幕開け
真っ白な世界が崩れていく。
自分にそっくりな男が塵になるのに合わせ、真っ白な地面に亀裂が入る。ガラスが割れるように天井が崩れていく中、足元が崩れてい落ちていく。
下へ下へと向かう中、長いこと過ごした空間がボロボロに壊れて行くのが見えた。
「……………仕方が無い」
シュランゲは1人つぶやく。
したくない事をしなければならない。
それはひどく苦痛で嫌悪感すらある。
「…まあ、これも悪くは無いか」
決まった展開。決まった結末。今までも、これからもシュランゲはそれを過ごすのだと思っていたし、そこにあまり不満は無かった。
どうせ次へ次へと飛ばされて、好きなように遊び、好きなように壊し、好きなように生きるのだからと。
「略奪に賞賛を、支配に喝采を。
怨嗟を子守唄に眠れ我が子らよ。
唯一無二を壊す、永劫の消失を讃えよ。」
◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛痛痛痛痛痛い苦しい寒い痛い辛い助けて怖い痛い寂しい辛い怖い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い───────
──────。ああ、これはひどいな。
◆◆◆◆◆
『ラルフ』はヨーロッパにあるとあるスラム街で産まれ、母の死後は同じスラムの子どもたちとその日をなんとか生き延びていた。
泥を啜り、ゴミを漁り、奪われ、蔑まれ。
やせ細った体に反し、不自然に膨らんだ腹を抱えてそれでも生きていた。
少し前に感染症にかかり、息をする度に胸が痛むようになった。左手は怪我が化膿しほとんど動かず、視界は色を失い、ついには動けなくなった。誰かが慈悲からか口に押し込んでくる、何かよく分からないモノを嚥下する日々。
同じような景色を見て、同じような景色の夢を見る。一日が過ぎたのか過ぎていないのかすら分からない曖昧な生活。
痛いと泣くことできずただ息をしていた。
ある日の晩、少し年上の子どもに背負われてどこかへ運ばれているのが分かった。辛うじて音を拾うと、スラムの子どもを助けてくれると言う大人が現れたらしい。
大型の車に荷物のように揺られる最中、『ラルフ』はシュランゲと成った。
◆◆◆◆◆
運ばれた先は悪魔召喚の儀式場らしい。
怯えて泣く子どもの声に混ざって、呪文が聞こえる。古い魔法を使うつもりなのか、シュランゲにも聞き覚えがある呪文だった。
「(この世界は、そうか、ははは、因果なものだな。)」
霞む視界で周りを見ると、自分をここまで運んだ少し年上の子どもがシュランゲの手を握り、ひたすらに「ごめん、ごめんね」と謝っている。
その奥では事情を理解出来ていなさそうな数名の幼い子どもと双子が寄り添っていた。すすり泣く声の方には逃げようとして痛めつけられたのか、真新しい怪我を負った子どもが少し。
「(あの双子、前に俺に食事を飲ませてきた子どもか)」
近くに居た子どもをまとめて連れたきたらしく、よくよく見れば見覚えのある顔が多い。
部屋が暗くなるにつれ、魔法陣が怪しく光り出す。呪文を唱える者たちの声に歓喜が混ざるが、これはただの蛍光塗料だ。凝った演出も、それらしい服装や置物も、金持ち向けの詐欺らしい。
だが、それが故に『本物』を持ち出してしまった様だ。奥の老人が持つ書は、遊びで手を出す代物では無い。
「(ここからでも、まあ、いけるか)」
枯れた喉を振り絞り、シュランゲは口を動かす。
「略奪に賞賛を…支配に喝采を…」
まともに言えず、傍で怯える子どもすら気づかないほど、か細い声。
人工的な光がどんどんと強さを増す。仕掛け人らしき奥の人々が疑念の声を上げるのが見えた。
やがて呪文を唱える者たちがもがき苦しみ出す。詠唱が、止められないのだろう。
男の一人が床に倒れたのを皮切りに、一人、また一人と倒れていく。この身に魔法が無くとも、【あちら】には聞こえたらしい。
手を握り続けていた子どもの首が、唐突に消えた。
めぇええええ!!!
