短編集『アンデッド・ナイツ・オブ・ザ・デッド』

兎ワンコ

イベントの夜

 夜はいつだって違う景色を見せる。

 真昼に見るアサガオや、土埃で汚れた背の高いブロック塀。寂れた街灯。太陽が曝け出していたつまらないものが変わり映えして、夜という世界を見せつけてくる。


 夜には夜のルールがあると私は思う。普段、太陽が昇っている時にしかうろつかない者にとって、暗闇に住む者の領域を冒している気がしてならない。私たちは昼の領域の人間。だから、昼の人間が夜を堂々と歩くのは、気が引けてしまう。そう思い込んでしまったら最後、家から学校に着くまでのあいだ、おっかなびっくりした足取りで歩くしかないのだ。


「なんかさぁ……夜の通学路って不気味だよね」

「わかる。こんな日じゃなかったら、絶対来ないよね」


 隣をヒョコヒョコと歩く風見かざみニーコの肩に手を置き、恐る恐る歩いた。

 風はざわざわと木々を靡かせ、土となにか湿ったような匂いを運んでくる。私の通っている中学校はやはり、田舎の方だ。周囲を低い山と森林に囲まれていて、街灯もところどころにしかない。二十四時間やっているコンビニエンスストアなんて自転車で遥か先の方だし、民家だってところどころにしかない。


「でも、こうやってみんなで学校に集まるって、不思議だよね」

「だよね。でもさ、なんでこう、夜なんだろう。怖いじゃん」

「でも、一年に一度しかない文化祭だよ? 私はすっごく楽しみ」


 木々のざわめきに混ざって、なにかお経のような声が聞こえてくる。互いに肩をビクつかせる。どうして、夜になんかやるんだろう。私は甚だ疑問に思う。

 そんな調子で進んでいくと私たちの学校が見えてきた。校門には普段はない『第12回 田川中学校文化記念祭』という横断幕が風に靡き、投光器によってライトアップされていた。

 校庭は野球部が使う投光器が煌々と灯っており、校庭の真ん中には二年生たちが集まっていた。みんな妙に浮かれていて、私たちは自然と彼らの輪の中に入っていった。

 背中に背負っていたリュックを降ろし、私たちは安堵のため息を吐いた。みんながいれば大丈夫だ。昼の人間がこうして集まれば、領域は広がる気がする。


「リサ、校舎を見て」

「え?」


 ニーコに促されるまま校舎に目をやる。校舎内にも煌々と明かりが灯っており、中では三年生たちが忙しくなく動いていた。


「三年生はいいなー」とボヤく私。「私も出し物に回りたい」

「だよねー。そういえばリサはさ、今日なに持ってきたの?」

「え? あ、私は――」


 私は降ろしたリュックのファスナーを開けて中へと手を伸ばした。その時だった。


「よお、深牧、カザミー」


 顔をあげると、同じクラスの栗田が立っていた。坊主頭の目つきの悪い野球部。いつも小馬鹿にした態度で、どうでもいい話題に入ってきては私たちのことを蔑んでくる。栗田は取り出しかけたに目配せしたあと、口をへの字にした。


「お前、トンカチなんか持っていくのかよ」

「なに? なんか悪い?」とぶっきらぼうに私。


 栗田はまた目配せしたあと、「別に。ただ、女子ってそんなんでいいんだって思っただけ」と吐き捨てた。

 聞き捨てならない台詞だった。これだから、同年代の男の子は好きになれない。男子は自分たちの方が上だと思ってる節があると思う。もちろん、腕っぷしじゃあ勝てないし、その度胸だってすごいのだろう。だからって、我が物顔するのは違うと思う。


「お前なんか、トンコロにやられちゃえ」


 負け惜しみに言うが、栗田は手をヒラヒラさせて去っていく。その背中には弦がピンと張った弓みたいなのがリュックに挟まれていた。リュックのジッパーからは金属バットと矢が収まった筒が飛び出ていた。ムカつくけど、頼りになりそうな背中。

 栗田の背中を目で追っていると肩をチョンチョンと叩かれた。振り向けば、ニーコが満面の笑みを浮かべている。


「あれ、リサのこと好きなんじゃないの?」と茶化してきた。絶対に無理。

「違うよ。あれ、ぜったいウチらのことバカにしてんだよ」


 頬を膨らませて栗田の背中を睨んだ。別の男子と他愛のない雑談をしているようだが、遠目からみても幼稚な気がしてならない。私の中で、やはり男子という生き物は子供じみていて、ガサツな生き物。一言で表せば『バカばっか』

