はっぴーえんど?



「なあ、食事を持ってきてくれないか?」


 マキラは考える。

 先ほど自らの手を払い、拒絶したラルフが何事も無かったように話かけてきたからだ。しかも、色の悪い顔はそのままなのに、やけに生き生きとした目で。ドゥ=マキラバケモノを拒絶する意思を、見せもせず。

「ええ、分かったわ」

 困惑しながらもマキラは頷く。何にせよ、食事を摂る気になったなら喜ぶべきだろうと疑問はひとまず飲み込む。ここには他人に化ける事のできる悪魔のクラウンも居るが、奴はラルフには化けなかったはずだ。


 食堂に何かもらいに行こうと踵を返したマキラの背に彼は言う。

「草粥以外で、肉か魚にしてくれ」

「?ラルフがそう言うなら…」

 肉や魚は随分前に受け付けなくなったと、前に言っていた。消化に悪いものも良くないだろう。ただ、振り返った彼が穏やかな笑みを浮かべているからそれ以上の否定ができなかった。




 ◆◆◆◆◆


 ◆◆◆





 今の彼らが暮らすのは悪魔たちの手に堕ちた城塞都市の城の中。玉座に腰掛けた彼は皿の中の白身魚を口にし、不満そうにつぶやいた。


「不味い」

「なら小生が頂いても?」

 玉座の前には後から持ち込まれた不釣り合いなテーブルが置かれ、その上にはこの世界の地図が広げられている。

 各地の伝承や伝説の残る箇所に赤で印が付けられていたが、今はそのほとんどに上からバツ印が書かれている。

 皿をツェツィーリアに渡すと、彼は手元の駒を取っていくつか並べて始めた。


「はて、何を始めます?

 もう勇者はそこまで来てますケド」

 ほとんどの悪魔は幾度と無く繰り返されるエリックの処刑に嫌気が差し、エリックの接近に合わせ元の世界へ逃げるようになった。

 今回も例外無くほとんどの悪魔が穴から向こうへと1ヶ月ほど前にごっそり帰って行ったが、ラルフは止めなかった。

 皿に残った魚を平らげ、ソースを舐めるツェツィーリアに、彼は手元の羽ペンを突きつけた。

「蹂躙に決まっているだろう。

 ツェツィーリア。今すぐ連中を呼び戻せ」

「ハァ?なにを今更…」


 肩をすくめ、心底面倒くさそうにツェツィーリアは空の皿を放る。宙を舞い、少しの間の後落ちた皿は破片を撒き散らして割れた。

 彼は羽ペンを突きつけたまま、ニィと笑った。

「俺を待たせるな、ツェツィーリア。

 略奪も支配もできないなら、に褒美は無い。が退屈だと言うから、わざわざ出てきてやったんだ」

 ほんの10cm、彼はペン先を突き出す。

 胸の辺りに当てられたペン先からインクがにじみ、黒いシミを作るが、ツェツィーリアはそれ自体には気を止めない。代わりに、じっと数秒彼の目を覗き込み、それから面倒くさそうに降参と言わんばかりに両手を上げた。


「………ああ、なんだ。ソッチですカ」

「楽しみだな、ツェツィーリア。

 ああ、俺は心底この世界が愛おしいよ」


 ツェツィーリアの指先や肩が分解し、ハエの群れへと変わっていく。バラバラに飛び去るハエは意志が無いように見えても、全ての個体がツェツィーリアが彼の願いを叶えるために飛ぶのだ。


「(小賢しい真似を)」

 地図と共に並べられた資料には、各地の被害状況等が取りまとめられている。

 女子どもの犠牲者が特に少ないのは、人類側がそれらを守るべくそうしたのもあるだろうが、彼が意図して行っている所も大きい。

 無意識にしろ意識的にしろ、悪魔たちの通り道の穴の建設を最小限にし、更には戦争による人類側の被害を抑えていた。


「まだ、正義でいるつもりか?

 それとも贖罪か?

