通称『惑星6824』 エルフの星より 1/3


 その星には宇宙まで届く巨大な大樹があった。


 根元には豊かな自然があり、長寿の生命であるエルフが非常にゆったりとした日々を送っている。エルフたちは遠い銀河の果てにある太陽系の第三惑星、現地民が『地球』と呼ばれる星に住む『人間』と形が酷似していたが、本人たちがそれを知ることは無い。

 エルフたちは食事は植物と空気があれば一度の食事で3日は持ち、1ヶ月は飲まず食わずでも生きていけた。人に似てはいるが耳がとがっていたり、しなやかに見える頭髪は1本1本がかなりの硬度を持っていたりと人間らしからぬ特徴が多い。


 彼らは彼らが『命の樹』と呼ぶ大樹の元で、穏やかで豊かな生活を送っていた。長い寿命の果てでエルフは大樹へと還り、また長い時を経て産まれ直す。

 外敵のいないこの星でエルフが死を恐れることは無い。

 森はエルフの味方であるから、災害や飢饉も無い。数千年にも及ぶ寿命の中でふと、命日を感じたエルフはそっと姿を消して大樹の中へと還っていく。

 そして、記憶は無いが同じ姿形と性格を持ったエルフが産まれ直す。産まれ直す度に体には小さなアザが刻まれ、それがエルフたちの唯一とも言える誇りだった。

 それは、大樹と共にある証。彼らの母、生命の源である大樹からの愛の証なのだ。


 この星での一日はおよそ30時間。15時間経つと大樹からの光が弱くなり夜になる。15時間経つとまた大樹から光が降り注ぎ朝となる。季節は無く、ほとんどのエルフが日々同じことをのんびりと繰り返していた。



 ◆◆◆◆◆



 森の中のうつくしい川のそばで、黒髪のエルフは水の音を楽しんでいた。

 空から大樹の葉の温かな光が降り、空を飛ぶ小さな小鳥たちの鳴き声が耳に心地よい。

 柔らかい草の上に寝そべって、体の上に時折乗ってくる虫や、森からやってくる動物と触れ合う。


 おおよそ2000年ぶりの新しいエルフである彼は、漆黒の髪に瞳と真っ白な肌を持って産まれた。彼は15時間ある昼のうち、10時間をこうして川辺で過ごしている。

 エルフたちには特に仕事も役目も無く、食料はその辺に生えているから狩りも無いから、好きに過ごせるのだ。


 黒髪のエルフの名はラルフ。彼も他のエルフと同じようにゆったりとした暮らしを産まれてからの1500年ほど、楽しんで生きていた。


「くぁ…」

 暑過ぎず、かと言って寒くもならないちょうど良い光を浴びながらのあくび。隣で眠っていた鹿と馬を足して2で割った様な動物がそれに反応して耳をはたはたと動かし、そばに居たウサギから猫の耳が生えた様な生き物がちらりとラルフを見て、また目を閉じた。

 そんな様子を見てラルフはクスクスと笑い、動物たちの邪魔をしないようにゆっくりと立ち上がって服に着いた草を払う。

 一際大きな鳥の鳴き声に合わせて肘を曲げて腕を掲げれば、純白の体に赤い目が4つある鷲が降りて腕に停まった。

「おはよ、ヴィーネ」

 ラルフに柔らかい羽毛に包まれた頬を擦り寄せる鷹の名前はヴィーネ。ラルフのつれあいであるエルフ、シャノンの友人だ。


 大樹から産まれ、大樹へと還るエルフには生殖機能や明確な性別が無い。だが、誰かを特別大事に思う気持ちはある。お互いが想い合えばつれあいとしてパートナーになるし、気持ちが離れれば自然と別れる。

