ドーン・オブ・ザ・リビングガールズ


 新年の朝に吸い込む空気ほど、肺を浄化させるものはないと思ってる。


 冷やされたその空気は毎度のこと新鮮であり、何度吸って戻しても味わい深いものだ。それが高台に構える神社の境内のものなら、なおさらだ。


 さきほど登ってきた石段の向こうに広がる町を見下ろし、私はまたも大きく息を吸い込んだ。冷え込んだ空気が舌の上を滑って喉を凍らせる。そうして、痛いほどたまった冷えた空気を一気に吐き出す。真っ白な息が澄んだ景色の中に溶け込み、朝日に浄化されてサラサラと消えてった。なんて、綺麗なんだろうか。


 境内周辺の伸び放題の杉の木も、小さく見える古いコンクリートのビルも、白線の消えかかった交差点も。さらに遠くに見える水平線も、水のない枯れた田んぼも。


「二年ぶりなのに、なんも変わってないんだなぁ」


 ひとりごちる。この景色はいつ見ても飽きない。高校を卒業するまで、私は飽きるくらいまで眺めていた。


 境内を見回すが私以外はいない。新年だというのにちょっと寂しい気もする。せっかくの和装なのに、披露する相手がたったひとりとは。


 しばらく境内を見回しながら待つと、件の相手がやってくる。先ほど私が上がってきた階段を、肩で息をしながら登り切り、両膝に手を置いて私にいう。


香子かこの住んでた町ってけっこー坂が多いんだね」


 息も絶え絶えにヒバリはいった。ヒバリも同じく着物なのだが、似合わない大きいリュックサックのせいですっかり体力を削られている様。眉のすぐ上で切りそろえた前髪から薄っすらと見えるおでこには、大粒の汗がにじんでいた。


「せっかくの着物なのに、すっかり汗だくで最悪」

「そんな大きな荷物持ってくるからだよぉ。さっき寄った私の家で置いてくればいいのに」


 私は肩に吊るしていた和柄の小さなコーチを見せびらかす。

 ヒバリはリュックサックを下ろし、ジッパーを開けて水筒を取り出し、片手で蓋をあけてグイっと口に運ぶ。プハァ、と一息つくとヒバリはいった。


「ダメダメ。このリュックは私と一心同体なの。例え彼氏ができても、こいつとは別れるつもりはない」

「そんなゴツいリュック背負ってる女子なんかと付き合う男がいると思う?」


 ヒバリのリュックは高校時代に知り合ったアメリカ人に貰ったものらしい。なんでも父親が在韓米軍の海兵隊にいたらしく、そのお古を友情の証としてもらったそうだ。


 水筒をリュックサックに戻し、また背負うと「いやー、しかし誰もいない新年の神社って新鮮だねー」と愉悦にいう。


「でも、すごいね。普段はTシャツとジーパンしか着ないヒバリが、まさか着付けできるなんて知らなかったよ」

「でしょー? 人は見かけによらぬ。能あるは爪を隠すとはいったもんっしょ」

「それをいうならでしょ」


 バカ丸出し。アハハと互いに笑い弾け、私たちは本殿へ続く石畳を歩く。

 

「うろ覚えだけど、ヒバリの家って呉服屋だったんだっけ?」

「半分はせーかい。ママが百貨店の呉服売り場にいただけ。着付けもそうだけど、初詣の時に人気の柄とかは教えてもらったよ。梅とか水仙、冬牡丹とか」

「へぇー」

 ヒバリの母親はスナックのママとかそんなヤンチャな人だとばかり思ってた。ヒバリは続ける。

「ほかにも色々言ってたけど、外出着として着るのは小紋こもんっていったりね。初詣は祝い事で、帯はキッショーブンヨーがいいとか。小難しいことばかりで、覚えるのやめた」

 自嘲気味に笑う。

「とにかく、あれやこれやと押し付けるみたいにいうからさ、私はお母さんが嫌いだった。でも、いまならわかる。お母さんはこの国が好きだから、娘である私に色々教えたかったんだと思う」

「そうなんだ」

 私たちがこうしてツルんでから一年経つけど、初めて聞く話であった。ヒバリはちょっと照れ臭そうにする。

「でも当時の私は第二反抗期だから、お母さんと話すことすらイヤだった。“和”なんてクソくらえってね。だから、参拝の仕方なんて忘れちゃったよ」

「なにそれー」


 わざとらしく呆れたといった手振りをする。ヒバリは「お辞儀一回の、拍手三回でいいんだっけ?」とおどける。

 ヒバリはいつだって冗談で最後は終わらせようとする癖がある。自分も相手も笑えば、それでいいと思うタイプ。本当は、お母さんの


「昔っからここの神社って人がいなくってさ。たまに神主が見回りにくるんだけど、ヨボヨボのおじいちゃんだから一日に一回か二回くらいなの。だから、部活中は定番のサボりスポットなの」