それは、あまりに似つかわしくないヤギの鳴き声。
魔法陣が光を失い、床から滲みだすように沸いた黒い液体が辺りを覆っていく。
子どもたちが怯えながら液体から逃げるのが見えた。引っ張られる感覚に目玉を動かすと、動けないシュランゲを双子が液体から引き離すべく動いているのが見えた。
液体はやがて広がることを辞める。
生贄の子どもたちも儀式を行う大人たちも固唾を飲んで液体を見つめていると、薄汚れた毛で覆われたヤギの頭が顔を出す。
蹄、胴体と這い上がってきたヤギは、目の前にいた子どもの首を食いちぎった。
知性も理性も感じられないどこかの異界から現れた悪魔は、次々に目の前の【エサ】に食らいつく。
つんざく悲鳴と共に蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑う子どもや大人・老人を、ヤギの悪魔は楽しげに鳴きながら食い散らかす。
ギョロりとした細長い瞳孔が床に寝たままのシュランゲを捉える。動けないことを悟ったのか、ヤギはのんびりと歩いてこちらへと近づいてくる。顔を近づけられると、生暖かい息が血なまぐさいのが分かる。べろりとざらつく舌で顔を舐められた。草食獣特有の歯には、肉や布地が挟まっていた。
また体を引かれた。あの双子がヤギからシュランゲを引き離し、シュランゲを守るかのように抱きついていた。
ぼんやりと記憶を辿ると、どうやら『ラルフ』はこの双子の面倒を見ていたらしい。
「…ツェツィーリア」
「ハィ。我が王」
シュランゲがその名を呼ぶと、返事はヤギの悪魔の口の中より聞こえた。
それと同時にヤギの悪魔は突然じたばたと蹄を踏み鳴らす。何度か苦しそうに鳴き、それはどんどんと悲痛の叫びへと変わっていく。
一際甲高くヤギが鳴くと、ヤギの腹から一気に血が吹き出した。苦痛にしばらく暴れていたが、やがてバタリと自分自身の血溜まりの中へと倒れてしまう。
血が波打つのを辞めた頃、ヤギの毛の下でなにかがもぞりと隆起する。そいつらは傷口を通って姿を表した。
黒く、小さな蝿たちがまるで噴き出す血のようにヤギの腹を食い破って飛び出す。
蝿たちはは音を立てながら黒い煙のように部屋の天井スレスレをしばらく飛び、シュランゲの近くへ黒い塊となって降りた。
塊の中心から、浅黒い手がにゅうと伸びる。
蝿の塊からまるで脱皮するようにツェツィーリアがぬるりと姿を表した。彼は外へと出ると、人間らしがらぬ頭の触覚を揺らしながら、恭しく頭を下げる。
「小生、王のご帰還を心よりお待ちしており…アレ?」
床に横たわる子供をみて、ツェツィーリアは首を傾げた。
それから数秒の思案。はっと何かに気づくと、途端にケラケラと笑い出す。
「我が王!ああなんと痛ましいお姿くぷぷ…。
今にもウジが沸きそうですなあ」
隠す気もなくあっけからんと笑い、ツェツィーリアはシュランゲの横に膝をつく。何も無い空間から黒いマントを引き出し、シュランゲを包んで抱えた。
「フム…小生と彼だけです?」
喋るのが酷く億劫で、ただ無言で頷く。ツェツィーリアは心底呆れながら、またケラケラと笑った。
「さて、どこかで手当てをしなければなりませんな
ふふ。小生もそれなりにお仕えしてきましたがここまで惨めな我が王を見るのは初めてですな」
部屋の外へと歩き出そうとしたツェツィーリアを、シュランゲは服を引いて止めた。
先程からツェツィーリアの後ろから聞こえている、妙な音と音源の方へ向かったはずの、ヤギが倒れると同時に居なくなった双子の事が、ずっと気になっていた。
「アレマア」
ツェツィーリアが感嘆する。シュランゲもその光景を見て、思わず笑みが零れた。
生贄として共に連れてこられたあの双子が、動かなくなったヤギの悪魔を食べていたのだ。
◆◆◆◆◆
ヤギの悪魔はシュランゲに喚ばれた事でこちらへとやってきた。
ツェツィーリアに腹を食い破られてしまったが、先程たらふく食べたことからすぐにその傷は回復するはずだった。
「…」
「…」
肉付きの悪い人間の子どもが2人。こっちを見下ろしている。骨と皮ばかりのようだから、あまり美味そうに見えず放っておいた双子だ。
二人分の小さな右手がそれぞれヤギの破れた腹を掴む。
血に気を止めず膝をつき、じっとこちらを見る双子にヤギは心底恐怖した。
──まさか。
だが、あの目をヤギはよく知っている。
あれは捕食者の目だ。この双子は、ヤギを食物として見ていると気づいたからだ。
ぐちゅり
小さな口がそれぞれ傷口から食らいつく。
その体のどこからあるのか分からないような力で肉を食い千切られ、咀嚼され、嚥下された。
悲鳴が出ない。ツェツィーリアが乱暴に腹を食い破ったとき、喉まで裂けてしまったようだ。
ヤギの悪魔は子どもは片手で縊り殺し、ひとのみにしてきた。ただのエサに食われるひどく屈辱的な光景にヤギの悪魔はひたすらに声なき悲鳴を上げた。
にちゃ。くちゃくちゃ。ぐちゅ、にち、ぐちゃぬちゃ。
双子が笑っている。笑う双子に目玉を片方ずつ奪われた。闇の中でヤギの悪魔はただただ自分が食われていくのを感じていた。
普通の人間にしか見えない小さな双子は、最後は骨までしゃぶって噛み砕いて飲み込んでしまった。
「アレマ。食べちゃいましたか」
