雨の館 第一章

 道に迷った三人の旅人の前に、まるで亡霊のように霧の中から現れた黒衣の女。

 だが三人は彼女が“生きている人間”であったことに少なからず安堵していた。

 三人の旅人の一人であるイリアは彼女にどこか不安を感じつつも声をかけた。


「あ……あの、あなたも道に迷ったんですか……?」

「ええ、人を探して森に入ったらいつの間にやら迷ってしまったようで……」

「私たちと同じか~」


 黒衣の女もどうやら三人と同じく迷い人のようであった。

 三人の旅人の一人であるギュスターブは彼女にどこか不審な目を向けると、先ほどこの館に入っていった白いローブの人物のことを思い出す。

 もしかしたらそれが彼女の探し人なのかもしれない、だが仲間のバルドスはその人物は“人間ではないかもしれない”と感じていた。

 彼のその手の勘が外れたことはない、それにこの得体の知れない黒衣の女を手放しに信用してよいものなのか。

 ギュスターブは警戒心を抱きながら彼女に問うた。


「あなたの探している人物とは?」

「こんな暗い寒空の軒下で話をする前に、まずは中に入って互いに自己紹介でもしませんか?」

「ふん……まぁいいだろう」


 館の中へ入ろうとイリアが扉の取っ手に手をかけると、扉はあっさりと開いた。


「開いてる……」

「鍵が壊されてるようですね、ほら」


 黒衣の女は開いた扉の鍵を指さす。

 鍵は明らかにさび付いておりこれではピッキングは無理である、そのせいか鍵はかなり強引に壊されたようで内側の取っ手がゴトリと音を立てて地面に落ちた。

 ギュスターブはバルドスへ目を向けると、彼は“壊す手間が省けた”と言わんばかりに肩をすくめてみせた。


 黒衣の女と三人の旅人は館の中へと足を踏み入れる。

 中は表の惨状に負けず劣らずの荒れ様であり、特に二階へと通じる大階段は途中で朽ちて落ちてしまっている有様であった。

 それでも雨風がしのげる程度には原形を保っており、今すぐ崩れ落ちるということはなさそうであった。

 だが黒衣の女とバルドスは館に入った瞬間、不気味な感覚が走ったことを感じていた。

 バルドスは背に佩いた大剣に手をかけると辺りをぎょろりと見渡す、この館には何かがいる……自分たち以外の何かが……。

 館の前で直感していたものは、中に入ることで半ば確信へと変わりつつあった。

 それは黒衣の女も同じであった、腰に佩いている剣の鞘に軽く手をかけ周囲を見渡す。


「どうやらあんたも感じたようだな?」

「ここに足を踏み入れた瞬間になにかザラっとした嫌な感じがしました、まるでこの館の中だけ別の空間の様な……」

「一夜を明かすにしても寝れねぇなこりゃ……、長い夜になりそうだ」


 旅人たちは身を休めるべく館の奥のダイニングへと足を運ぶ。

 そこはやはり朽ちてはいるものの、他の場所と比べると意外と状態を保っていた。

 だが不思議なことにダイニングの暖炉はなぜか最近使用されていた形跡があった。

 そのことに若干の不安を覚えつつも旅人たちは暖炉に薪をくべて火を入れた。

 降る雨はさらにその勢いを増し、吹き付ける風はさらに激しくなる。

 窓から差し込む稲光が旅人たちに長き夜の始まりを予感させた。

 

 一晩の暖を確保したことに安堵した黒衣の女と三人の旅人たちはそれぞれ自己紹介をする。

 三人の旅人の一人である女の名はイリアといい、西大陸の大国“聖グレイディア教国”出身の学者だという。

 騎士然とした男は名をギュスターブといい、西大陸のある小国の貴族の末子で遊歴の身であるという。

 大柄な男は名をバルドスといい、ギュスターブとは同郷の剣士であり、剣の腕を磨くべく彼の旅に同行したのだという。

 そして黒衣の女は自身のことを“マリア”と名乗った、彼女は各地で魔物討伐や怪異の調査などをしながら旅する魔物狩り《モンスタースレイヤー》だという。

 イリアは干し肉の切れ端を咥えながらマリアの顔をまじまじと見る。


「へぇ~、マリアさんみたいな綺麗な人がモンスタースレイヤーとかなんか意外……」

「そうですか? 身なりはかなり汚いほうだと思っているのですが……」

「それは旅暮らしだから仕方ないとしても、モンスタースレイヤーなんて盗賊紛いの山出しがやってることがほとんどだし……。マリアさんってなんとなくそういう連中とは違うような気がするんだよね」

