track #42 - A Star Is Born

⚠ 過去に被害にあった人が登場します。そのものの描写はありませんが想起させてしまう可能性があります。ご注意ください。


◆◆◆


 すぐさま日本へ引き返した浜野から原稿が送られてきてこちらでそれをチェックしたり、弁護士に相談したり、あわただしく1週間が過ぎて、このインタビューが掲載された雑誌が発売された。

その間、大きな決断と仕事を成し遂げた小野瀬に変化はなく、あいかわらず窓際でNekoをなでたりギターを奏でたりしていた。

 4ページに渡るインタビュー記事は公になり、引退後初めて世間に姿を見せる小野瀬の写真は白黒で、伸びた長い髪を後ろに乱雑にまとめ、無精ひげを生やし、猫を膝にのせて幸せそうに日差しを浴びている。

読者にはこの写真も衝撃的だったようだが、記事の内容にはもっとショックを受けたようだった。

この号は即完売し、マスコミも大騒ぎしていた。

小野瀬の勇気を称賛する声が圧倒的に多かったが、もちろん賛否はあって、何を根拠にしているのか彼を批判する声も散見された。

彼は「加害者を糾弾したいわけじゃなく、被害者がいるのは事実で、その人たちを批判するのはやめるべきだ」と、このインタビュー中に何度も訴えている。

その心の叫びは小野瀬直樹のチカラをもってしても伝わらないのだろうか。


「小野瀬くん的に、今の状況平気?」

こんな陳腐な聞き方しかできない自分に自分で嫌気がさす。

「オレは平気よ? アイちゃんこそ平気?」

「アタシは小野瀬くんが平気なら平気」

「オレに夢中すぎるだろ」

彼は大きな声をあげて笑っていた。

確かにアタシは彼に夢中だが、どんなに彼が冗談を言おうと、アタシ達の時間が淡々と過ぎても、日本から遠いニューヨークにいても、彼を心配することをや止められなかった。

アタシにはとうてい想像のつかない傷を負っているのは確かだし、それを公にして批判まで浴びている。アタシがおかしくなりそうなほどなのに、彼が平然としていることが驚きだった。

「オレは今、言いたいことが言えた達成感の方が強いんだよね」

彼は自分の今の精神状態を説明した。

それならいいのだが、勇気を出した末に存在を抹消された人物をアタシ達は知っている。DEAR STARディア スターの騒動の時、自分の意見をSNSで発したDEAR STARディア スター所属のモデル藤堂エリナだ。

彼女はすぐさま引退に追い込まれて、今は何をしているか誰も知らない。

<すげーことしたね直樹くん>

と、友人ケイからメッセージが来た。

ケイも小野瀬とは知り合いで、報道に触れて、気にかけているようだ。ケイはかつて交際していたエリナに対して何もできなかったことを、多分未だに悔やんでいる。

そのメッセージに気が付くのが遅れて、返信しないでいたら

<おまえ付き合ってんの知ってるし>

と、次のメッセージが来ていた。

そういえば日本の友達に小野瀬との交際については話してはいなかった。彼が引退してまでニューヨークに来ることを選んだので、しばらくは静かに暮らしてほしいと思っていたからだ。

<隠してないし>

とだけ返信した。

「それ、伝わるの?」

小野瀬にケイとのやり取りを話すと笑っていた。

「ま、今はどうでもいいよ、ケイは。既読スルーしないだけマシでしょ」

と、言うとさらに笑っていた。

今の騒動が落ち着いたら、ケイや他の友人達に2人で会いに日本に行こうと約束をした。


 ケイとアタシのやりとりを聞いたからか、小野瀬はSNSを再開すると言い出した。スターだった頃に使っていたSNSがそのままにしてあって、

<今までありがとうございました。

幸せな芸能生活でした。>

引退する日の最後の投稿が残っていて、引退を惜しむファンから未だに

<復帰してください>

と、いったようなコメントたまに書き込まれていた。

しかし今回の告発を受けて、そこには誹謗中傷が一瞬にしてあふれた。

彼はどっちにしろコメントが多すぎて読めないから、傷ついてもいないと言うが最悪のタイミングとしか思えない。

彼の言い分は、何があっても人は幸せになれると伝えたいというのだ。過去に何があっても、それが自分の心をむしばんでも、乗り越える方法をきっと見つけられるし、幸せになることを諦めてはだめだと発信したいという。

