2023年12月31日



 シュランゲが今居るこの世界は、星の表面は7割が海で構成されている。

 科学の発展が目覚ましく、魔法が薄れたようで裏にはまだ所謂人外と呼べるものたちが残っている。これらを淘汰し1000年あればかつてエルフの星に来たあの人類と同じ段階にたどり着く、かもしれない。


「私はね、それは嫌なんですよ」

 温かい紅茶に口を付け、少し考えた後にシュランゲは手元の角砂糖とミルクを溢れんばかりにカップに入れた。

「…人類の進歩が、ということ?」

 手ずから入れた紅茶が薄茶色に濁っていく様を見ながら、マキラはシュランゲを見る。

「ええ。人類にはね、なるべく追い詰められていて欲しい」

「だから、あなたは悪魔を喚ぶの?人類を滅ぼすために」


 マキラはシュランゲの背後の化物たちへ目を向ける。今は人間らしく見えるが、皮膚一枚剥げば中身はゲテモノばかりだ。

「これで足りるはずが無いでしょう」

 人類とばかり戦ってきたこの世界の人類は、この悪魔たち相手にどれだけ戦えるのか。その答えはシュランゲの頭の中には用意されている。そして、足りないと言うなら足りないのだろうとマキラはシュランゲへと目を向けた。

「なら、どうするの?」

「面白いものを見つけたんです」


 そうして無邪気にシュランゲは笑う。おぞましいほどの悪意を滲ませて、心の底から笑うのだ。




 ◆◆◆◆◆


 ◆◆◆




 この世界の多くの人類が見ている『現実』からほんの少しだけ道を逸れるとそこには『オカルト』がある。

 シュランゲが喚ぶ奴らより弱いが、確かに悪魔や妖怪、吸血鬼や幽霊。そういった非科学的な存在は淘汰されながらも世界に根強く残っていた。


 自分を殺すモノを探していたマキラは知っている。そういった世界には必ず強い力を持った道具がいくつも残っている、と。

 シュランゲが今回見つけたのはコレを一人で創り上げた狂人曰く、『異界門』。込められた執念は呪いよりも濃く、未だにこの門に染み付いていた。


 なぜこんな物を作ったのか、なぜ山奥に秘されていたのか。門を構成する白い石板たちにはひび割れどころか汚れ1つ無く、門の周りには草木1本生えていない。

 そして、なぜ今まで発見され無かったのか。門の扉には左右に分かれた天使と悪魔が互いに背を向けており、高さは3mほどに及ぶ。


 いくつでも重ねられる疑問をシュランゲは平気で捨て置く。彼の興味はこれを開いて起こることへの好奇心以外に無い。

「シュランゲ、これ、本当に開けるのか?」

 震えた声でベルデが問う。

 本能的な危機回避が備わっている生物はこの門には近づかないだろう。あまりにも美しい美術品の様でもあるこの門を、ベルデはただただ恐れていた。

 可能なら今すぐシュランゲを引きずって車に乗せ、そのままここから立ち去りたい。そう願いながらシュランゲを見るが、彼の目は一心に門へと注がれていた。


「開けましょう」

 シュランゲの横顔が笑う。笑ったままの顔がベルデを向いた。

「こんな面白そうなモノ、開ける以外に無いですよ」

 ベルデは自分の死が近いことを悟り、青ざめた顔でどうにか笑い返す。

「はは、そうか、まあ、そうだよな」

「はい。…そうだベルデ」

「なんだよ」


「今日はサンドイッチが食べたいです」




 ◆◆◆◆◆


 ◆◆◆




 それから2ヶ月が経過した、多くの人が新年を待ち望む夜。分厚いコートを着込み、白い息を吐きながらシュランゲは門へと歩み寄る。

 魔女エミーリアとツェツィーリアの解析によれば、この門はその名の通り異界とこの世界を繋げるための門らしい。

 ただ門から術を辿って行くとその線はこの星中にあり、この門を開くことでこの世界は別の世界と混ざるだろう、との事だ。


「(本当に、ああ、とんでもない事をするものです)」

 感嘆と共に息を吐く。何を想って世界の破滅を願ったのかは知らない。だがおよそ現代では失われたような技術ばかりで建造されたこの門をシュランゲは美しいと思う。

 作り手に降りたのは天啓かはたまた悪魔のささやきか。いずれにしても魔法が主力である世界でもこれは造れない。それはシュランゲにとってはどんな事よりも賞賛すべきことだった。