「おや、もしかしたら私も盗賊紛いの野蛮人かもしれませんよ?」

「まさか! 出会い頭に脅しつけてくるようなタイプには見えないけど?」

「ふふふ……」


 うつむき微笑むマリアの表情にはどこか自分のことをあまり話したくないような……そう思わせる影があった。

 しかし好奇心の勝るイリアはマリアの過去を聞き出そうと言葉を紡ぐ。

 だがマリアはそんなイリアの言葉を遮るように彼女の瞳を見つめる、まるで心の中まで見透かすような赤い瞳にイリアは思わず言葉を失い見惚れてしまった。

 しばらくぽうっとしていたが、暖炉の中の薪が割れる音にハッと我に返る。

 急に気恥ずかしくなり、生娘のように頬を赤らめてマリアの視線から逃れるように顔を背けた。

 ギュスターブは水袋の水をのどに流し込むと、おもむろにマリアへと問いかける。


「そういえばあなたはなぜこの森へ? 先ほどは“人探し”だと言っていたが」

「付近の村で依頼を受けまして」

「依頼とは?」

「一週間ほど前に村の若い男女が何の前触れもなく突如失踪したそうです。私はその痕跡を追ってこの森へ入りました」


 話を聞いていたバルドスが茶々を入れる。


「よくある駆け落ちじゃねぇの?」

「私もそう思ったのですが、その二人は顔見知りって程度でとくにこれといった接点はなかったそうです」

「意外や意外、実は隠れて逢瀬を重ねていた……なんてロマンチックなオチかもしれねぇぜ?」

「そうだとよかったのですが……、残念ながら男性のものと思われる死体を確認しました」

「あ~ららお気の毒……」


 ギュスターブはマリアに死体の状況を聞く。

 マリアによると男性の死体は“人間”によって嚙み殺された痕があったという。

 死体喰らいグールの仕業ではないかと疑ってみたものの、もしそうであった場合は男性の死体は食い散らかされていたはずである。

 しかしその死体は左肩口から首元にかけて食いちぎられてはいたが、他にこれといった目立った外傷はなかった。

 死体付近にかすかに残っていた“女性の足跡”を追って館へとたどり着いたのだという。


 話を聞いたギュスターブはどこか腑に落ちない顔をしていた。

 イリアはギュスターブになぜそのような顔をしているのかを問うた。


「もしその話が本当なら不可解な点がある」

「不可解な点?」

「人間の力で噛み殺そうとするならば、通常は噛み千切られる前に痛みを感じて抵抗されるはずだ。だが他に外傷はなかったということは抵抗する間もなく噛み千切られたということだ」

「そうなるけど……、仮に縛っていたとしてもやっぱり縛った痕跡は残るよね」

「人間の力で一瞬にして人を食い殺すなど不可能なはずだ」


 イリアは深く考え込む、確かに普通なら考えられない殺され方だ。

 しかしそれを見たのはマリアだけであり、自分たちが見たわけではない。

 だが彼女が嘘を言ってるとも思えなかった、自分たちとマリアが出会ったのはあくまでも偶然であり、少なくとも嘘をつく理由がないはずだからだ。

 わからないことだらけで困り顔のイリアはマリアへと視線を向けるが、彼女はただ微笑むだけであった。

 マリアは暖炉に薪を放るとイリアへと振り返り、優しく問いかける。


「そういえばあなたたちはなぜ森へ?」

「帝都へ向かう途中だったんだけど雨に降られてさ。で、雨宿り先を探してたら今度は運悪く盗賊の一団と出くわしちゃって」

「それで森に?」

「問答無用で斬りかかられて仕方なくね……」

「なるほど、しかしそれは妙な話ですね」


 イリアたちは別段不思議でもない話のはずと思っていたが、マリアだけは腑に落ちないといった様子であった。

 バルドスが肩をすくめるとそのわけを聞く。


「なんかおかしいところでもあったか?」

「この辺りでは三か月前に大規模な賊狩りが行われたそうです」

「賊狩り?」

「ええ、なんでもこの辺りでは賊による被害が頻発していたそうで。それでご領主殿の私兵のほかに帝都から騎士団も派遣されて、山から森から徹底した”狩り”だったそうで、それはそれは凄惨を極めたさながら虐殺といった有様だったそうです」


 マリアの語った三か月前の賊狩り、その時に駆り出された常駐軍がいまだ領主の館付近に滞在しているという。

 そういった監視の目がある中で、雨の中とはいえ街道で盗賊の一団と出くわすなどそうあることだろうか?