 侮蔑な目で彼らを見遣っていると、視界の隅っこでこちらに向かってくる女子に気付いた。ポッチャリな体型はひと目でわかる。同じクラスのヒロミだ。


「あ、ヒロちゃん」

「やっほーニッコ、リサー」


 弾けた声でヒロミは私たちに駆け寄り、片手にチョコレート菓子を持ったまま抱きついてきた。「キャー」とわざとらしい声をあげて軽いハグ。

 それから自然と他の女子たちも集まってきて、私たちは小さなコロニーみたいになった。車座になり、皆がヒロミが持ってきたお菓子にヒョイヒョイと手が伸びる。


「あ、食べる?」とヒロミ。

「私は大丈夫。さっき夕飯食べたばっかりだから」

「それ、どうしたの?」とニーコ。

「これね? 男子テニス部の先輩から貰ったの。本当は射的大会の景品らしいけど、特別にくれたの」

「えーヒロミすごーいっ!」


 キャッキャッとはしゃぐヒロミ。こんなポッチャリでも優しくしてくれる先輩がいるんだと、失礼ながらに思う。やはり、女の子は愛嬌が大事なんだと再認識させられた。

 得意げになったヒロミは通りすがる女子たちにお菓子の箱を突きつけ、配膳ごっこ。


「あ、そっちはいる?」

「いらない」


 差し出したお菓子の箱を突っぱねる細くてスラッとした指。ヒロミの表情が一瞬ばかり強張ったのを見逃さなかった。


 水原さんだ。水原さんは去年、都会から転校してきた。あんまり自分のことを話したがらない子で、私たち女子もどう扱っていいのかわからなかった。けど、すらっとした体躯にクールに見える一重に、迫力のある鋭い目。綺麗に通った鼻筋。艶のある綺麗な長い髪。まさに都会にいそうなモデルみたいで、私たちが住む田舎には不釣り合い。

 ヒロミは「そっか、ごめんね」と取り繕うが、動揺は目に見えてわかった。一瞬にして空気が凍った。誰かが取り留めのない話題を振ってくれておかげで温もった雰囲気までは壊れなかった。

 私は気付かれぬように、横目で水原さんの姿を追う。誰とも絡むことなく、ただ校舎へと鋭い視線を送るばかり。その背中には似つかわしくない角ばったゴツイミリタリー系のリュックサックを背負っている。

 しばらくして校庭に設置されたスピーカーからザザ、とノイズが走る。


「はーい。それでは、注目してください」


 校長先生の声だった。談話する声はピタリと止み、一斉に校舎の真正面に設けられた演説台に目をやる。台の上にはベルトに腹のぜい肉がでっぷりと乗った校長が私たちを見据えていた。しばらしくして、マイクスタンドを調整しながらいう。


「本日はエヌエルデイビィ会が協力してくださる文化記念祭です。ご存じの通り、毎年この日は当校のみならず、日本の文化が守られたという記念すべき日でもあります。私たちがこうして健康であるがゆえに、これからも元気に頑張ろうと目的でもあり、トンコロウイルスで亡くなった人を弔う日でもあります。皆さんのお父さんやお母さんには覚えている人もいるでしょうし、中には被害に遭われた方もいることでしょう。今日はそのことを改めて思い出し、そんな方たちを敬う気持ちで望んでください」


 校長は大きく息を吸い、短い間を空けた。


「当然、皆さんの中には気の進まない人や、体調が優れなくなる人もいるでしょう。そのような人は、無理せずに棄権して貰って構いません。担任の先生に申し出てください。まず――」

「でも、逃げたらみんなから馬鹿にされるんだぜ?」


 ぼやいたのは斜め前にいた東山だ。卓球部で、お調子者のおバカ男子のひとり。

 前に並ぶ栗田が横目で東山を一瞥する。


「去年の話じゃ、逃げた先輩がめっちゃ馬鹿にされたもん。『情けねーやつ』って、不良の先輩にシメられてたもんな」


 ニタニタと笑う東山に対し、栗田は無言で頷いて前を向いた。どうして男子ってそんな見栄っ張りな生き物なのだろうか。男の世界は度胸がなきゃいけないのはわかる。でも、時にそれが馬鹿らしくも見える。私は校長先生の話に集中するようにした。


「――なので、健全かつ、皆さんが無事に朝を迎えて、明後日の学校で会えることを祈ってます。それでは、これから西原先生が注意事項を述べますので、よく聴いてくださいね」