「わるぅ~」


 記憶を思い起こしながら、私は続ける。


「ランニング行くフリしてさ、さっき下にあった自販機でジュース買って。その本殿の階段のところに座って部活のみんなでサボるの。そして、頃合いを見て走って帰る。汗かいておけばサボりなんてバレないし」

「わっるいことしてるなぁ〜。……んで、そのサボりグループに、例のもいたわけっと」

?」


 最初、誰のことかわからなかったがすぐに思い出して恥ずかしくなる。いけない。そういえば少し前に話したんだっけっか。ヒバリはそんな私の胸中を見抜いてか、「あー、誤魔化してるなぁ」としたり顔。


「えー、なんのことかな?」


 ヒバリは人差し指を立てて、チッチっと舌打ち。そして名探偵よろしく、クールぶっていう。


「木村くんの情報。その一、背が高くて見た目はクール」


 あーそうそう。そう言ってたね、私。ヒバリは二本目の指を立てる。


「木村くんの情報、その二。笑うとエクボが可愛い」


 そこまで話してたっけか。地元で話されると、誰かに聞こえてないかとソワソワしてしまう。


「その三。走る後ろ姿がカッコよくて、後ろについて匂いを嗅いでしまう」

「嗅いでなんてないよ。でも、後ろを走ってるといい匂いがするだけ」

「それは嗅いでるのと一緒じゃない?」

「一緒じゃない」「一緒」「一緒じゃないもん」「一緒たら一緒」「一緒じゃないってば」


 私たちは白い息をぶつけながら「一緒/一緒じゃない」押し問答を繰り返して、鳥居を抜けて、手水舎の水で指先を洗う。

 賽銭箱の前に立ったところで私が言い負けた。というより、折れたというのが正解。ヒバリの押しには敵わない。だって好きな人の匂いって嗅ぎたくなるじゃん。

 勝ち誇っていたヒバリだが、すぐにその表情は掻き消した。


「でも、残念。ウチがもう少し早くここに来てたら、その木村くんにも会えたのになぁ」

「なんで?」

「だって、香子の初恋の人でしょ? すっごく気になるじゃん」

「初恋、かぁ」


 私は神台の前で思い返す。……あれ? 私、木村くんのこと好きだったのかな?

 初恋というと、ちょっと仰々しく感じてしまう。だって、彼女になりたいとまでは思ってなかったもん。でも、私がずっと木村くんのことを見ていたのは事実だ。

 そうやって呆けたように思い耽っていると、ヒバリの人差し指が私のおでこを小突いた。


「初恋だよ、初恋。香子はそうやっていろいろ考える。悪い癖だよ、ク・セ」

「もうのことだよ。忘れようと思う」

、だけにってか?」


 ヒバリが賽銭を投げながらおどけて笑うので、「こいつぅ」と肩で押して妨害。ヒバリの小銭は見事に賽銭箱の向こうに転がる。ざまあ。

「こいつぅ」と口では怒るヒバリだが、やり返すことはなくケラケラと殴るフリ。そんなやりとりをした後、私たちはせーので鈴紐を揺さぶった。

 ガランゴロン、ガランガラン。

 くすんだ鈴が大きな音を立てる。それから二回お辞儀して、二拍手。パン、パン、と心地よい乾いた音が響き、一礼。数秒ほど目をつぶっていたと思う。

 頭を上げた私たちは踵を返し、「さ、お祈りも終わったし行こ」というヒバリについて引き返す。

 上機嫌で軽やかな足取りで進むヒバリに私は質問した。


「なにを願ったの?」

「え、ウチ? そりゃあもちろん、世界平和よ」

「バッカじゃないの」


 でも、ヒバリならありうる。当然、今度はヒバリが尋ねる番。


「香子はなにを願ったの?」

「うーん」と悩む素振り。


「……世界平和」

「また秘密にしてるなぁ、このバカ」

「バカじゃないもん。バカなのはヒバリの方でしょ、爪隠すワシ」


 ヒバリがこんにゃろーと私の背後から首を絞めるように手を伸ばすから、私は作った悲鳴をあげて逃げ出す。実をいえば、私も同じことを思ってた。だって、他に望みなんてないし。

 神社の境内をひとしきりはじゃぎまわったあと、私たちは階段へと戻った。階段を降りようとしたその時、下の景色が来たときとは違うことに気づき、立ち止まった。

 

 境内と町を紡ぐ階段の下――杉並木道にはぞろぞろと蠢く人影が見えた。ゆっくりとした足取りであるが、着実にこちらを目指して歩いている。数にして十五~二十人ほどのグループだろうか。