 どちらにせよ向かないことは辞めてしまえ」

 羽ペンを置き、代わりにインクのボトルを取って地図へとぶちまける。

 半分以上が黒く染まった地図を見て、彼は心底楽しそうに嘲笑った。


「繁栄ほど、人類に不要なモノは無い」




 ◆◆◆◆◆


 ◆◆◆




「ははははは!!」

 この都市で一番高い時計塔の屋根の上で、彼は腹を抱えて笑っていた。

 眼前では家が燃え、悪魔や人外の獣たちが人々を襲っている。逃げようにも主要な道には毒が撒かれ、今まさに袋小路に追い詰められた兄弟とおぼしき子どもがお互いをかばって健気に震えていた。

 この世界で一番古く、歴史の長い都市は彼たちが元居た崩壊都市より最も遠く、当然に兵士のほとんどが前線へと送られ、防衛はかなり手薄だった。


 彼がどうやって悪魔の軍を運んだのかと言えば、騒ぐ悪魔たちの口を縫い、邪竜の腹へと詰めたのだ。

 重い腹で呻く邪竜に空を飛ばせ、都市の上で腹を裂いた。


 当然に邪竜は死ぬし、腹の悪魔も一部は潰れて死ぬが、死体から瘴気や疫病を撒き散らすような種族の悪魔を選んだため、この都市はもう使い物にならないだろう。

「はははは!!ひぃ、ひぃ………あはははは!!!」

 爪を長く伸ばした魔女が若い女から服と皮を剥ぎ取り、複眼の狼が大人一人を貪る間、呪いの人形が死体を操り家族を襲う。ヤギが腹に付いた2つ目の口で人を食って回る。

 どろどろに溶けた黒いスライムの様な生物が足からじわじわと人を溶かしたり、向こうでは爆発と火の手が次々と上がっている。


「楽しそうですネ」

「ねーほんとに」

 ツェツィーリアとクラウンが笑い転げる彼の傍でため息をつく、彼は肩で息をしながら興奮気味にまくし立てた。

「ああ!燃えていく!人が!街が!終わっていく!」

 特段言いつけられた訳ではないが、ラルフを一人にしておくのは不安だからと残った2匹の悪魔だが、クラウンは彼を見て、逃げ惑う人へと視線を移した。

「ねえ、あの美人貰っていいかな」

「ハイ?大抵は早いもの勝ちですよ」

「え?マジ?行ってこよっと」

 クラウンが下へと飛び降りると、残されたツェツィーリアは笑い転げる彼へ声をかける。


「我が王、そろそろ帰りませン?

 ここまで火が登ってきますヨ」

「美しいな、ツェツィーリア。

 ああ、本当に、本当に素晴らしい。」

 全く会話にならない答えにツェツィーリアはがっくりと肩を落とす。

「人類が決して取り返しのつかない時間を、ひたすらに重ね、託し、繋いで作り上げた世界が…ああ、壊れていく」

 街並みを、営みを。心の底から称え、彼は悪意無く賞賛を贈る。


「趣味悪…」

 ツェツィーリアがつぶやく。悲鳴や破壊音の最中だが、聞こえなかった訳では無いだろう。

 振り返った彼はこれまた無邪気に笑っていた。


「足止めはまだ持つだろう」

 前線から離れ、戦力が少なかったとは言え、現在この都市には人類側の軍が向かっている。

 ある程度の破壊が終わった後、悪魔たちのいくらかをそちらへと送ったのだ。


「今の人類の技術と戦力では、あと半日は突破できないだろうよ。」

「突破されましたケド」

 上機嫌だった彼だが、ツェツィーリアの冷ややかな声にピタリと表情と体が固まる。


「ふぅ…勇者か?」

「イエ、何だったか、どこかの無名の騎士ですネ」

 エリックでも、その仲間でも無い。

 そんな騎士に悪魔たちは殺られたと言う。

「弱くなったか?」

「まあ、ソレナリに」

「うん、なら悪くない。勝ち過ぎるのも面白みがないからな」

「毎度毎度、本当に楽しそうですネ」

 ふんだんに嫌味を含めた言葉だったが、彼は笑みを返すだけだ。


「勇者は?」

「あと3日半ぐらいはかかるでしょうネ」

「そうか。

 まあ、明日からまた世話をしてやれ」

「ハテ、また返してやるので?」

「一時的なモノだ。今もここでうるさく喚いている」

 彼が頭を指差すと、ツェツィーリアは小さく頷いた。


 気づくと時計塔も今にも崩れそうになっている。

 ツェツィーリアに抱えられ、彼は空へと舞い上がった。

 美しかった都市はもう見る影もない。

 そのかつての光景を脳裏に映しながら、彼はとても、とても邪悪に笑った。




 ◆◆◆◆◆


 ◆◆◆




 痛む頭を抱え、泥の中に沈められたような閉塞感と息苦しさの中、頭の中に勝手に流れてくる映像にやめろやめろと喚いていた気がする。

 起きてみれば多少体の倦怠感がマシになっていた他はあまり変わりが無い。

『おはよう』

 幻聴も相変わらずだ。


 ベッドから一歩降りようとした瞬間、全身から汗が吹き出した。頭の中に流れていたあの映像。微睡みの中で夢だと思っていた、思いたかったあれが、夢では無いと今確信した。

 嬉々として竜の腹に悪魔を詰め、崩壊する都市を見て笑い転げていた事実。

(違う、あれは、俺じゃない)

