第4話
その頃およねは、つねづね親しくしているおまきと一緒にいた。
おまきの家も呉服屋、但馬。
およねの父、吉兵衛の店ほど大きくはないが、営業基盤がしっかりしている。難を言えば生まれてきた子が女ばかりで、近江屋とご同様だった。
その中庭の片隅に、数本の松や竹林に囲まれた、小さな離れがひっそりとたたずんでいた。
離れと言えば聞こえがいいが、表向きは小屋同然だが、一歩中に入ると造りがちがった。さすがは呉服屋である。
大旦那の九兵衛は長女のおまきに跡目を譲ろうと考えていたが、幼い頃よりあまやかしたせいか、わがままに育ってしまった。
「女だてらにまあ、小づくりとはいえ、独立した離れを持つのはとんでもない。世間に顔向けできない」
そうおまきを、九兵衛が諭した。しかし、おまきはついに聞き入れなかった。
あれやこれやと九兵衛は心配したが、さほどのことはない。離れを訪ねて来るのは女ばかりだったから、ほっと胸をなでおろした。
時節は冬から春へ。ときおり春告げ鳥が鳴いた。
およねの息が、はあはあとあらい。
髪が乱れ、着物の裾があちこち汚れている。
囲炉裏わきの土間に腰掛けたまま、上体を黒くすすけた柱のひとつにあずけてぐたりしている。
「まあまあ、おようちゃん。きょうはどうかしたの」
「……」
返事の代わりにおよねは黙った。
「わからない?」
「言ってくれなきゃね。いくら小さい頃から遊んだ中だからって、わかるわけないでしょ?」
おまきはおよねにしゃべらせようと、一計を案じた。
「ひょっとして、嫁入り先が決まったとか?」
「くっ、あんたってもう……、笑うしかないわね」
「だったら、笑って。ほほ笑んでいるおよねちゃんって、大好きなんだから」
「あら、そう」
おまきは押し黙ったが、しばらくして、
「まったくあたしったら、あほで。お話にならへんの」
自前のことばでぽつりと言った。
「あほっ?ああ、ばかってことね。それはお互いさま。やっと顔色が良くなったわね。あたし、うれしいわ」
「おおきに、ありがとさん」
「相変わらず、上方ことばが抜けないわ。ほかの子が変ねと思っても、わたしはもう慣れたわ。そんなことよりくわしく話してちょうだい。何かあったんでしょ。そんなところにいないで、もっとこっちへ上がって」
「いい。畳がよごれる……」
およねが自分の着物の裾を見つめた。
「そんなのいいわ。ふけばすむことよ」
「わかった……」
およねはほっとした表情を見せてから、先に自分のきんちゃく袋をぽいと畳の上に投げおいた。そしておもむろに小座敷に上がると、投げ捨てたものに手をのばし、ふところにしまいこむと、ぺたりとすわりこんだ。
その際、立ち上がったおよねの着物の裾がバッとひろがり、「およねちゃん、あのね」と言って立ち上がろうとした、おまきの目のあたりに当たった。
「ごめんごめん」
「いいのよ、こんなこと。痛くもないわ。あっはっは」
「おかしいの」
「うん」
おまきが明るく笑った。
「ほんと、おまきちゃん、ありがとね。いろいろと気づかってくれて」
「もうなれてますから」
「普段なら、およねちゃん、玄関から入って来るのにね。きょうはそうじゃなかったでしょ?あなたとわたしだけの秘密の道でしょ……」
「うん」
初めは紅かったおよねの顔が、たちまちにして表情が暗くなる。
胸の奥にしまった心配事がぬっと頭をもたげた。
「どうしたん、その顔は?ひょっとして何か具合の悪いことでも」
「……」
「言わないの。言いにくいのは、わたしより先に嫁入り先が決まったとか……。そんなんじゃ、もっと嬉しそうだし……。黙り込んでたらわからないじゃないわ」
おまきはすっと立ち上がり、涙ぐみながら、背後からおよねの体を抱いた。
およねが上体をふるわせながら、
「ごめん、おまきちゃん。あたし、あたしね、好きな人ができてしもたん……」
およねはそれだけ言うのが精いっぱい。あとは口をつぐんだまま、ぽろぽろ涙をこぼし始めた。
巴波川・恋の舟歌 菜美史郎 @kmxyzco
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