せることも無い。
魔法が使える体に転生し、エリックの才能の凄まじさを知った。ヒトの寿命では到底たどり着けない極みに居ると知って、感じて、少しだけ嫉妬して。
それでも、そんなエリックの魔法が俺は好きだった。
◆◆◆◆◆
「俺の存在を代償に、マキラは殺せるか?」
「無理だな。お前の存在強度では足りん。俺と同じ数だけ因果でも詰めば別だろうがな」
63280999回。何度聞いても途方もない数字だとラルフは感じる。
「なぜお前はそれだけの数、正気でいられる?」
「なぜお前は俺が正気だと思っている?」
シュランゲの黒い瞳に影が落ちる。周りの光を根こそぎ飲み込むような漆黒に、ラルフは言葉を詰まらせた。
「代償の存在を知った今なら、お前にも分かるだろうよ。
お前の存在でどこまでできるのか」
悪意と悪意を煮詰めて悪意を加えたようにシュランゲは笑う。笑顔の裏に策略を孕む貴族や商人などとは違う、悪意だけを全面に表して。純粋と勘違いさえしてしまいそうな顔で、シュランゲは笑っていた。
狂っては正気に戻り、狂った上で更に狂い。自らの喜びと絶望の全てを破壊へと向けていた。
───故に、ラルフは思考する。
赤子よりも幼い自分が、この化物を出し抜く方法を今ここで見つけなければならない。
そんな風に考えていることも彼は分かっているのだろう。その上で、それを越えなければならない。
シュランゲが彼自身の存在や何かしらの能力を賭ければ、恐らくはマキラを殺せるのだろう。
(だが、コイツがそれをするとは思えない)
幾度と無い敗北を突きつけられても、シュランゲという存在が残っているのは、シュランゲが安易に代償を使わなかったからだろう。
狂気に身を浸してさえ、衝動的にカードを捨てることをしない。だからこそ、ラルフはシュランゲを恐ろしく思った。
「そう考えすぎるな。
だが今しかないと考えるのは、正しいだろうな」
シュランゲはちらりと彼らを見る。
かつて、ラルフの仲間であり味方であった彼らを。
「…俺もいつかはお前と同じになる、か?」
「ああ、気づいたか?」
「丸3日、暇をしていたからな」
ラルフの味方をし、あるいはエリックの敵となった彼ら。
そしてここを『希望の檻』と呼んだシュランゲ。
ただ敵対した者なら多く居た。ただそれでも、彼を心底憎み、その本意から殺そうと企む者は少ない。
「…嫌悪、憎悪、あるいは猜疑心を抱いた人間を、エリックはここに排除したんだな」
シュランゲが満足そうに頷く。
「まあ、そんな所だろうな。
代償に何を払ったのか、何を願ったかまでは知らん。」
彼に比べれば瞬きほどの時間だろうが、ラルフの中で信じ続けてきたものはここ最近で大きく崩れてしまった。
知りたくはなかった。知らなければよかった。あのまま光に飲まれてしまえばよかった。
「生物は本来、死ぬと肉体と魂が切り離され、その後に処理をされ、またどこかの世界に別人として生まれ変わる。
俺たちも、あの勇者もお前が大層大事にしていたそこの連中もその当たり前の輪廻から弾き出された存在だ。」
このまま後悔に背中を押されるままに全て投げ売ってしまえば、どれだけ楽になれるだろうか。
(でも、それはもうやったことだ)
友を捨て、国を捨て、世界を捨て。その果てには何も残ることは無かった。
(やるべきことをしろ。決めたはずだ。俺が、やるべきことを)
目を開け、見据える。この場に、敵はたった一人だけだ。
「シュランゲ、俺は俺の全てをかけて、お前と彼らをここから解放する」
満足そうに笑うシュランゲを、ラルフは静かに見つめる。
きっと多少なりとも人らしき心情の機微があれば。
(俺が消えることへの、なにかしらの思いがあれば、同情を誘えただろうな。)