「オレは勇気ある人達に勇気をもらって、アイちゃんに支えてもらって、今めっちゃ幸せだから」

口角をしっかりと持ち上げて満面の笑顔で言った。

 そしてアタシにNekoを抱かせて、アタシを左腕で抱きしめて、右手でスマートフォンを持って高く掲げてスリーショットを撮影した。

<#オレを幸せにしてくれるもの>

とタグつけて、その写真をSNSに投稿した。

詳細はないが多くを物語るこの投稿に、コメントが相次いで、『いいね』が瞬く間に増えた。

小野瀬のSNSが復活したことと、アタシとの関係が公になったことが、彼の告発の話題にのっかり、さらにアタシ達周辺は騒がしくなった。

日本から仕事をくれているレコード会社にも取材がいっているようだったが

『どうせ受けないでしょ? テキトーに断っておくから、自分達の生活、大切にして』

と、ものわかりのいいルカから軽快な口調で連絡があった。

 小野瀬のスマートフォンにもアタシのスマートフォンにも知らない番号から電話がかかってくるようになったし、復活したSNSには心無い言葉もあふれている。

だけど彼はそんなことに気持ちを奪われても無駄だと言わんばかりに、本来の明るい彼の姿で日々を過ごしている。

<#オレを幸せにしてくれるもの>の第2弾は窓際の1人掛けソファーに置かれているギターの写真だった。

確かにそこでギターをつま弾く彼は幸せそうな表情をしている。

 彼はこの幸せを守るために、告発したのかもしれないと感じた。

引退して慌ただしい生活から一転して自分と向き合う時間増えて、過去の出来事をなかったことにできない自分や、勇気を出して告発している人物を助けられない自分、巨悪をたおせない自分にどう向き合えばいいのかわからなくなってしまったのだろう。そんな自分をアタシに見せられない自分が、アタシとの生活に影を落とすと想像したのかもしれない。

彼の決断は大胆だったが、確実に幸せに向かっている。SNSは燃え盛ってはいるがアタシは間違いなく幸せを感じているからだ。

<#オレを幸せにしてくれるもの>の第3弾はアタシがプレゼントしたバイクの写真だった。


 とある日、Kashykキャッシークの幹部から小野瀬に連絡があった。事務所側は告訴されないように動いているという報道や、被害の実態を調べているという報道があったので、弁護士を通すべきで電話を切るべきだと言ったが、彼は寝室にこもってなにやら話をしていた。彼は今後どのようなことになるにしろ自分の言葉で古巣に本当の別れが言いたかったのだろう。ほんの10分くらいだったが話し終えた彼は寝室から出てきて

「弁護士通してって話しただけだから」

と、少し曇った表情だったがアタシに心配しないように言った。

いつものように窓際のソファーに座り、膝に乗せたNekoをなでながら外を見ていた。アタシはその姿を横目に、依頼された翻訳の作業をするためにパソコンに向かっていた。

少し経ち、彼はNekoを抱きかかえて突然立ち上がり

「ちょっと走ってくるわ」

と、言ってアタシの横を通り過ぎながらNekoをアタシに渡して玄関に向かった。

キーボードを打つ手をとめて突然渡されたNekoを抱え立ち上がり彼を追った。

「なんか買ってくるものある?」

後ろを付いてきたアタシに気が付いた彼は後ろを振り返って尋ねた。

「大丈夫、気をつけてね」

アタシは左腕でNekoの胴体を抱え、Nekoの右手を自分の右手で握ってバイバイと手をふった。

彼は優しい笑顔になってアタシとNekoにキスをしてヘルメットを片手に出かけて行った。


 Nekoが足元で泣き始めたので、だいぶ時間がたっていることに気が付いた。窓の外をみると日は暮れていて、アタシは翻訳の作業に熱中しすぎていたようだ。Nekoはお腹がすいてアタシに訴えている。

「オッケ~」

と、Nekoに独り言をいって、ご飯を用意した。彼女は黙々とそれを食べていて、いつも同じものなのによく飽きずに食べるなと感心しながら見つめた。

 バイクで走りに行った小野瀬がまだ帰らない。

時間があると走りに行くし、天気がいいからという単純な理由で走りに行ったりもする。それだけバイクが好きで、それが彼の気分転換のひとつだった。ほんの1時間くらいの時もあれば、3、4時間帰らないこともよくあった。帰りが遅くなることは珍しくないのだが、たいてい連絡はくれる。仕事に集中しすぎて気が付かなかったと思い、スマートフォンを確認しても彼からの連絡はなかった。

 夕飯は彼の好きなムール貝などの海鮮が入ったトマト味のパスタの予定だった。

もうパスタを茹で始めるべきか、あと何分くらいで帰ってくるか知りたくて彼に電話をしたが出なかった。走行中だったら出られないので、メッセージを送った。

しかし、返事は返ってこなかった。


 小野瀬に連絡を入れてから1時間を経過してさすがに心配になり、アタシは何通かメッセージを送り電話もかけた。音沙汰はない。どうすべきか途方にくれているとアタシの電話がなった。知らない番号だったので取材かとも思ったが、アタシは思わず出ていた。

ロックァウェイビーチの警察からだった。

アタシ達が住んでいるところからバイクで4、50分で、時間のある時は海沿いをドライブしているのを知っていた。もっと遠くまで一緒に行ったこともある。

アタシの脳裏には彼の後ろに乗って流れる海の風景が浮かんでいた。

警察官がアタシに何かを知らせているが、スマートフォンはアタシの右手からスルリと抜け落ちて、ゴトンと大きな音を立てて床に着いた。

全身のチカラは抜けて、立っていられなくなり、スマートフォンの横に膝をついて座り込んだ。スマートフォンからかすかにアタシを呼ぶ声がするが、アタシはそれを遮断するかのように大声をあげた。

床に着いた両手には自分の目から落ちた雫が大雨のように降り注いだ。


◆◆◆


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