 ラルフとシャノンは900年ほど前からのつれあいで、エルフの中でも長い時をつれあいとして過ごしていた。お互いに変わり者で、1人を好むところも気が合っていた。


「シャノンがそろそろ帰ってこいって?」

 ラルフが問うと、ヴィーノは短く鳴いて頷く。シャノンの白い髪とのんきに笑う顔を思い浮かべ、心が満たされる感覚に目を細めた。

 今にも惚気だしそうなラルフにヴィーノは呆れたような顔をして頭を小突く。

「ああ、ごめんごめん。さ、帰ろっか」

 ラルフが腕をあげればヴィーノはその羽を広げ、何度か旋回しながらラルフの頭上をその羽を広げて飛ぶ。

 時折ヴィーノの鳴き声に耳を傾けながら、ラルフは帰路へと付いた。



 ◆◆◆◆◆



 大樹の傍、3mほどの大木に付けられたハシゴを登れば太い枝の上に藁の壁に囲まれた家がある。

 入口の布をくぐれば木の実の殻がからんころんと音を立てた。編み物をしていたシャノンはその音に顔を上げる。


「ただいま。シャノン」

「おかえりなさい。ラルフくん

 ヴィーネもありがとう」

 ラルフの帰宅と共に窓から顔をのぞかせた友を労えば、小さく鳴いてからまたどこかへと飛び立った。共に食事をしたりすることもあるが、シャノンはヴィーネを飼育している訳では無い。お互いに好きな時に会うだけだ。


 2人で小さな木の実をいくつか食べる食事を終える頃には外は暗くなり始め、シャノンとラルフは並んで毛布にくるまった。

「明日、『命の樹』から誰か出てくるみたい」

 シャノンがラルフの手を握り、嬉しそうに囁く。

「誰かな。新しい子ではないだろうし」

「ニアだったら嬉しいのに」

「まだ早いんじゃないか?

 ニアが樹に帰ってからまだ20年ぐらいだ」

「レゴロットがセバスじゃないかって

 重いもの持つのが得意みたい」

「そろそろ新しい家を建てるから、居たら助かる」

「でも、私はまたニアに会いたいわ」

「そのうち会えるよ。命の樹でみんな繋がってるんだから」

 それからその日にあったことや、明日のことをあれこれ2人で囁き合う。

 つれあいとなる以前、まだ友人だった頃から2人で色んなことを話した。2人で旅をした事もあった。

 これから先の長い時を、少しでも多く共に過したいとラルフはシャノンに打ち明け、シャノンも同じ気持ちだった。


 時間が経てば少しずつ口数も減り、やがて静かになる。

 繋いだ手はそのまま、2人は朝まで眠った。



 ◆◆◆◆◆



 朝になり、軽く身支度をして2人は大樹の元へと向かった。既に居た数人のエルフにあいさつをして、後はのんびりと木からエルフが産まれるのを待つ。

 誰かがともなく『明日は命の樹からエルフが産まれる日』だと気づき、他のエルフに伝えて歩く。そして、翌朝に命の樹から産まれたエルフを皆で出迎えるのだ。


 エルフは成長しないため幼少期は無いが、最初の1年ほどは言語や手先の細かい作業が苦手なため、周りのエルフがサポートをする。それはエルフたちのあまり変化の無い日常ではちょっとしたイベントとなっていた。


 枝葉が大きくざわめき、大樹から赤い実がいくつか落ちてきた。それらは地面にぶつかると同時に割れ、粘ついた果汁と共に甘い香りを周囲へ漂わせる。匂いにつられて森からは動物たちも集まり、エルフたちはその場に膝をつき、地面に手を当て目を閉じた。


「(───聞こえる)」


 耳の奥で水が流れる音がした。どこか離れた場所から地中を通って大樹へと集まっていく。この惑星全てが大樹の元へと。万物は大樹に通じ、大樹は万物へと通ずる。

 しばらくそうしていると、幾人かのエルフが感嘆の声を上げた。でも、ラルフは目を閉じたまま、地面に手を当てていた。

「おかえり」「久しぶり」「おかえりなさい」

「おかえりなさい」「おかえり」「おかえり」

 大樹の幹が割れ、1人のエルフが中から産み出された。顔や一糸まとわぬ体には幾重にもあざが刻まれている。

「クェル、久しぶりだね」

「ぁー…ぅー…?」

 歳を重ねたエルフのヤコブが声をかけるが、クェルと呼ばれたエルフはうつろな目をしてエルフたちを見上げる。立つこともままならないクェルを、ヤコブが大きな布で包んで姫抱きに抱えた。

「クェル!私が産まれたばかりの頃に命の樹に帰ってしまったの。今度は沢山お話できるかしら。ねえラルフ…ラルフ?」

 シャノンが未だに地面に手を着いたままのラルフに声をかける。前のお迎えで、ラルフはこんな様子では無かっただろうにと首を傾げる。


 また、枝葉がざわめいた。


 エルフたちは大樹を見上げ、ラルフも手を着いたままではあるが、ようやく目を開けた。

「来る・・」

 クェルが産まれてすぐ、宇宙まで伸びる枝葉になにかがぶつかった音をラルフは聞いた。手を離したエルフたちは感じることはできなかった、ラルフだけに聞こえた大樹への異音。