 私の横に立つヒバリがはぁーと大きなため息。


「あっちゃー。やっぱり鐘を鳴らしたからきちゃったかなぁ」とヒバリ。

「せっかくの貸し切りだったのに、残念だね」


 私たちは互いに見つめあい、またケラケラと笑いあう。二人だけの時間はもうお終い。残念。


「ねえ、帰ったらお雑煮食べたい」とヒバリ。

「唐突だねぇ、ヒバリは」


 でも、そんなヒバリだからこそずっと隣にいれる。


「じゃあまた作ってあげるね」

「うん。香子の作るお雑煮はおいしいから。でも、しいたけはいらないよ」

「ワガママいうんじゃありません」


 やがて、うめき声が風に乗ってこちらに届いてきた。

 うめき声はいくつにも重なり、呼応して、下の町で蠢いていた亡者たちを呼び集めているようであった。

 どうやら、そろそろスイッチを切り替えないといけないよう。遊びは終わり。私たちは準備を始めた。

 まず履いていた下駄を脱ぎ捨てる。

 次にヒバリはリュックを下ろし、中からシュタイヤー・モデルTMPサブ・マシンガンを取り出す。また二十五発入りの弾倉とサウンド・サプレッサーを慣れた手つきで装着していく。TMPサブ・マシンガンの無駄のないシンプルなデザインは、まるでゲームセンターに置いてあるシューティング・ゲームのガン・コントローラーみたいで好きなんだ、と言っていたっけ。

 一方の私はコーチの中からグロック18Cマシン・ピストルを取り出し、グリップから突き出るほど長い弾倉を差し込む。グロックなんてぜんぜん使わない。そもそも私は武器切り替えトランジションなんてしない。そんなことをするならプライマリウェポンで愛用している20式小銃の予備弾倉をたくさん携行した方がマシだ。


「あんなに数いるんじゃライフル必要だったね」


 私は正直にいった。ヒバリはちょうど弾倉の入ったポーチが三つ巻きつけられたベルトを腰帯の上から巻いている最中だった。


「たしかに。あ、でもグロックのC-マグ持ってきてるよ。あらかたは片付くんじゃない?」

「さすがはヒバリ、ナイス」


 予備の弾倉を帯にねじ込むと、ふと私は思い立ってグロックのセレクターをフル・オートマティックにした。そしてセレクターを見せながらヒバリにいう。


「せっかくの正月なんだし、パーと撃っていい?」

「いいんじゃない? じゃあ、ウチはド派手に新年の花火を打ち上げちゃおうかな?」


 そう言ってヒバリは左手をこちらに伸ばす。手の中には破片手りゅう弾と白燐手りゅう弾。安全ピンのリングを人差し指と中指に通して、二つの手りゅう弾が手の中でコロコロと揺れている。リュックの中にそんなものまで用意していたのか。こればかりはヒバリに負けた。


「あとで怒られるかな?」と私。

「きっと怒られる。『弾薬を無駄にするな!』って」

「じゃあ、帰って一緒に怒られよう」


 ヒバリからごつい丸みをしたCマグを受け取り、眼前に迫る亡者の群れを見おろす。

 ほとんどが腐敗しかけた皮膚がたるんでいたり、顔のどこか一部が欠損していて、生前の面影が薄まっていた。中には歩行すら困難で、石段を這いずる者もいた。二年という時間も相まってか、もう誰が誰だかわからないや。


 たった二年でいろんなことが変わってしまったなぁ、と感慨に耽る。世界も変わったし、人も変わった。変わらなかったのは、この景色だけ。

 そう。この景色。二年前のあの日と同じ。


「……あの中に木村くんはいるかな?」


 ボソリと呟いた。いや、自然と口から洩れたのが正解。


「いたらどうする?」


 ヒバリはおどける様にいった。でも、その声音はふざけてなかった。


 どうするって?


 足袋越しに伝う石材の冷たさ。寒さに指先が悴む。

 冬はなにかしら鈍くさせる。

 感覚とか、痛みとか。

 そして、のも事実。

 って?

 ──そんなの、最初っから決まってる。

 私は指でっぽうを作り、ヒバリの頭に向ける。目があった瞬間、「バーン」と放ってウインク。

 少し間が開き、私たちが噴き出したのは同時だった。


「そっか。じゃあ、片付けよっか」


 スライドを引いて薬室に弾丸を押し込むと、ヒバリに笑ってみせた。ヒバリもここぞとばかりに頬を緩ませる。

 新年初の、ベストスマイルのはずだ。

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短編集『アンデッド・ナイツ・オブ・ザ・デッド』 兎ワンコ @usag_oneko

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