統一歴1597年 とある平原より 2/2
大抵、最初は暗いけれど温かい空間でじっと動かずにいる。母体の肚の中で羊水に浸る間、時折聞こえる言葉から、次に生まれ落ちる世界を予測する。
場合によっては精霊や妖精が姿を見に来る。
彼らは何百年かで代替わりをするから、過去に出会った彼らではないけれど、いつも世界を救う手助けをしてくれた。
しばらく経って産まれたその瞬間、なるべく大きな初声を上げる。肺に流れ込む空気に驚くことは今更ないけれど、上げないと騒ぎになってしまうから。
まだ手足が上手く動かないうちは流されるがままに赤ん坊として過ごす。あまり泣かず、素直に食事も摂るから『手のかからない子』と言われることがほとんどだ。
転がる所からつかまり立ちをしたり、歩けるようになって。年の近い子どもと遊んだり大人の手伝いをして幼少期を過ごす。
この頃から最近は木剣を振るようにしている。魔法はもう使えない。精霊や妖精の加護のお陰で高い身体能力があるけど、悪魔と戦うのだから、なるべく体は鍛えておきたい。
なるべくたくさんの人類を救えるように。
マキラは探されている事が分かるのか、ある時ふらりと現れる。幼少期の頃は見た目に差があるけれど、気になった事はない。
「ラルフには会った?」
「…少し前に。今は商人の息子としてずっと南に居るわ」
マキラの緑の目が向けられた先には広い海がある。
つまりは別の大陸にラルフは居るのだろう。
潮風を吸い込み、その場で伸びをする。商人、なら身分差で話しかけられないことは今回は無いようだ。
「なら、早く会いに行かないとだね。
うーん…ここから向こうの大陸までいくらかかるかな」
困りごとを解決したりする事で、多少なりともお小遣いはもらっているが、子どもだけで船に乗れるかはその世界ごとの常識次第だ。
900年前、この世界を救った時はどうだったかと思案する。
「(その頃は、悪魔たちと悪魔の呼んだ魔物に人々は怯えていたから、こうして一人で出かけることもできなかったはず、かな)」
振り返れば働く大人や遊ぶ子どもたちが居る。みんな笑顔、とまではいかないが、少なくとも怯えた様子は無い。
「(救えて良かった)」
エリックは青い目を細める。あの頃の自分を知る仲間たちはもう居ないけれど。
「(僕たちが救った世界は、まだ続いてるよ)」
◆◆◆◆◆
『勇者様、どうか世界をお救いください』
◆◆◆◆◆
呼ばれた。
呼ばれたならば、行かなければならない。
か細く怯えるような精霊の声に、エリックは鉄の剣とわずかな荷物を持って家を出る。
机の上には簡単な書き置きだけ残し、誰にも声はかけない。
南の方の大陸で、殺人鬼が好き勝手に人を殺している。そして、その殺人鬼が死の土地へ向かっているのだと精霊は言う。
あの土地はまだ悪魔の瘴気をまとっている。
エリックがかつて大穴を塞ぐために突き刺した聖剣は、まだあの土地に楔としてある。
邪悪な心を持つものなら、あの剣を抜くかもしれない。悪魔の瘴気は、善人には毒だが悪人には麻薬のような効果をもたらす事があった。
そうした悪人は人類でありながら悪魔に加担し、世界に害を成す存在となる。
「(なら、僕が戦わないと)」
この手には、力があるのだから。
止めなければ、殺さなければ、滅ぼさなければ。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、何度殺してもヤツらは蛆虫のように湧いてくる。
平和のなにが気に入らないというのだろうか?