 言い終えると、校長先生の代わりに体育担当の西原先生が前に出てきた。ポロシャツの袖を肘までまくり上げ、たくましい腕を見せつけながら私たちの前に立つ。


「えー皆さん。校長先生が仰る通り、まずは皆さんが安全に朝を迎えるようにしましょう。そこでまず準備運動です。準備体操をしなければ、しなくてもいい怪我を防ぐことができます」


 西原先生の合図で、自然と周囲に広がる私たち。少しの間のあと、スピーカーからラジオ体操第一が流れ出した。軽快な音楽に合わせ、私たちは準備体操を始めた。

 体操の最中、まわりでは欠伸をした時に漏れる間の抜けた声や、グスグスと鼻をすする音がちらほら聞こえた。私は気にしないように、無言でラジオ体操に興じた。音楽が終わると西原先生はマイクを持っていう。


「それでは二年生の皆さん、裏門の前に移動しましょう」


 明るい校庭から離れ、ライトの届かない裏門へとゾロゾロと歩かされる。

 裏門は鉄格子によって外と遮断されており、格子の向こうには闇が広がっていた。風に乗って、微かにだが土となにか腐った匂いが鼻孔をくすぐる。

 スピーカー付きの拡声器を持った西原先生が皆の前に立ち、私たちのことを見回しながらいう。


「では、これから文化記念祭を始めるわけだが……以前に配ったプリントに書いてあったとおり、ブザーが鳴ったら、慌てず――されどなるべく早く散らばってください。ただし、学校の外はダメだ。学校の中だけだからな」


 どこに行く? 一緒にやろうよ。などと、皆が口々に言い始める。そこでようやく私はニーコの姿を探した。が、近くにはいなかった。


「彼らも、望んで生ける屍者リビングデッドになったわけではありません。皆さんには、そこをよく考えてほしいのです。当然、心のない処理の仕方はやめてくださいね。皆さんも、自分の元家族がひどい扱いをされたら、嫌な気持ちになりますよね?」


「でも、それって殺された側も同じじゃん」、と囁く声が聞こえた。隣を見れば、水原さんが西原先生を殺しそうな目つきで睨んでいた。


「あいつらに悲しむなんておかしいんだ」


 水原さんの目に怒りが灯っていた。まるで深い穴の底に溜まった地底湖のように冷たく、そして溶岩のようにドロドロしたもの。水原さんの傷や怒りに触れたらいけないだろう。私は見なかったことにし、正面を見つめた。

 西原先生の言葉はまだ続いた。


「今から隣の田川墓地からトンコロウイルスで亡くなった人が墓から出てくる。いいか、この前の練習どおりに無闇に墓場まで行くんじゃないぞ。口を酸っぱくしていうが、学校の敷地の中に入ってきた生ける屍者リビングデッドだけを倒すようにしろ。二時間後には休憩に入る。あまり気張るなよ」


 唸り声が重なり、誰もの目が引き攣っていた。『恐怖の色に染まる』という言葉を思い出す。いま、私たちはその色に染め上げられてしまっている。


「それと先輩たちのやってる催し物は時間の限り好きに回っていいぞ。今年は俺のクラスがクッキーを焼くことになってる。試食したんだが、これが美味いんだ。それで後半の部も頑張ってくれ」


 何人かがアハハ、と笑いをこぼす。一方の私にはそんな余裕はなかった。手に握るトンカチの柄が私の汗で濡れる。恐怖からか、嗚咽する人や興奮して雄叫びをあげる人がチラホラ出て、妙な空気に浮かされた気分になる。

 ふと、隣から視線を感じた。見れば、栗田がリュックサックから例の弓らしいもの――あとで知ったがクロスボウというらしい――を取り出しながらこちらを見ていた。数秒ほど目が合い、私の方から視線を逸らした。


 生き残るには、あんな武器が必要なのか。私はかなり後悔。


 色んな感情が襲い掛かり、頭の中がおかしくなる。歩く屍。先輩たちが作るお菓子。水原さん。休憩。墓場。栗田。クッキー。ニーコ。トンコロウイルス。


「最後になるが、朝まで生き残れよ。じゃあ、二年生。頑張れ。以上」


 頑張れ、か。

 バカバカ。こんなところで死ねるもんか。

 死ぬか、るか。二つの選択肢が頭の中を支配している。

 あぁ、本当にしんどい。まず、ニーコと合流しよう。私は汗まみれの手をギュッと握り直す。


 そうして、ブザーが鳴り響いた。

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