 だから手先の雑な悪魔たちを遠ざけ、エミーリアとツェツィーリアに絞り、極力門への破損を防ぐ。暇な間に花を供え、門の傍に建てた簡易拠点にて開くのを待った。


 そして今、門が開かれようとしている。


 あとは悪魔たちにより複製された鍵を門へとかざすだけだ。


「(まあ、そう単純にはいかないのでしょうね)」




 ◆◆◆◆◆◆




「まあ、来ますよね」

 手駒のほとんどはエリックの足止めに使った。だが、門の解析が進むと一転しエリックはこちらへ真っ直ぐに向かってきた。

 どこかで死ぬ数百人より、こちらを優先している。

 つまりは、これを開けばもっと多くの人類が死ぬ。

「その門からの離れろ」

「これが何かも知らないのに、まあ鼻が利きますね」


 残っているのはエミーリアとツェツィーリア。それから双子のリンクスとレイヒツ。ベルデは戦力外。

「(足りない)」

 集められるだけの悪魔を集めても足りないのだから、この程度ではほんの数秒の足止めにしかならない。

 シュランゲはエリックに背を向け門へと走る。門まではあと50m。


 40m。リンクスとレイヒツが斬り捨てられる。あの双子は傷を片方へ押し付けられるが、2人同時に首を跳ねられると死ぬ。


 30m。エミーリアが真っ二つになる。呪いを行使する暇さえ無い。


 20m。ツェツィーリアがハエを放つ。人食いハエに噛みつかれるのも構わずエリックは歩みを進める。


 10m。ツェツィーリアの体が十字に斬られた。緑色の酸の血が飛ぶが、剣圧で噴き飛ばす。


 5メー


「かはッ」


 エリックの投擲した剣がシュランゲの胸を貫く。あと1m、あと1mが遠い。

 鍵を投げれば届くだろうか。血濡れの鍵を見るが指には力が入らず地面に落ち、後ろから伸びた足が鍵を遠くへ蹴った。


 血とともに体温も思考も抜け落ちて行くのを感じながら、シュランゲは回り込んできたエリックを見上げた。

 悪魔と天使を背負ってこちらを見下ろす青い瞳。

 目を閉じても、まばゆいばかりに瞼にその光は焼き付いている。

「(これも、ダメですね)」

 ひたすらに身を隠すことに尽力したが、やはり事を動かせば必ずエリックは来る。

「(マキラはどこかへ行ってしまいましたし、居ても大して役に立ちませんし…)」


 目を閉じる。


 目を閉じる。



 ◆◆◆◆◆◆


 ◆◆◆◆





 目を開けて、そのまま動かず世界を見る。


 シュランゲは自分が頭を置く枕の形や、そこからベッドやその先、部屋の中の家具の配置や形を事細かに観察する。

 目を閉じて30秒ほど考え、それからようやく体を起こした。

 一糸まとわぬ肌は白く、肉のあまりついていない体には僅かに肋骨が浮いている。光を灯さない黒い双眸と、艶のある黒髪が重力に従ってさらりと落ちた。

 ベッド脇に置かれた手鏡を手に取る。16歳ぐらいの、表情の無い顔を見て、頬に張り付いた髪を1本1本丁寧に取って払う。


「おはよう、シュランゲ」

 声の方を向くと、ベルデが心配そうにこちらをのぞき込んでいる。眠っている間、よく死んでいないか確かめているとリンクスかレイヒツが言っていたから、今回もそうなのだろう。

「おはようございます」


 起きた後はぬるいシャワーを浴び、ベルデが髪を乾かす間に新聞やネットニュースに目を通す。

「あ、そうだシュランゲ」

「なんですか?」

「ヒルドルフ用の肉がそろそろ無くなりそうなんだ。エミーリアに聞いたら、お前に指示を仰げって」

 ヒルドルフは狼男で、その主食は生の肉となる。

 1日当たりに食べる量はまばらで、ライオン並みに食うときもあれば人並みで足りることもある。前者が続くと屋敷の貯蔵庫の肉が尽きることが時々あるのだ。

「そうですか。なら、マリアとケイトそれにマキラを読んできてくれますか?」

「分かった」


 背もたれに体を預けると、スプリングが僅かに軋む。足が少し浮き、少しだけ不自由になる。


 眠って、夢を見て、起きる。


 シュランゲが見る夢は現実に起こり得る一つの可能性だ。

 未来予知、とも言えるその夢はおおよそ2023年から始まり、2024年にはたどり着けずにエリックが終わりを告げに来る。

 夢の中でも現実と同じように食事を摂って眠るから、起きてすぐはどちらが現実かを確かめる。


 現実より早い時間で夢は過ぎるから、長く眠っても3日ほど。毎度死ぬから常人なら心を病むかするだろうが、その程度の事ではシュランゲの精神は揺らがない。

「ふふ」

 夢の中であれば何度でも死ねるが、この現実では一度死ねば今度はそれでゲームオーバー。次は無い。

 だからこそシュランゲはそれを楽しんでいた。一度では必ず負けると確信していて、だからこそ数多の可能性をたどるのは楽しい。


「ふひ、あひゃあはははは!!」


 自分の死亡と共に流れるエンドロール。

 分かりきったエンディングを書き換えるためにシュランゲはまた夢を見る。


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