第3話 何かが始まりそうな日

 新年というのも、四日も過ぎればすぐに平凡な日常に戻ります。


 それ以降は、何月であろうが大差はありません。ただ、外の空気が暑いかそうでないかの違いくらいのものです。

 少なくとも、私の一年はそう大まかに二分されるのみ。

 空や木々の色調の移ろいとか、どこそこの国の料理が流行るとか、自分の肌の水分量の変化とか、そんなものは取り立てて騒ぐようなものではありません。


 でも、新年は別物。


 十二月に入ると、それまで機能していなかった私の感性の一部が、飛び起きるようにして動き出します。まもなくやってくる新年の影を感じ取り、ぎゅっと胸が熱くなるのです。

 そして、年越しの瞬間、その熱量は最高潮に達します。そうやって、恐らく多くの人々と同じように、私は年末年始という明るいイベントの一つに向けて興奮し、新年を心から嬉しく迎えることができます。


 それは、まだあなたが父親として機能していた頃の影響が強く残っているせいもあるでしょう。

 かつては、毎日のように飲み歩き帰って来なかったあなたも、年越しの時には必ず家の中で過ごし、家族の大切なイベントの一つとして大張り切りで陽気に過ごしてくれましたね。

 あなたにしてみれば、そんなものは普段の夜遊びに毛が生えた程度のものでしかなかったかもしれませんが。

 でも、あなたが家庭の方を向き、その喜びを全身で表している姿は、まだ幼かった私の目にはとても尊いものとして映りました。


 そして、大人となった今でも、それは頭の中のひきだしの上段にきれいに保管されています。


 この時のあなたはとても贅沢をしていましたね。

 高級なお酒にピスタチオ、カマンベールチーズに数の子、蟹に和牛に刺身。貝殻の形のチョコレートや頑丈なカップに入ったアイスクリーム。


 そんな高級食材がぱんぱんに詰め込まれた我が家の古い冷蔵庫は、普段の姿とは見違えるほど身分不相応な輝きを放っていました。


 ジー、ジー、とどこか不満げで重たい機械音を響かせる冷蔵庫。

 薄暗い冬の台所。

 冷たい匂い。


 その殺風景な情景は、いつしか固く温かい思い出に変わっていきました。


 そして、そのまま泥にまみれた私の子供時代の型枠を担ってくれたのです。


 大人になってそんな贅沢な時間を過ごさなくなった今でも、この時期になるといつもあの頃のことを思い出します。

 おまけに、独り身の私には決してまねできるはずがないのに、あの頃のように家族で楽しく過ごした気持ちになって浮かれてしまうのです。


 それは、今回も同じでした。


「あなたが死んだばかりでも、この楽しい気分は変わらなかった」と言ったら、あなたは怒りますか。

 こんな話をするつもりはありませんでしたが、話したいと思ったところで伝える相手もいませんから、こうして手紙を書く時にでも適度に話しておくのがちょうど良いのです。


 でも、今日の本題はそれじゃないの。

 今日は面白いことが──いや、正確には「これから面白くなりそう」な出来事がありました。


 今日は仕事始めでした。あなたも知っての通り、私はまだ非常勤の英語講師の仕事を続けています。相変わらず、マイペースにやれていますよ。時給もさして悪くありません。

 今日は午前中に会議がありました。実際、授業は来週からですし、その内容も昨年末の続きからなので大して話し合うこともありません。

 それでも、自分の受け持つ教科の進捗状況を、手持ちのカリキュラムに沿って皆で共有しました。特段、大きな問題や新しい発見があったわけではありませんが、まったく無意味というわけでもないのです。


 非常勤講師というのは、大抵授業をしている時間にのみ給料が発生します。だから、私を含め多くの講師は、授業が終わるといつまでも講師室に居座ることはなく、すぐに帰ります。

 一つの科目を二人で受け持つ場合などは多少の引継ぎもありますが、それも基本的には、その二人の間で済ませればいいだけの話。わざわざ、こんな中途半端な時期に集まって会議を開くまでもありません。


 けれども、一コマ九十分の授業以外にお呼びでない私たちが、あえて一つの教室内で時を過ごす——そこには、大きな意味があります。


 ゆったりと周りを見渡す時間を設けると、この職場における自分と、その他の物との関わり方を改めて知ることができます。

 それをしないと、やっぱり多くのことを粗雑に扱うようになる気がするのです。

 下手をすると、このスクール自体が自分一人の持ち物であるような、そんな身勝手な心も働きかねません。

 そうなると、共用備品であるテキストや音響機器、ホワイトボード、さらにはトイレでさえも、大切に扱えなくなってしまいます。


 この仕事は好きですが、全く不満を持っていないわけではありません。運営などの業務を背負わない気楽さは確かにありますけどね。


 でも、やっぱり忙しい。時間がない。なのに、稼げるわけでもない——そんな苛立ちに飲まれることの方が多いのです。

 最初から、全部自分で選んだ道のはずなのに。おかしな話です。


 まあ、結局何が言いたいかというと、定期的に自分の職を見つめ直すには、この会議は決して無駄ではない、ということです。

 だから、新年一発目の仕事であるこの会議が、私は好きです。


 歯磨きも、化粧も、髪の毛のセットも、朝食も、靴磨きも——この日が一年で一番、手抜かりなく念入りです。


 そこには、新しい年に見合った新しい私がいます。自分と向き合う余裕さえある。


 そんな特別に仕上がりの良い日に、面白い出来事があったというわけです。

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