何度でも
それは、バットエンドのような
色が分からない。
味覚が薄い。
音が遠い。
舌がもつれる。
眠れない。
幻聴がする。
幻覚が見える。
頭が痛い。
匂いがしない。
気づけば怪我をしている上に、昨日のことが思い出せない。
転生し、記憶を取り戻すたびに精神がおかしくなっているのが分かる。いつまで自分を保っていられるのか、はたして今の自分はかつてと同じなのか。
メ゛ェェェエエ工゛
ヤギ頭の悪魔が鳴く。金属製の拷問器具から出たマキラには傷一つない。内側に無数の毒針を付け、もう1ヶ月も閉めておいたというのに。
それを見て、ツェツィーリアが笑い転げている。何がおかしいのかは一つも理解ができない。
呪いの人形が部屋の隅で子どもの死体を振り回して遊んでいる。魔女が壁を長い爪で意味もなく引っ掻き、多眼の狼が人の頭蓋骨をガムのように噛んでいる。
これが今の
「ラルフ、やっぱりわたし」
「それは、ダメだ。それだけは、ダメなんだ」
最近のマキラはそればかり言ってくる。悪魔にさえ自分が殺せないと分かると、会うたびに言うのだ。
「でも、エリックなら」
「アイツが君を殺すわけないだろう」
「だから、」
「ダメだ。マキラ。この話はもう終わってる。そうだろう?」
この話も、もう何度目だろうか。
マキラの提案には、最初こそ真っ向から反対していた。だが、時間が経てば経つほど、転生を繰り返せば繰り返すほどに抗いがたい甘言に変わっていく。ふいに頷いてしまいそうになる。
「そんな事をする必要は無い。
俺が必ず、殺す」
◆◆◆◆◆
耳鳴りがする。
『次は何を試す?』
この幻聴は今日もうるさく話す。自分の中にもう一人、自分が居るのかのような嫌悪感。
渡り歩く世界で試せるだけのことを試す。まだ行っていない世界はあといくつあるのだろうか。それが尽きたとき、どうなるかなんて考えたくもない。
『まだお前が試していない事があるだろう』
「俺が…?」
暗い部屋で一人、ランタンの明かりをじっと見つめる。
これと話している、と思いこめば、まだマシな気がしていた。
『アレを孕ませるのはどうだ?』
一瞬、あまりに予想外な言葉に頭が真っ白になる。
そんな俺を見下して笑いながら、幻聴は話を続けた。
『はははは!苗床にしておいて、考えつかなかった訳じゃないだろ。
毒の沼に生きる生物が毒への抗体を持つように、アレが孕んで産んだ子ならアレを殺せる可能性ぐらいはあるだろうよ』
なえどこ。肺を鷲掴みされたように息が詰まる。
マキラを殺すため、マキラを蟲や魔物の苗床にした。腹を食い破られ、食い散らかされ、体の栄養を吸い尽くすようなものを寄生させた。目や口から幼虫を這わせながらこれでは死なないと首を振るマキラ。
空のはずの胃からせり上がる苦い味に顔をしかめながら、ランタンを睨みつけた。
『仮にアレに卵子があった所で、人間の精では孕まんだろうよ。
だが、アレがお前の子を孕んだと、孕みたいと望めば何かは産まれるだろうな』
「それならマキラを殺せると?」
『何でも、するんだろ?』
膝の上で手を握る。いつの間にか噛んで荒くなった爪先が皮膚に食い込み、傷跡を作る。
女を抱いたことは何度もある。政略としても、恋人や妻としても。
「無理だ」
幻聴の言うことに納得をしながらも、否定する。
マキラを抱く。それを考えるだけで寒気がするのは、エリックへの義理やマキラへの純粋な想いでは無い。
それを分かっていながら、幻聴は言葉を投げてくる。
『なぜだ?試す価値は十二分以上にあるだろう。
アレは少女として扱ってやれば簡単に受け入れるだろうよ。少し困った顔をしてお前を想っていた、一夜の思い出をなどと縋ればいいだろう』
わざとらしいまでに演技がかった声に苛ついてくる。
(胸糞の悪い…)
耳を塞いでも聞こえる声に頭痛がしてくる。鐘の中に放り込まれたように幻聴の声が痛いほど脳内で反響して聞こえていた。
『あはははは!!!