2人の倍近い体積があったヤギはあっという間に食べつくされてしまい、双子はのんきに血で汚れた指をしゃぶっている。
蝿の蹂躙により、この儀式場に居た人間は双子とシュランゲを除き殺し尽くされた。
「ハァ、我が王。小生ああいう汚いの嫌いなのでスが」
シュランゲはただ微笑んでツェツィーリアを見上げるばかり。
やがて諦めたツェツィーリアは、ひょいと双子を担ぎ上げた。
◆◆◆◆◆◆
剣術。体術。画力。色彩感覚。権力。魔法。門。幸運。病無効。毒無効。呪無効。魔法無効。痛覚弱化。睡眠不要。再生。etc
出し惜しみをしていた訳ではないが、代償を使うほどにここぞという場面が無かった。どうせなら派手にやろうと払った結果、舞台に上がった途端に死ぬところだった。
「ふひっ、」
前は悪魔として転生をすることがほとんどで、そも瘴気の効かないそれなりに頑丈な体だった。
悪魔の世界に生まれなくても自力で門を開いてさっさと向こう側へと渡れたのは、誕生=即死の環境では無かったからという事実には、当たり前すぎて気づかなかった。
剣術を捨てた結果、まさか物理的に左腕がほぼ動かない状態にされるのは、さすがのシュランゲにも予想外の出来事で。握力が弱い手は、精々がペンが持てる程度だった。
今回転生した世界は魔法の名残はあるが旧時代の魔女裁判でほとんどが失われ、科学にシフトしている。
銃はあるが撃つには訓練が必要だろう。
縫合された胸に手を当てる。肺の半分は無いし、他にも内蔵にダメージが多く医者には長く生きられないと言われた。
「(ここまでの重症化は予想外だが…)」
ちらりと目を向けた先にはシュランゲの汗を拭うべく桶で布を濡らすエミーリアが居る。
「(こっちは上手くいった)」
いかにエリックに悟られずに悪魔の手駒を揃えるか。
そこにもシュランゲは代償を使った。
本来、送られるはずだったエミーリアやヒルドルフといった檻に居た者たちの魂と、シュランゲの配下の魂を混ぜたのだ。
人間が悪魔に変質することはある。クラウンのように、魂を悪魔のものに歪めるのだ。
配下の中でも特に自我の強い悪魔たち。彼らは根本をたどればシュランゲの所有物であるため、代償で好き勝手に魂をいじることができた。
悪魔たちはそれぞれ元の人間と混ざり、悪魔のまま人の皮を被ってこの世界へとやってきた。
そうしてエミーリアと混ざった悪魔の魔女は、シュランゲの命令に従う駒として、甲斐甲斐しくシュランゲの世話をしている。
「ぼす、おみずのむ?」
「ぼすはのどかわいた?」
ベット脇ではあの双子がコップとピッチャーを持って立っていた。
この双子はラルフが用意した見張りだ。
シュランゲがマキラを殺すまでシュランゲを守るために、ラルフが生み出した。
「(ドゥ=マキラをあれほど嫌悪していたあいつが、コレを、ねえ。)」
この二人がなぜ悪魔を食えたのかは創ったラルフにしか分からないことだ。
その上、双子は人間とは思えない身体能力と成長速度を見せている。見分けをつけるためにシュランゲが潰した右目と左目はそのままだ。
精神は子どもらしく、あまりにも簡単に言いくるめられた。あっさりと騙されてしまうのは、ラルフの自分の存在という小さなリソースからでは、あまり細かい設定をできなかったからだとシュランゲは一先ず結論づけた。
ツェツィーリアにはエリックの撹乱とドゥ=マキラ及び他の悪魔の捜索を命令して馬車馬の如く働かせている。
「ぼす?」
双子の名前は潰した目にちなんで
「おみず?」
差し出されたコップにはなみなみと水が注がれている。エミーリアの助けで体を起こし、ぬるい水で喉を潤した。
痛みに顔をしかめながらも、シュランゲはこの状況を楽しんでいた。
体も満足に動かず、使える手駒も少ない。戦力も兵站も惜しみなく放出して戦っていた今までと比べると、あまりに頼りない。
「はぁ」
不自由だ。でも不自由過ぎて楽しい。
奇妙な感情だが、シュランゲは古びた天井を見上げて笑う。
世界は美しく、人間は欲望のままに発展を続けている。
平和なまま積み上げられた歴史を壊したい衝動と、今は不可能という事実。
「(この世界を壊し尽くせれば、どれだけ甘美か)」
そんなことを考えながら、シュランゲはゆっくりと目を閉じた。
◆◆◆◆◆
◆◆◆◆
この先、シュランゲは手駒を揃えながら舞台を整えるために動くことになる。
エリックに一度でも悟られれば終わりの状況が分かっていたシュランゲは、代償を払い予知夢を見られるようにしていた。
それは夢であり、本当にあるかもしれない可能性。
シュランゲがそのまま進めば、そう確定するエンディングの台本。
常人であれば発狂するような自分が死ぬ夢をシュランゲは見続ける。
眠りながら、シュランゲは望んだエンディングを求める。
「(それでも最後は、予想外になって欲しい)」
夢の内容を知るシュランゲと知らないシュランゲでは、同じ行動はできない。そのため小さな歪みから未来は無数に変化する。
望んだエンディングを見つけられたとて、そうなることは無いかもしれない。
何度でもエンディングを見ながら、シュランゲは考える。
「一番おもしろおかしくて、一番最高で最悪のエンディングを」
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