悪魔とラルフ 老騎士とエリック
「いいから、教えてくれ!!」
教会の休憩室。本来ならば仕事を終えた聖職者たちが午後のティータイムを楽しんでいるはずのその部屋で、ラルフは声を荒げていた。
テーブルを挟んで彼の向かいに座るのは、この辺りでは高名な老齢の神父とシスター。
「悪魔祓いだ。何でもいい。金ならある。
寄付でも報酬でも賄賂でも何でも払うから、あの悪魔を殺してくれ…!」
王族の第二王子として産まれたラルフは記憶が戻ってすぐ、国内外の悪魔の伝承について調べ始めた。
権力を使いありとあらゆる文献や国内のエクソシスト等の悪魔祓いを請け負う人間を探させ、自分の元へと集めた。ある日突然、元々行っていた執務を投げ出し見えないモノに怯えるラルフの姿はかなり異様に映ったことだろう。
「ラルフ様、貴方様の…その、お噂は私も聞き及んでおります。」
「ああそうだろうな!もう国王にも第一王子にも気狂いかと思われて散々医者やカウンセラーに会わせられている!」
焦燥感から激昂するラルフだが、神父はあくまで冷静な姿勢を保った。
「その、貴方様はなにに怯えていらっしゃるのですか」
「名前はツェツィーリア、蝿を従える悪魔だ。
言っても理解できないだろうが、俺はもう何度も奴に会っている。今回は、今回は手遅れになる前に、思い出せんたんだ、だから、今!どんな手を使ってでも、ヤツを殺さなければならないんだ!」
荒く息を吐いたラルフはそこではたと気づき項垂れる。
(感情的になり過ぎた。協力を願うつもりが、これでは…)
ただ、神父とシスターはそんなラルフの様子に同情したのか、一度互いに目線を交わした。
「マリア、しばらく教会を開けても大丈夫かな?」
「ええ。もちろんです。彼の力になってあげてください」
神父はラルフの肩に手を置く。
「王子。私も力になりましょう」
「!ありがとう」
ラルフは神父の荒れた手を握る。
普段から教会の雑務をこなし、人々からの評判がかなり高い。その分厚く無骨な手に、ラルフは静かに怯えた。
かつて友を殺せと言ったあの神父の手に、そっくりで。
◆◆◆◆◆
都市から離れた廃村の教会。そこに集うは国中から集められた対悪魔のプロを名乗る人間たち。
報酬目的の偽者も紛れ込んでいるようだが、ラルフにはどうでも良かった。
(エリック、お前が居れば…いや、そうなれば、俺が殺すのか)
あの広場での温かい日々はずいぶんと遠い昔の話になってしまった。今にも他の記憶に埋もれてしまいそうな光景を絵に書き、文字に起こし、ラルフは何とかして記憶に留めていた。
(お前とは、何度殺し合えば良いんだろうな)
ここ何十回かは会話すらロクにできていない。ツェツィーリアに操られ、惑わされ。ラルフが記憶を取り戻す頃にはすべてが手遅れになっていた。
(…男爵は元気だろうか。記憶が戻ってからは、一度も会っていない)
レストレード男爵は、記憶が戻る前のラルフにとって友人であり恩人である男だ。
前王妃の息子である第一王子と、現王妃の息子のラルフ。どちらも正式に国王の子であり、長兄である第一王子が王位を継承するべきか、現王妃の子でラルフが継承するのか。
ラルフが幼少の頃、一時期ではあるが王室内はその2つの派閥で割れていた。現王妃が前王妃を尊敬していることや、国王自らが第一王子への王位継承を宣言したこと、第二王子派は元々小さな派閥だったこともあり、その件自体の収束は早かった。
だが、まだ子どもだったらラルフとしては擦り寄る貴族たち、第一王子派閥からの敵視でひどく不安定になっていた。
そんなラルフの教育係をしていたのがレストレード男爵だ。
王の個人的な友人でもあるという男爵は、人間不信になりつつあったラルフを度々勉強と称して城下町へと連れ出した。
広く狭い城を抜け、国民たちと交流する時間はラルフの心に温もりを与えた。男爵の趣味であろう高級娼婦に連れて行かれたときには正気を疑ったが、口の堅い娼婦たちの傍は居心地が良かった。
記憶が戻ってからは、ツェツィーリアを殺すべくひたすらに人を集めることに奔走し、周りを省みる余裕が無かった。男爵は何度か会いにきていたはずだ。無事に帰ることができたら、謝罪をしなければならないとラルフは思った。
(だが、ツェツィーリアが俺につきまとう理由が分からない。
ケイトが居たあの世界で、俺が召喚してしまったから?