まあ、お前はアレに対して性的興奮を覚えないだろうがな!想像しただけで吐き気をもよおすほどに!』
高笑いを聞きながら顔を手で覆い隠して蹲る。頭が痛い。
マキラを愛している。それは間違いなくそうなんだ。
(だが、1枚皮を剥けば…)
愛しい人の皮を被った化け物。
どうしても、マキラをそう認識していることは自覚していた。
『お前をその気にさせる方法はいくらでもある。
薬でも、幻覚でも、魔法でもな』
「黙れ」
『アレが人間だった頃に一度も欲情しなかったほど、清廉潔白でもないだろ』
「黙れと言っているだろ」
『惚れているなら尚更女として扱ってやったらどうだ?アレも久しいだろうよ』
「黙れ、」
『エリックに抱かれたのかどうか、聞いてみるのはどうだ。案外処女のまま────』
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!!!!」
横薙ぎに振るった手がランタンを跳ね飛ばす。
床に飛ばされて割れたガラスから火がこぼれ落ち、カーッペットをジリジリと燃やし始めた。
放っておいてもヤギか狼辺りが気づいて火を消しに来るだろう。悪魔に守られた王は転ぶことさえ無いのだ。
『あはははははははは!!!!』
それよりも今は耳を塞いでいたい。
自分の声で永遠と囁かれる幻聴。見透かすように話してくる言葉の一つ一つがひどく耐え難い。感情を乱され暴かれることが恐ろしい。
仮面を一つ被れば誰も踏み込んで来なかった、エリックとマキラにさえ見せなかった自分をこの幻聴は易々と看破する。
(黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい)
仕切りにそう繰り返し、幻聴を少しでもと遠ざける。
しばらくして目を開ける頃には火は消えていた。
割れたランタンは片付けられ、まだ焦げ跡の残るカーペットと嫌な臭いが残る室内。誰かが消しに来たはずなのに、それにすら気づくことができなかった。
◆◆◆◆◆
暗く、暖かい感触に薄っすらと目を開ける。
あの後も幻聴から耳を塞ぎ続けていたが、いつの間にか眠っていたらしい。半ば気絶するように眠ることは前から度々あったから、今回もそれだろうとぼんやり考える。
(なんだ、なんだか、眠い)
幻聴が無いことに気づく。なら、余計に今は眠りたいと体の力を抜く。
(…?)
唇に固い物が触れる。口内に生暖かい液体が流し込まれる。味はあまりしないが、嚥下するとすんなり喉を通って胃へと落ちる。
目だけを動かすと薄暗いながらに誰かが自分の口に何かを流し込んでいるのがわかった。
(なんだ、…だれだ…)
体がだるい。上手く頭が回らない。
味覚へとなんとか意識を集中する。遠い味覚をなんとか辿ると苦味と草のようなえぐみを感じた。
(くすり…?)
『お前、盛られてるぞ』
◆◆◆◆◆
狙いすましたかのように、幻聴が囁く。
何者かに薬を飲まされている、そう気づくと同時に咄嗟に舌を噛んだ。おぼろげだった意識を痛みで引き戻し、液体を流し込む器を手で払って誰かを突き飛ばす。
「ゲホ、っ?!ゲホッゲホッ、ッっだ、誰だ!」
部屋は薄暗く、ぼんやりとした輪郭しか分からない。ソファから転がるように落ち、ぴったりと閉められたカーテンを引きちぎる勢いで開ける。
月明かりが部屋へと入る。口元を拭い、それを飲ませた誰かに目を凝らした。
「…?マキラ?」
ソファの傍に居るのは、間違いなくマキラだ。
器の中身が服を汚しているが、それを気に留める様子は無く、残った片目でじっとこちらを見つめながら、マキラは口を開いた。
「ごめんなさい、その、部屋の前を通りがかった時に声が聞こえて…」
声。
さっきまでの会話がフラッシュバックする。
────お前をその気にさせる方法はいくらでもある。
薬でも、幻覚でも、魔法でもな
「マキラ、その、その薬はなんだ」
「怪しい物じゃないわ。…ただ、元気になって欲しくて」
「ッ────!!!