 小さな枝が折れる音がだんだんとこちらへ近づいてくる。空からなにかが落ちてきたと容易に理解出来た。

 大きなかたまりが1番下層の枝葉を抜ける。鈍い音と共に上から落ちてきたのは、


 赤茶色の髪をした、一人の女だった。



 ◆◆◆◆◆



 大樹に落ちてきた、姿形がほんの少しだけ違う赤茶色の髪の女は、マキラと名乗った。

 体にアザはなく、みんなは新しいエルフが産まれたのだと結論づけた。大樹からエルフが2人同時に産まれた話は聞いた事がない。でもエルフたちはその時に疑問に思っても、疑念を抱くことは無い。

 なにせ長い長い長い歴史が大樹にはある。自分たちが知らないことが1つあった所で、彼らにはささいな事だ。

 知らないことはそのうち誰かが知る。そして、そのエルフが全員に伝えて歩く。それをのんびり待てば良いだけのことだ。


 ラルフは他のエルフに囲まれ今の心身の状態を確認されているマキラを見る。

 目もまだ虚ろなクェルに対し、マキラは最初から言葉も歩行も不自由していない。様子を見ようと決まった時、サポート役としてシャノンが立候補した。

「私、シャノン。初めましてマキラ」

「あ、う、うん」

「もう、どこ行ったのかしら彼ったら…まあいいわ。慣れるまでは私と暮らしましょう」

 クェルを老齢のヤコブが連れて行き、マキラをシャノンが連れ帰ると、他のエルフたちもそれぞれの生活へと向かう。

 そうしてひとつの騒動は終わり、エルフたちの穏やかな時間はあっさりと戻ってきた。



 ◆◆◆◆◆



 ラルフは大樹を登る。

 命の母たる樹に登ることは特段禁じられていたりはしない。

 エルフたちは自由であり、『命の樹』を大切にこそしているが、畏れる気持ちは持ち合わせない。わざわざ傷つけたり悪意を持ってなにかをする事が無いだけだ。

 太い枝を選んで足や手をかけて上へ上へと登る。

 乾いた幹や尖った枝もラルフの柔らかい皮膚に傷をつけたりせず、ラルフの爪や硬い髪が枝葉を散らすことも無い。

 感じるのは大樹との確かなつながり。ラルフが大樹を登った先で探し求めることを教えるための優しい導き。


 1時間ほどかけて大樹の中腹までラルフは登る。

 ここまでくれば1本の枝がエルフ1人分以上の太さになり、足元もしっかりとしたものになる。

 普段暖かな光を降らせる葉に近づいているはずが不思議と熱さは感じず、むしろ程よい暖気が眠気を誘う。

「(今度、シャノンも連れて来よう)」

 そんなことを考えながら枝を渡り歩き、ラルフは目的の場所で、空を見上げた。


 ───そこには、天まで届く穴が空いていた。


 びっしりと敷き詰められた緑の天井に、丁度エルフが一人通れるぐらいの丸い穴。

 クェルが産まれてすぐに大樹にぶつかり、そして地面まで落ちてきた。

「(考えたことも無かったな、大樹の、この世界の向こう側・・・・なんて)」

 少なくともラルフの知る限り、大樹より高い場所を飛ぶ動物の類は存在しない。だが、この穴は大樹を向こう側から貫いている。

 ここを通ったマキラはきっと、この大樹の外側から来たのだろうとラルフは考え、穴の方へと手を伸ばした。

「世界の外にはなにがあるんだ?」

 美しく、命溢れる森。穏やかな悠久の時。不安も、恐怖も知らない理想郷の中心で、ラルフは胸の奥で燻る想いが分からない。

 少しだけ目眩がしてくる。

 森中をシャノンとめぐった幸せな旅の記憶。その穴には、それをかき消してしまいそうなほど芳しい誘惑の香りがする。


 ────結局、ラルフはその穴を緑で染めた布や、落ちていた草葉で覆い隠した。



 ◆◆◆◆◆◆




「────ラルフ」


 シャノンからその名前を聞いた時、マキラはあまりのショックに目眩がした。

 エリックとラルフの殺し合い。それをマキラは幾度と無く経験してきた。お互いにお互いを想っているはずなのに、ずっと2人はすれ違い、穏やかな時間を共に過ごすことすらできなくなってしまって。