 そもそも雨という視界のきかない中で突如襲い掛かってきた“彼ら”が果たして“生きた人間”であったのか?

 イリアたちは顔を見合わせながら、それが“生きた人間”であったと断言はできなかった。

 思えばなぜ森へ逃げてきたのだろう?

 襲われたどさくさで必死になっていて記憶があいまいとなっている、でも実は森へ誘導されたのではないか?

 そもそも森で迷った中で都合よく灯りを持った者など現れるだろうか?

 この館にはたどり着くべくしてたどり着いたのではないか?

 妙な疑問がイリアたちの頭によぎる。

 混乱する彼らにマリアはさらに言葉を紡ぐ。


「関係あるかどうかはわかりませんが、半年以上も前にこの付近にトレジャーハンターを自称する一団が訪れていたそうです」

「トレジャーハンター?」

「盗掘団ですよ。平たく言ってしまえば遺跡やお墓専門の泥棒です」

「はっ、どこにでも狡すっからい奴はいるもんだな」


 その時、遠くから突如物音が聞こえてきた。

 朽ちた館なのでどこかが経年劣化により崩れた、最初はそう考えていた。

 だが物音はどんどん激しく、そしてまるで増えているかのように館中に響くようになっていった。

 やがて物音はイリアたちのいるダイニングを取り囲むように響く。

 あまりにも激しい音にイリアは思わず「うるさい!!」と叫んだ。

 すると音は止んだ。

 だが今度はダイニングの扉を何かがひっかくような音が彼らの耳に入った。

 扉の前に“何か”がいる……、まるで金縛りにあったように動けず息すらもできない。

 そんな緊張感の中、マリアが慎重に扉へと近づいていく。

 扉をがりがりとひっかく音が近づくごとにより強くなっていく。

 マリアが扉の前まで来ると音は止んだ。

 彼女はイリアたちに振り返り目線で扉を開けることを告げると、イリアたちは覚悟を決めて小さくうなずく。

 それを確認したマリアは扉の取っ手に手をかけ、そして一気に開け放った。


 開け放った扉の先にはなにもいなかった。

 雨の音だけが彩る不気味な静寂がその場を重く支配していた。

 マリアの頬を一滴の冷や汗が落ちていく、無意識に左手がゆっくりと剣の鞘へとのびていき身構える。

 “何か”が来る……、それは勘などというあいまいなものではなく、いわばマリアの“本能”のようなものがそう確信させていたのだ。

 一瞬でしかないのか、それとも途方もない長い時間がたったのか、永遠にすら感じられる凍った時間の感覚の中で動ける者などそうはいない。

 だがマリアは鞘を握りしめると杖のように前方へと突き出した。

 その時である。

 突如として巨大な暗黒のうねりがまるで津波のように館を飲み込んだのだ。

 暗黒のうねりがダイニングにも迫る中でマリアは飲み込まれまいと障壁を張る。

 迫りくるうねりが障壁に阻まれる、しかしそれはとても人間に抗えるような小さな力ではない、必死に障壁を維持しようとするマリアの右手の指先から血がぼたぼたと零れ落ちる。

 マリアの張る障壁が破られるのは時間の問題であった。


「逃げて!!」


 そう叫ぶマリアの剣から一瞬、巨大な閃光が弾けると障壁は砕かれ、すべてが暗黒のうねりに飲み込まれた。

 うねりの中でイリアたちはもがくが、あまりにも強いその流れにみな離れ離れに流されていく。

 すべてを飲み込む暗黒の海の中でイリアはやがて意識を失った……。

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Witch in Black -怪異奇譚- 一二三 四伍六 @oldman-life

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