出て行け!!!」
怒鳴る。何に怒っているのか、何に憤っているのか。なにも理解できずに感情のままに怒鳴る。
マキラが死にたいと思うことは理解している。だが、マキラが自分に薬を盛るような行動に出たことに驚くほどにショックを受けていた。
マキラは数秒じっと俺を見た後、落ちた器を拾って部屋を出ていった。
ドアが閉まると同時に力が抜け、その場に座り込む。早い脈と止まらない汗に息を荒くしながら、カーペットのシミとマキラの出て行ったソファを交互に見た。
◆◆◆◆◆
『少しは冷静になったか?』
クスクスと笑いながら幻聴が言う。
「…貴様に助けられるとは思わなかったがな」
上着を脱いでその辺に放る。時計を見ると2時間ほど経っているのが分かる。意識の無い内にどれだけあの薬を摂取したのか。
部屋の扉に気休めだが鍵をかける。
(効果が出るのはいつからだ?体は軽いのは精力剤か?)
元々あったマキラの薬剤への知識は長い時の中で膨大な量になっていた。マキラを殺すためにその知識を借りることも多かったが、まさかこんな事になるとは思っていなかった。
『…………………ふひっ、あひゃ、あひゃひゃひゃ!!!!ああ!ダメだ!耐えられない!!あははははは!!』
唐突に積を切ったように幻聴が笑い出す。
「っ!うるさいぞ!何なんだ!」
中断された思考に苛立てば、輪をかけて幻聴は大声で笑った。
『お前っ!!まさか気づかないとは思いもしなかった!!
なあ!俺がこんなに笑っても誰も咎めないのは何故かなんて事を忘れるほど俺が居るのが当然になったか?!』
馬鹿にするように言う幻聴。
頭がガンガンと痛むほどに笑う声に顔をしかめながら言葉の意味を考える。
(この声は幻聴だ。俺の声だが俺の頭が勝手に作った偽物の声に過ぎない…それがなんだ)
『ああ、それともよほど疲れているのか?
なら大ヒントをやろう。
俺の声がアレに聞こえていた訳がないだろう。』
「…ぁ…」
ぽかんと口を開けた俺がさぞ面白かったのか、幻聴はまたゲラゲラと笑い出す。
さっきまでの忌々しい会話で、主に喋っていたのは幻聴だ。マキラを孕ませるという提案も、それに伴う過程も全ては幻聴のものだ。
それを、部屋の前を通りがかったマキラが聞いてるはずがないのだ。
部屋を覗き見たとすれば、ランタンに向かって話駆ける男か、燃える火そっちのけで黙れ黙れとうわ言の様に呟いているか、死んだように眠っているかのどれかだ。
気が狂ったか、また過労死手前に見えていてもおかしくない。
『随分と弱ったな』
前なら気づけていただろうと幻聴は嗤う。
────殺さなければならない。
マキラを、俺の知るマキラをあの腐肉の檻から出してやりたい。それさえ出来れば良いとただただ進んで、進んで進んで進んで進んで。
現実さえ見えなくなった目でどこへ行けると言うのか。
振り返ればそこに積み上がるのは自分と他人の死体の山。百を殺し千を殺し万を殺し。何も得られぬまま世界をすり減らして。
今回も、後幾日かすればエリックが来る。
(世界を、救いに来る
俺から世界を救いに来る)
悪魔でさえ呆れを見せ始めている。飽きている連中も居る。ただの蹂躙じゃ奴らには足りないのだ。支配し、肉欲に溺れ、時には殺した肉で塔を建てたいのだ。
ツェツィーリアと名乗る悪魔は言う。俺のやり方には芸が無いと。楽しめとでも言いたいのだろうか、こんな無意味な戦争のなにを楽しめばいい。
楽しい事がしたい。
あの日に戻りたい。
だが、マキラを殺した先にそれは無い。
エリックはなぜああも輝いているのだろうか。
もう俺はあの目を見ることができない。責めるようなあの目を見るたびにジリジリと心が灼かれる。
なぜ諦めるのだと責められているかのようで、自分勝手に苛立ってしまう。
『本当にそうか?』
幻聴がする。黙れ。
『本当に、お前が悪いのか?』
幻聴がうるさい。黙ってくれ。
『マキラがああなったのは、エリックが何かしたからじゃないか?』
幻聴がする。
『エリックが魔法を使わないのはなぜだ?』
幻聴がうるさい。
『奴は魔法を使えないんじゃないか?』
幻聴が
『魔法を捨ててマキラを変えたとしたら?』
げんちょうが
『お前が今歩く地獄は誰が作ったんだろうな、ラルフ』
げんちょう、が
『助けてやろうか?
マキラをエリックをそしてお前を、更には世界の全てを俺が救ってやろうか』
げ ん
ちょ う
が────
「────」
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