諦め、罪を認め、人類の未来のために生きれば良いのに。
ただ、それだけの事が悪魔たちにはできない。
アレらがいなければ人類の魂が闇に誘われることもないはずだ。アレらを滅ぼせば誰もが幸せな世界になるはずだ。
「(…きっと、そうはならない)」
人間は間違えてしまうから、真にそうなるには長い時間か、大きなきっかけが要るだろうとエリックは考えていた。
それでも、悪魔たちが居るよりは、居ないほうが良い、そしたら人類の未来は人類だけのモノになるから。
◆◆◆◆◆
◆◆◆
協力者たちと共に、エリックは死の土地へと降り立つ。
向かう間に死の土地はかつての様相を取り戻すかのように瘴気と魔物が蔓延り始めていた。
世界中から集められた優秀な魔法使いたちが島の周辺に結界を貼り、外へと漏れないように押しとどめているが、長くは保ちそうに無い。
島の中央へ向かえば向かうほど瘴気は濃くなり、島の中央へと来れたのはエリックと道中知り合った魔法使いのニーナだけだった。
「けほっ、エリック。体は大丈夫?」
「うん、僕は平気。ニーナは?」
「大丈夫よ。…でも、あと36時間後には島を出ないと」
「わかってる。」
様々な精霊から加護を受けるエリックには毒や瘴気は通じない。ニーナはいくつかの魔法を組み合わせて瘴気を拒んでいたが、長期間の滞在はできなかった。
そのため36時間後には手持ちの魔法道具により、島の外へ転送される運びとなっている。
異常の起こる死の土地への先遣隊として来たエリックとニーナが、最悪死体となっても情報を得られるようにと渡されたものだ。
「ニーナ、行こうか」
「エリック、あくまで私たちの目的はこの先の調査。それを忘れないでね」
「無理はしないよ」
ここまでの道中、怪我をした密入島者を見捨てられなかったエリックを思い、ニーナはそっとため息をついた。
◆◆◆◆◆
草原の結界をすり抜ける。瘴気が漏れ出ている以上、壊されていると思われた結界が機能していたのだとニーナは気づく。
「ぐ、」
強い瘴気がニーナの肺にわずかに流れ込み、熱を感じたかと思えば全身に冷や汗が止まらなくなる。
すぐに自身にかけた保護の魔法を強化したが、長く保ちそうには無い。
「…エリック、引き返し…え?」
エリックの方を見ようと顔を上げたニーナは、信じられない光景に目を見開く。
そこには、当初の報告よりも多くの魔物の群れが目の前には広がっていた。
ブヨブヨと跳ねるスライム。ミノタウロスにコカトリス。ドラゴン。オーガ、グレムリン、ゴーレム。ゾンビやワーウルフにハーピー。
死の土地の復興中に多くの魔物と遭遇したのは知っていたが、どれもこれもニーナの知る記録よりも大きな個体ばかりだ。
「(こんなものが大地の外に出たら、)」
そう想像するだけで全身の震えが止まらない。
「え、エリック、いま、いまならきづかれてない、はやく、はやく、にげ」
魔物たちは皆一様に二人に背を向け、じっと黙ってどこかを見ていた。
さあ今のうちとエリックの手を引くニーナは、石化したように動かないエリックをおそるおそる見上げる。
エリックも魔物と同じようにじっと遠くを見ていた。つられてニーナもそちらを見る。
少し距離があるが、ニーナもはっきりと彼らを見ることができた。
「……?」
端的に言えば、それは担ぎ上げられた女と死体だ。
「ラルフ」
◆◆◆◆◆
死体の方は腐っているのか顔が半分溶け、辛うじて黒髪である事がわかる程度だ。袖を通すのはこの場には不釣り合いなタキシード。肩には重そうな分厚いマントを乗せている。
隣に座るのは赤茶色の髪の女だ。こちらは真っ白なウェディングドレスを着て、ドレスが汚れるのにも構わず幸せそうに死体に肩を寄せていた。
そんな二人は2体のゴーレムが担ぐベンチに座り、魔物たちはじっとそれを見ている。