『本当にそうか?』

 思考に幻聴が割り込む。

『本当に、お前の感情では無かったのか?』


(ああ、まずい)

 ラルフは幻聴に身を固くする。

 右手が意志に沿わずに持ち上がる。ベット脇の鏡によって自分の顔が映された。


 笑っている。


 これも、自らの意志とは違う。何度瞬きしても口や目は楽しそうに笑っているし、右手は動かない。

(やめろ、)

「楽しもうじゃないか、世界は破壊されるその瞬間が最も美しいのだから」

(嫌だ


 ───やめろ!!!)


 自由な左手で鏡を奪って壁へと投げ捨てる。

 重い音と共に壁にぶつかり、床へと落ちると高い音を立てて鏡は割れた。


 呼吸を整えながらおそるおそる顔に触れる。右手はもう自由だったし、顔は笑っていないようだ。

 慎重に割れた鏡を拾い、顔を見てもやはり顔は自分のものだ。青ざめて、冷や汗をかき、全身が震えていた。

 ただ、それでも体は思い通りに動く。


(あ、くそ、くそ!!エリック、エリック、エリックエリックエリックエリックっ!!)


 自らの肩を抱いて蹲る。耳障りな笑い声が頭に響く中、早く終わらせてくれとラルフは願った。

 他の誰でもない友の事を想い、望み、願うラルフを幻聴は容赦なく追い詰める。

『次に勇者が殺しに来たら、お前が願ったらどうだ?

 そのエリックに、アレを殺せと』

(それはダメだ、ダメなんだ。)

『恋人を殺させるのは酷だと?


 お前、


(なにを)


『本当に、エリックがマキラを想っていると、愛していると思うのか?』


(なにを言っている)


『試してみろ』




 ◆◆◆◆◆


 ◆◆◆




 たぶん、世界は赤いのだろう。


 今この目に映る世界は、どこを見ても黒か白しかない。

 だが、あちらこちらで死ぬ人々や燃える炎を見る限り、世界はどこも赤いのだろうと思う。

 多くの人を殺した俺は、いつしかエリックの顔をまともに見れなくなっていた。色を失ってようやく見れるようにはなったが、味気のないモノクロの中であまりに輝いているから、今度はココロが潰れそうになった。


 今、城壁の上でエリックと対峙する。

 めずらしく静かな幻聴は、出てくる気が無いようだ。

 邪竜の一件から素直に従うようになった悪魔たちのほとんどを向こうへ帰し、ここに居るのは僅かな手勢のみ。


 ここで俺は死に、世界は救われる。

 それが全世界全宇宙の総意で、運命なのだろう。


 試してみろ。


 その言葉が頭の中を巡る。目をそらしてきたエリックをもう一度よく見る。

 世界のため、誰かのためにエリックはその力を振るう。どんな絶望も乗り越え、前へ前へとひたすらに進み続ける。


 初めは友人が欲しかった。いつしかエリックのその心の有り様を尊敬し、そうなりたいと思った。きっと神の言う、正しき心はエリックなのだろうと。

 だからマキラへの気持ちに気づいた時、決してそれは叶わないのだと同時に理解していた。

 エリックなら、マキラを幸せにしてくれる。あのひだまりの様な彼女を守ってくれる。きっと、きっとその役目は俺じゃない、と。


 だが、今のマキラはどうだろうか?


 永遠と生きることを強制され、笑うこともほとんど無くなった。

 肉片にすりつぶしても平然と元通りに戻る、今まで出会ったどんな生物よりも強靭で醜悪な、悪魔にさえ殺せない化け物。


「エリック、お前に頼みがある」


 かつて問うたことをもう一度。

 だが、今度は違う形で。


「マキラを殺す方法を、俺に教えてくれ」


 ただ一言、幻聴の言葉を付け加える。


「その後なら、俺は正義のためだけに生きる。

 お前の隣に並び立つことを諦めないと誓おう」



 ◆◆◆◆◆


 ◆◆◆




「いいよ」


 ライフの知る限り、この世界この宇宙で時が止まったことは一度も無い。

 一時的に腐敗を遅らせたり、思考を止めることで時が止まったように感じさせることは出来ても、時間だけは常に進み続けていた。

 だから、時が止まったように思っても、実際は取り返しのつかない1分1秒は進み続けているのだ。


「…」

「でも僕はもう魔法を使えないから、別の方法を考えなきゃね」

 ライフはゆっくりとまばたきをした。

 目の前に居るエリックの言葉が、感情が何も理解できなかった。かつてそれを持ちかけた時にエリックからは怒りを感じたのに、今の彼にそれは無い。


(たかが、そんな事で?)

