ふたりの想い、世界の重み



 最初に腐臭がする。

 腐った血に血を注いで、それをまた腐らせたような悪臭。

 遥かに遠いところから風に乗ってその臭いが来ると、ラルフが悪魔を喚んだのだと知る。


 悪魔たちは沢山の化物を引き連れて、ただ一心にわたしを目指して来る。その道中の花も人も全てを侵略しながら。

 その世界のどこへ行っても、小さな使い魔や魔法による探知で見つかって、そして、悪魔たちは現れて。


 わたしはなにもしない。ただ、奴らに身を任せる。



 悪魔たちにすり潰されて、引きちぎられて。焼かれて吊られて切り裂かれて。食べられて、消化されて。



「マキラ、こんな、そんな」



 悪魔の毒を飲む。神経が狂うものを飲む。全身から血が噴き出すものを飲む。内臓が爛れるものを飲む。



「これも、これもダメなのか」



 悪魔の呪いを受ける。石になる呪いを、体が徐々に腐る呪いを、別のモノへ変質する呪いを受ける。



「次だ!早く!早くしろ!!」



 魔法を受ける。炎の剣で長い時間焼かれたり、雷が落ちたり、たくさんの水に沈められたり。



「誰でもいい!はやく彼女を殺してくれ!!」




 ◆◆◆◆◆



 ラルフは多くの悪魔をわたしと引き合わせた。悪魔たちはラルフに言われるがままわたしを殺しに来て、殺し切れない間にエリックが来る。


 エリックは怒っているんだと思う。最近、エリックのことよく分からなくなってきたの。

 肉片になったわたしが元に戻るときラルフは青い顔を、そう、まさに化け物を見るような顔をしているのに。

 エリックはとてもとても愛おしそうにわたしを見るの。


 わたしがどんなに醜いバケモノでも、エリックは蔑んでくれないし悲しみもしない。どんなわたしでも受け入れて、今まで通りに愛してくれる。

 欠けた顔を見て、中の触手を見てもただ愛おしそうに。


 ねえ、エリック。わたしの声、まだあなたに届いているのかしら。



 ◆◆◆◆◆




 悪魔の軍勢が押し寄せると、世界はどんどん壊れていく。それもそうだろうラルフが従える悪魔が1匹居れば小さな国が。そんな悪魔を100も200も従えているのだから、それまでの平和なぞ塵のように吹き飛ぶ。

 人類も未曾有の自体に結託し、砦を築いたり戦士を集めたりしているけど、侵攻を遅らせる程度だ。

 なにせありとあらゆる世界で生き、軍を率いた経験も豊富なラルフが指揮を取っている。勝てるはずがない。


 それでもエリックが戦いに加わると、戦況は文字通りひっくり返る。彼一人で多くの悪魔を打ち倒し、人類に希望の光を照らす。


 …前線が安定するまで、わたしの所へ来てはくれないけど。


 ラルフとエリックが戦って、エリックが勝って。そしたらこの世界は終わり。わたしは別の世界へ行く。未知の毒や古い力が宿った剣、もしくは魔法や呪いなどを試すために。

 エリックがその世界で生きていようと、死んでいようともう知らない。

 世界のその後なんてものも知らない。

 平穏な生活なんて一つも楽しくない。エリックと一緒に居ても少しも笑えない。


 わたしの自殺にわたしは世界を巻き込んだ。

 だから、わたしもラルフもきっと最後は地獄に落ちるんでしょ?


 あの世なんて場所に、わたしたちが行けるならの話だけれど。




 ◆◆◆◆◆◆


 ◆◆◆




 相も変わらず幻聴と会話する。


『それは前に使った聖剣カリバーと変わらないだろ』

「試す価値はある。同じ名称の聖剣でも、創り手が異なるなら効果も変わる」

『悪魔を殺すための武器は散々試しただろ』

 呆れ声の幻聴を無視して、滅ぼした国の宝物庫で集めるのは何かしらの逸話や伝説を孕んだ武器や道具たち。


 曰く、悪を滅ぼす剣

 曰く、かつて龍を打ち倒した聖剣

 曰く、古き聖女が遺した浄化の玉

 曰く、破滅の力に耐える盾

 曰く、嵐を鎮める宝杖

 曰く、曰く、曰く、曰く…


 それら一つ一つを使い、思いつくかぎりのことをラルフはマキラに行った。数多の剣で刺し、数多の盾で潰し、数多の毒と薬を飲ませ。喚んだ悪魔たちにも思いつく限りの手でマキラを殺すように命じた。

 色を失った世界で幻聴を聞きながら、誰よりも愛していた人を手にかけ続ける。肉片から再生するマキラを見るたびに揺らぐ決意に歯噛みしながら。


 共に来ていた目の4つある狼の悪魔に宝を運ばせ、ラルフは宝物庫を出る。廊下から外を見れば悪魔たちが楽しそうに絶叫しながら人類を手にかけていた。

『ははは!アイツラもよく飽きないな!』

「…そうだな」

『お前もそろそろ慣れたらどうだ?また飢えて死んでしまうぞ』

「ッッ!!慣れてたまるか!!…ああ、クソッ!!」


 沸騰した怒りに任せ、ラルフは壁に拳を打ち付ける。脳が痺れるような激しい痛みに、小指が折れたのが分かった。

 幻聴はそんなラルフの自傷行為を、姿があるなら腹を抱えているであろうほどに笑っている。

『ひぃ、ひぃ……まあ、食事は摂れ。嚥下したくないのなら喉へ流し込んでもらうと良い』

 息も絶え絶えになるほど笑った後、幻聴はそう忠告して消える。どうせまたすぐに聞こえてくるのだろうが、しばらくは静かに過ごせることにラルフはため息をつく。


 そうして痛む手を震わせながら、ラルフはまた窓の外へ目を向ける。

 庭の中央では、宝物庫があるこの城の城主が丁度火にくべられていた。

 長くたくわえた髭から顔が焼け、悶苦しむ様を悪魔たちは指をさして笑い、犯されながらその姿を見た姫が狂ったように泣き出す。王妃は馬車に繋がれ引きずり回され、王子はすでに整った顔を真っ二つに割かれて今はヤギの悪魔に肉を食われている所だ。


(ここはまだ、地獄では無いのだな)

 記憶が戻る度、こうして悪魔を率いてマキラを殺すべく幾つもの世界に害を成した。人類を蹂躙し、罪なき人々を手にかけ、悪魔の餌へと変えた。

(マキラを殺す方法は未だ見つからないが、1つ分かったことはある)

 あと数カ月もすればエリックが来る。

 それまでに試せることは試さなければならない。どうせ何度死んでもどこかの世界へ行くのだろうが、ラルフはとにかくこの行いを1分1秒でも早く辞めたかった。


 それまでに何人死のうとも、不要な犠牲がいくら起ころうともラルフはもう構うことは無い。

 すでにこれがマキラの事を思っての行動なのかも分からなくなっていた。

 最初は恐れていたマキラへ剣を突き刺す行為さえも自分が終わりを迎えるための作業と化していた。


「はぁ、はぁ…」

 ただ窓の外を見るだけで息が上がる。心の臓が破裂しそうなほどに鳴る。体温は上がっているのに寒気がして、気分が悪くなる。胃が痛み視界がぐらついて立っていることもしたくない。

「殺す、殺す殺す殺す殺すうるさいうるさいうるさいうるさい殺すうるさい死ね黙れ殺す殺すうるさい死ね黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ」


 ああ、幻聴がする。

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