「(なにこれ、なにこれなにこれなにこれ?!!魔物の異常行動?!)」
ニーナには目の前の光景がなに1つとして理解できなかった。軍人として今まで重ねてきた訓練も、勉強して得た悪魔や魔物の知識もなにもかもが役に立たない非常事態。
「ニーナ、君は先に戻っていて」
唯一、味方と思っていた隣の男はそう言って剣を抜く。
「な、にを、なにをするつもり?!」
声も抑えず叫ぶ。はっとして口を閉じるが、魔物たちがぎょろりとこちらを向いた。
「行って」
魔物たちは二人を見ると、一斉に牙を剝いて襲い掛かってくる。よだれを毒を酸を撒き散らしながらこちらへ迫る様は自らをただのエサだと思い知らせてきた。
ニーナはエリックの言葉に押されるように魔法道具を作動させ、その場からかき消える。
船へと緊急帰還したニーナは、真っ青になったその唇で必死に仲間たちへ助けを乞うた。
◆◆◆◆◆
一人のほうが、気楽だなと思うことはある。
後ろを守ってくれる仲間がいるのは確かに心強いけれど、戦いながらどうしてもそちらが気になってしまうから。
剣を振るう。精霊の加護を受けた剣はコカトリスの鳥頭をバターのようにあっり切り落とす。
こうやって倒したときの血が仲間に飛ばないようにとか、押され気味だからあっちのフォローに行こうとか。頭を使うのはどうにも苦手だから、それなら一人で戦うほうが楽だと思ってしまう。
少しだけ寂しい旅にはなるけれど、世界を救う結果は変わらない。それなら失う人が少ない方が良い。
「(だからこそ、ラルフ。僕は君を諦めたくない)」
遠目に見ても分かる友の死体を見て、エリックは剣を振る。斬って、蹴り、柄で殴ったり、相手の攻撃を利用したり。魔法が使えればもっと早いけれど、今はこれしかないから最大限に生かして戦う。
半分ほど進むと、ある程度の知性を持った悪魔は躊躇いを見せる。死んでも元の世界へ還るだけなのに、時々死を恐れるような挙動をする。
「ツェツィーリア」
呟いて、唇を噛む。幾度となく殺しても、ヘラヘラと笑いながら蘇ってくる悪魔。目の端をちらつく羽虫そのもの。人の言葉を真似て何かを言っているが、聞かない。聴く必要がない。
斬撃を飛ばす。魔法ではなく、振り下ろしたその剣圧が真っ直ぐにツェツィーリアに迫る。
「死ね」
返り血で染まった感情の無い凍りついたような顔で、勇者は告げた。
◆◆◆◆◆
◆◆◆
「君は誰?」
「酷いことをするわ
か弱い花嫁を襲うなんて、男の風上にも置けないじゃない」
「黙れ。僕は怒ってるんだ。
いい加減、その子の姿をやめてくれないか?」
悪魔の死体たちに囲まれた中心で、花嫁姿の
クラウンが顔に触れる。ガリ、と爪を立てると皮膚が歪んで剥がれ、中から男の顔が現れる。火傷や傷、膿んだような跡のある顔はお世辞にもきれいとは言い難い。
「どれだけ人を殺したの?酷い色だね」
平坦な口調でエリックは問う。見下ろす青い瞳は影が落ちてもそこだけ光が差したかのように輝いていた。
美しく整った顔立ちながら、見上げるクラウンの心は急速に冷めている。
「(うーん、好みなんだけど、なんだかなあ…)」
悪魔の血で汚れて尚も美しい金髪。そして鍛えられた体躯と悪魔を殺すための剣。クラウンが敵で無ければ、あるいは降伏すれば彼は許すのだろうとどこかで感じられる、そんな圧倒的な正義。
「ああ、なるほど。俺ちゃんは人間が好みなんだ」
死の間際でクラウンは理解する。
理解し、ラルフの溶けた肉からむき出しの骨へと手を伸ばした。瘴気でやや脆くなった骨は容易く手折れ、尖った骨先をエリックへと突き出す。
だが、それより速く振るわれた剣がクラウンの首を跳ねる。そこには侮蔑も、嫌悪も、同情すら無かった。
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