ラルフは心の中で首を振る。
人を、人類の歩みを、世界そのものを美しいと感じながら、壊すシュランゲにそれを期待するのは間違いだと。
(俺も所詮は、数多く居る人類の一人でしかない)
だからこそ、ラルフはシュランゲの言動を思い返す。
おそらくはそこに、勝機があると信じて。
◆◆◆◆◆◆
「───当然だが、条件がある」
そう切り出したラルフに、シュランゲは意地悪く笑う。
「それをどう俺に強制する?これから消えるお前に」
「…先ずは条件を聞け。お前に都合が良ければ、それで良い」
シュランゲは一瞬訝しんだが、肩をすくめ「じゃあ言え」と先を促した。
「マキラを、殺してくれ」
「ああ。それはそのつもりだ。
俺にとってもアレは邪魔だからな」
何だそんな事かと言わんばかりにシュランゲは笑う。
ラルフが幾度と無く試み、失敗を繰り返してきた不可能を、この怪物はあっさりと了承してみせた。
「手段はあるのか?」
「当然だ。お前が色々と試した成果とも言えるだろうが…
いずれは世界そのものがアレを拒絶する。
今までの兵器は精々が俺を殺すために勇者が使うための武器だが、後100も同じことを繰り返せばドゥ=マキラを殺すための武器になるだろうよ」
シュランゲを殺せる武器。
ドゥ=マキラを殺せる武器。
今までの話と印象からして、シュランゲの強度は精々が悪魔程度なのだろうとラルフは考察する。
配下の悪魔を蹴散らしシュランゲを討つのを目的、使い手がエリックと考えれば、確かにラルフが今までマキラを殺すために使った武器で事足りるようだ。
(…要は、世界の敵がシュランゲがマキラへと置き換わるのか)
マキラにはもちろん、シュランゲのように人類への悪意などは無いと信じている。
(だが、世界からすればマキラは異物なのだろう)
不死の伝説を持つバンパイアにも日光の弱点があるように、シュランゲにはエリックが居て、いつかはマキラにもそれが現れる。
「だが、お前が100の生を繰り返すのは不可能だ」
シュランゲをラルフは見つめ返す。
そこに悲観は無い。あの3日間でラルフは自分に残された時間が無いことに気づいた。
「エリックにお前が俺に接触していることが判明した場合…」
「あの勇者は間違い無くお前を諦めるだろうな」
その先に待っているのはどちらにせよ消滅だ。
記憶を消すだけではシュランゲはまた蘇ることを63280999回が証明し、
悪心を切り離してもこうして接触しているとなれば、エリックはラルフを『シュランゲと同じもの』としてみなすだろう。
その後エリックがどうするのかはあまりに未知数だ。
エリックがマキラを生かす理由はラルフを繋ぎ止めるために過ぎない。
だが、その後にマキラをエリックが殺すとしても、それは───。
「醜い化物として存在を否定し、一切の慈悲無くマキラを殺してくれ」
「ああ。そうしよう
だが、それを俺にどう強制するつもりだ?」
鼻で笑いながら問うシュランゲに、ラルフは至極真っ当に答える。
「見張りを付ける。お前が今後転生する人間の近くに、この契約の履行を見張る人間を」
「おお、それは恐ろしい。精々気をつけるとしよう」
◆◆◆◆◆
シュランゲから見れば、ラルフは実に御しやすかった。
長くラルフの生を見てきたからこそ、ラルフの考えは手に取るようであったから。
「お前はここを出たらどうするんだ?」
「約束通りアレを殺してやるさ
その後はいつも通りだ。…だが、また好きにやるにしても俺が俺だとあの勇者にバレるのは面倒だ」
ここから出れさえすれば魔法を失ったエリックをゆっくり追い詰めれば良い。今回は、自らを切り離した『ラルフ』への興味からおとなしく檻の中に居たが、次はさっさと出れば良い。