 幻聴は無いのに、あの幻聴は笑い転げているように思える。

 マキラを殺すことを忌避していたのだとライフはずっとそう考えていた。なぜならエリックはマキラの恋人だから。

 好きだから、化け物になっても受け入れ、愛していたのだと思っていた。

 お前には、信じたいものしか見えていなかったというわけだ。

 幻聴がそんな風に言うのが聞こえた気がする。


「エリック、お前にとって、お前にとってのマキラは何なんだ?」

「?大好きな友だちで、大切な恋人だよ」

 きっとこの言葉に嘘はないのだろう。

「なら、何でそんな簡単に!」

 マキラを殺そうと言いながら、肯定したことを驚かれている。そんな違和感にエリックは小さく首を傾げた。

「もちろん、僕らにとっては辛い出来事だ。

 だから、その分世界を救おう」


 マキラを殺したくない、そんな気持ちは確かにエリックにもあったのだろう。だが、その動機は致命的なまでに違っていたのだ。

「エリック、お前は────」

 とっくに引き返せない所まで来たと思っていたが、ここが本当の分岐点だとラルフは気づく。


「俺のために、マキラを不死にしたのか?」




 ◆◆◆◆◆




「略奪に罰を、支配に制裁を。

 栄光と繁栄のために歌え人類よ。

 唯一無二を愛し、永劫の消失を恐れよ。」




 ◆◆◆◆◆




「僕にもどう転ぶかは分からなかった。

 君はどうしようもなく残忍で、非道で、暴虐で、

 うん、まさに人類の敵という言葉がふさわしかったから」


 どこか懐かしそうに語るエリックを、ラルフは呆然と見つめる。

(これは、?)

 ラルフの事を言っているような語り口だが、エリックは目の前のラルフを見ていない。

 だが、その理由にラルフはすぐに思い当たる。なぜなら、ずっと繰り返してきたから。


「うん。『代償』で君の中の悪を封じたけど、前のラルフに戻らない補償は無かったからね

 だからここ最近は少し、怖かったんだ。悪魔が向こうから当然のようにまた現れるようになってしまったから」


 もう自分は親友とはとても言えないけれど。

 それでもラルフはエリックを信じていた。すべての世界で最も清く正しいのはエリックだと、そう信じていた。

 悪の尽くを殺し尽くすのだと、そう信じていた。

 それがエリックは見逃し続けていたのだ。ラルフという巨悪を、悪心を封じた所でこの心を埋め尽くす破壊と陵辱へのどうしようもない欲は消えないと言うのに。


「マキラと僕と出会ったとき、君は暗い目をしていた。

 でも、マキラが君を変えてくれた。正義を信じさせてくれた。だから、僕はマキラには生きていて欲しかったんだ。

 マキラがラルフにとっての希望だと思ったから」


 エリックの指先がラルフへと伸ばされる。数歩歩めばあの手が取れる距離に置かれた、望み続けてきた和解の手が。

 赦しはそこにある。

 早まり続けてきたラルフの過去の記憶の復活は、ここ何度かの転生で遂に幼少の頃にまでたどり着いた。小さな体には重たい負担であるから、数日寝込むことは避けられなかったが、それでも並び立つことを諦めなければ、取り返しのつく状態にはなる。


 復讐に生きたヒルドルフと死ぬはずだった『ラルフ』。

 ケイトへの身勝手な欲で世界を滅ぼした『ラルフ』。

 王としての栄光をラルフによって捨てられた『ラルフ』。

 永遠とも言える時間を、ただ穏やかに生きることのできた『ラルフ』。

 大商人としてこれからの人生に期待を膨らませていた『ラルフ』。


 他にも多くの『ラルフ』を殺して生きてきた。歩むはずだった『ラルフ』たちの生は、幸せになれるかもしれないし、辛い思いをしたままかもしれない。

 この手を取っても、『ラルフ』を殺すことは変わらない。だが、正義に生きれば『ラルフ』が殺したかもしれない誰かは生かされ、ラルフが悪魔を喚ぶことも無い。


「でも、違ったんだね

 君の希望は僕だった」


 目に、色が戻る。

 エリックの手が肌色へ戻り、瞬きに合わせるように青空のような碧眼が。 金の髪が輝く色を取り戻す。

 そこからエリックを中心に色彩を得ていく姿に、ラルフの目からは涙が溢れた。


「僕と一緒に行こう、ラルフ」







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る