転生をする人間がめずらしいのか?
文献で悪魔は願いの対価に命を要求すると見たことがあったが、直接的で無いにしろ奴が原因で何度も俺は死んでいる。
…エリックは、何か知っているだろうか。正義のために戦うあいつなら、ツェツィーリアとも戦ったことがあるかもしれない。)
◆◆◆◆◆
壊滅だった。
魔法が創作物の中にしかない世界ではあったが、エクソシストたちはほとんどが本物だった。
ツェツィーリアの送り込んだ斥候の喰種は聖水や祈りの力により祓われていたし、結界も奴らにきちんと機能していて。
だが敵の数はあまりにも多く、じわりじわりと味方は数を減らされ、最後に残ったのは神父とラルフだけとなった。
「おお神よ。我らをどうかお救いください」
震える声で祈る神父には戦う力は無い。
エクソシスト同士の仲を取り持ったりと大いに貢献をしてくれていた。ラルフとしては逃してやりたかったが、敵に囲まれ、もうどうしようもない。
神の像があったであろう台座を背に、喰種たちに剣をむける。ツェツィーリアの命令か、ラルフに手を出す気は無いようだが、自分の後ろの神父はそうはいかないだろう。
「残念でしたネ。我が王」
「お前は何だ。ツェツィーリア。なぜ俺を王と呼ぶ。
なぜ王と呼びながら、俺を殺す」
喰種の群れにいつの間にか紛れるように居たツェツィーリアに問う。死体を踏み越えたツェツィーリアはたいくつそうにあくびをしてから、ラルフの前で深々と礼をした。
「我が王。小生は王のためにあり、王は小生たちのためにある。王が何も与えてくださらないなら、謀反は当然デショ?」
「貴様らに、与えるものなぞ無い」
「デハ、『次』に期待しますヨ。小生は気の長いほうなので」
ツェツィーリアが顔を上げ、腕を横に振るう。奴の背後から間欠泉のように吹き出した蝿たちは天井を覆い尽くし、ラルフの頭上へ真っ直ぐと降り注ぐ。
全身を覆われれば口や鼻、目、わずかな傷口。穴という穴から蝿が体へと潜り込み、食い散らかされるかツェツィーリアの傀儡とされてしまう。
その感覚を思い出したとき、ラルフは叫びながらその首に刃を当てていた。
逃げることも、生きることも諦め、恐怖に支配されたラルフは、一心不乱に悪魔の前から逃げ出した。
◆◆◆◆◆
◆◆◆
ラルフがエクソシスト集めに奔走していた頃、レストレードは件の第二王子との対話の機会をどうにか得ようとしていた。
もし、宗教にはまったりしていたら。レストレードは顔を青くする。
レストレードの知人で宗教にハマった男は、それはもうひどい有様だった。献金のために妻子を売り、レストレードが最後に見たのは焦点の合わない目で宗教関連の品物を売りに来たときだ。
ラルフがそうなったらと思うとゾッとした。最初は小生意気で愛想がない子どもだと思っていたが、今ではレストレードはラルフを我が子と同じように大切に想っていた。
「やあ、少しいいか」
そんな中、レストレードは不思議な青年に会った。
金髪碧眼でラルフと同じぐらいの歳の、レストレードの領内に住む青年だ。
ラルフの住む王都とは違うだろうが、最近宗教やまじないの類が流行っていないか、聞いてみたのだ。
「うーん。僕は知らないかな」
「バカ!男爵様だぞ!敬語を使え!」
友人らしき青年に小突かれるが、金髪の青年は少しだけ困ったように笑うだけだ。
「構わない。君はどうかな?」
「いえ、ごめんなさい、俺、いや私も知りませんっ」
ピッと背をただし緊張した声を張る友人と比べると、金髪の青年はやはり落ち着き払っている。
「ねえ、最近王都で悪魔が出たの?」
「お、おい!お前また…!」
雨上がりの、余分が無い青空のような瞳だとレストレードは思った。真っ直ぐで、キラキラと輝いているようにも見える。
この村ではなく王都に住んでいたら、あっという間に人さらいに売り飛ばされてしまいそうなほど、顔立ちも整っていた。
「僕、悪魔には詳しいんだ。だから、もし困っているのなら手助けをさせて欲しい」
「…君の名前は?」
「僕はエリック。よろしくね、レストレード男爵」
◆◆◆◆◆
エリックを伴い、レストレードは王都へと急いだ。