見張りが何なのかは不明だが、大した問題は無い。ツェツィーリアにでも適当に処分させれば良いことだ。
ラルフの目的がマキラの死である以上は、直接的にシュランゲを殺す刺客にはしないだろう。
マキラを醜い化物として殺せるのはシュランゲしかないと、ラルフはそう思っている。
────だから、ラルフは安易にシュランゲから手綱を離したりはしない。
「死んだ人間に会えるとしたら、お前には会いたい誰かは居るのか?」
肩にかかる黒髪を払い、ラルフは問う。
同じ顔。同じ体。同じだった魂。片や欲望に忠実に生き、片や欲望を飲み下してしまいたかった。
「居ない、と言うと少し語弊はあるな。
盲目だが素晴らしい絵を書く画家、俺に戦略で勝ち続けた宰相、毒を平気で料理に使う料理人、悪魔を愛した娼婦…世界を渡り続けていると、時々あの勇者ではない人間が俺の喉元に刃を突きつけることがある。
あの勇者以外で、そうなることは俺でも数えられるほどだ。
…あれらの死の瞬間は、それは見ごたえがあった。
二度口にするには、あまりに惜しいほどにな」
「ああ、そうか、なら─────────?」
一言。ラルフは問う。
その瞬間、ずっと変わることの無かったシュランゲの愉悦が、明確に消えた。
笑うでも、怒るでも、悲しむでも無く、シュランゲの漆黒の瞳は光を失ったままじっとラルフを捉え、薄っすらと開く口は一言も言葉を紡がない。風も無い空間で黒髪が揺れ、シュランゲは手袋をはいたままの手をラルフへと伸ばした。
首元に向けられた五指が壊れた機械のようにゆっくりと曲げられる。
「俺との契約は、守ってもらえそうだな」
異様な雰囲気へと変貌したシュランゲを見て、ラルフは薄っすらと笑みを浮かべる。
シュランゲの方へ視線を向けながら、ラルフはその奥に懐かしい幻影を見ていた。いつの間にか他の記憶に飲まれてしまっていた、あの広場での記憶を。
ゆっくりと瞬きをすると、あの幻影は消えてしまって。残ったのは貼り付けた薄ら笑みを浮かべるシュランゲだけだ。
「あの化物は殺す。お前は今すぐ失せろ」
「俺はお前を許す気は無い、見張っているぞ。
それを、忘れるな」
◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆
死ぬとぷつりと意識が途切れるのに対し、今はゆっくりと俺が消えていくのが分かる。
俺の存在と引き換えに、代償を使った時に少しだけ思い出したことがある。
あの先には、神が居たはずだ。この代償という不可思議な力も、元は神の力であったはずだ、と。
檻の壊れる音がする。
あの男はあっさりと外へと出て行くのだろう。
そうしてもらわなければ困る。マキラを殺すのだから。
俺にとって最も価値のあるものはきっと、マキラ、エリックの出会いだった。
それだけは間違い無い。それだけは違わない。それだけは、後悔を、したくない。
エリック。お前はこれからもずっとシュランゲと、世界のために戦うつもりか?
なあエリック。俺はもっと、お前と話すべきだったんだろうな。まだ誰も殺してなかった頃の俺の言葉なら、お前は聞いてくれたかもしれない。
お前の光があまりに眩しいから、隣に並べれば、それで良いなんて、そう思ってしまったんだ。
なあエリック。俺は許せないんだ。
これだけ罪を重ねながら、厚顔無恥に生き続けた俺にも、許せないことがあるんだ。
それがただの俺のエゴでも偽善でも何でも良い。
でも、一つだけ、たった一つだけ許せないことがあるんだ。
だから俺は、やるよ、エリック。
なあ、親友。
俺がこれからする事を、許さないでくれ。
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