 そんな2人をマキラはただ見ていることしかできない。関わっても、関わらなくてもどちらかがどちらかを殺してしまう。

 酷い顔をしてラルフを殺したエリックになんて、会いたくなくて。2人が殺しあった話なんて見たくも聞きたくもなくて。古い魔法を使って、遠い宇宙の果てまで来たというのに。


 マキラは自分を自分で抱きしめる。

 どんなに逃げてもしつこく付きまとう運命が肌に染み付いてる。腕に爪を食い込ませ、小さく震えるマキラの肩にシャノンは布をかける。

「どうかしたの?」

 こっちの心情を知ってか知らずか。シャノンののんびりした口調に、マキラは鼻の奥がつんとしてきた。

 エルフがどういう生き物なのかは、シャノンの話でなんとなく予想がついた。非常に穏やかな種族なのだろうと。

「(私、嫌な女だ。

 ラルフが居なければ良かったのになんて思ってる)」

 ここはマキラが求めた理想的な星だった。争いが無く、とても穏やかだ。

 だがラルフが居るならエリックも現れる。そして、きっとまた殺し合うのだろう。


 シャノンがこちらに背を向けている間に外へ出よう。この星を離れようと決意し、立ち上がる。

「痛っ…」

 足に、引き裂かれるような鋭い痛みが走った。久しく感じていなかった感覚に驚いたこともあり、マキラはその場で床へと座り込む。


「あら、ラルフ。おかえりなさい」

「ただいま、シャノン」


 2人の声にマキラは振り返り、そして静かに絶望する。

 多少の違いはあれど、やはりそこに居るのはマキラのよく知るラルフが居た。


 行かなければ、離れなければ。イスに手をかけて立ち上がるが、また足に痛みが走ってしまう。

 長いスカートに隠れた足に感じる異常事態。慌ててマキラは裾をまくった。


「なに、これ」



 ◆◆◆◆◆◆


 ◆◆◆◆




 ひとりはいやだ


 あらそいはいやだ


 大地に根を張り大きく育った『命の樹』には、意思があった。

 それはかつて水と光のある所にはやがて微生物が産まれ、長い年月を経て進化して陸へと上がる、意志の無い無垢な生き物たちがのんびりと暮らす惑星で、会話を願った存在。まだ苗だった頃に見た、所謂『人間』と呼ばれる生物に憧れた、本来なら言葉を持たない植物だ。


 そんな植物はある時、宇宙の果てへと送られた。理由は大樹自身にも分からない。偶然そういう空間へ落ちてしまったのか、それとも意図的に送られたのか。


 なにはともあれ、大樹は辿り着いた何も無い星で必死に根を張り、高く高く空へと伸びた。

 長い時間を生き延びて、宇宙へと届くまで大きくはなったが、大樹は孤独だった。


 だから、大樹は苗の頃に見た人間を真似てエルフを創った。

 だが、ただ遠くから人間を見ただけの大樹に作れたのは人間の模倣品だけだ。自分で動かすから、ただの人形遊びに過ぎない。孤独の慰みにもならない。


 そして、大樹の葉は魅惑的な光を発し、人間を呼んだ。

 そうして集まった人間に大樹は根を張り、彼らを取り込みエルフに『重ねて』いった。


 取り込むことで知った人間の争いを好むような、そんな汚い部分は切り落とし、人の温かな部分だけを集めて。エルフたちは実に穏やかに、しかし互いを思い合う理想的な、大樹からほぼ独立した生物となった。

 取り込んだ記憶とかつて自分が居た場所の思い出から、森を創り出して。動物を創り出して放ったのは、エルフの友となれるように。


 そうして生まれ変わった星で、大樹は毎日毎日代わり映えしないエルフたちの日常をとても満足しながら眺めていた。


 ?


 大樹は内心で疑問を抱く。あんなエルフは居ただろうか。

 確かに自分と繋がっているが、あまり考えが読めない。


 なんだろう。だれだろう。


 そう思いはしたが、大樹は寛容だった。

 この惑星を愛しているならそれで良い。大樹は彼を受け入れた。

 彼があまりに寂しそうで、あまり平穏を求めていたから。

 宝物を見せる子どものような無垢な大樹に、彼は気づいていないかもしれないけど。


 繋がっているからこそ知った、彼の傷が少しでも癒えますように。


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