ラルフが悪魔祓いを生業とする者を集めているならと、悪魔に詳しいと言うエリックを連れてきた。だがレストレードには正直な話なぜ自分がエリックをここまで信用しているのか理解できずにいた。
「悪魔はね、人の心の隙間に漬け込むんだ。賢い悪魔は人に紛れるし、魔物たちを呼び出すこともできる」
「呼び出すとは、どこから」
「地獄だよ。魔界とか、まあ世界によって呼び方は違うけどね」
王都へと向かう馬車の中でレストレードはエリックから悪魔のことを聞いた。彼によれば、悪魔は普通の剣や銃で殺せると言う。
「僕は空を飛べないし、何も無い所から火や光を生み出すことはできないけど。でも、勝つよ」
まだ若いのにも関わらず歴戦の戦士かのように悪魔を語るエリックが、レストレードの言葉に顔色を変えたのはただの一度だけだ。
「ラルフ?」
「ああ。貴殿は、第二王子を見たことはなかったか」
「うん。あの村から出たことが無かったから…そっか、なら急いで助けないとだね」
「あ、ああ」
◆◆◆◆◆
レストレードがエリックと騎士団を伴い例の教会へたどり着いた時には、全てが終わっていた。
誰もが積み上がる化物の死体に目を見張り、厳しい訓練と実戦を切り抜けてきたはずの騎士たちすら騒然とした。
人間としか争って来なかったことが幸運とさえ思えてしまう。
そんな中を平然と進むエリックの背中をレストレードは追った。ラルフが教会の中でまだ無事でいるなら、と。
「う、うわぁあ?!!」
礼拝堂。かつては神の像があったであろう台座の上にはひどく悪趣味なオブジェが飾られていた。
服装から神父とおぼしき死体を踏みつけるようなポーズで固定された死体は、固定のためか体中に木の杭が打たれている。
ラルフが教会へと立てこもって、一晩も経っていない。そのはずなのに体のほとんどは腐り、辺りに腐臭をばらまいている。
「ラルフ」
像を見上げるエリックは呟く。
ああそうだとレストレードは全身から汗が噴き出した。着ている服も、かろうじて判別できる顔もその黒髪ラルフのものだ。
「ひ、ひぃ!ひいぃ!!」
その事実と目の前の光景に耐えきれず、レストレードは教会の外へと逃げ出した。
後から来た騎士たちもその光景に動揺し、あるいはレストレードと同じようにその場を離れるべく走り出す者も現れた。
「ごめん、遅くなったね、ラルフ」
エリックは台座へと登り、何人か残った騎士と共にラルフの死体をそっと降ろす。
「こ、これを全て悪魔が…第二王子も、お辛かったでしょう」
騎士の一人が呻きながら言う。
「ううん。ラルフはたぶん、その前に自殺している。
…ほら首の周りの傷が比較的、きれいだ。」
大きめの布でラルフの体をくるみながら、エリックは言う。
「(なにを言っているんだ、こいつは)」
老年の騎士は思う。数多くの戦場へも出たことのあるその老年の騎士は、エリックの言葉に恐怖した。
食い散らかされ、彼でさえ目を背けたくなるように変わり果てているのに、冷静に傷の判別まで付けたエリック。
「?」
エリックの澄んだ青い瞳が老年の騎士を射抜く。とても誠実に、丁寧にエリックはラルフの死体を扱い、神父の体も同じように丁重に扱っている。
非難する点などないはずだ。
◆◆◆◆◆
数ヶ月後。
老騎士は王都で凱旋パレードを進むエリックを、窓から見下ろしていた。
彼はあの教会の一件を起こした悪魔を退けたのだと言う。同行した多くの騎士が、それを目にしている。
教会の惨劇を見たことによる心労か、老騎士は体調を崩し引退していた。
「彼ならたしかに、成し遂げるだろう」
数日前、老騎士のかつての部下が誇らしげにエリックの戦果を語りに来ていた。
やはりエリックという人間は騎士にふさわしい優しき心と強さを持っていたのだ。
「だが、なんだ、この違和感は」
死体に触れるエリックの後ろ姿が、老騎士の頭から離れずにいる。平然と、慣れた手つきで死体に触れる彼の様子は、とても平穏な村で生きてきた者に備わっている胆力では無い。
パレードは進み、彼が老騎士の家の前を通り過ぎていく。
横顔ではあったが、やはり彼は正義と希望を宿した、澄んだ瞳をしていた。
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