第3話 シニストレアの鏡像 1-⑶


「とんでもないもの?」


「人間の手だよ」


「手?」


「仏壇に、途中ですっぱりと切ったような人間の手首が供えられていたのだそうだ。それを見たその子は蝋燭を受け取るとお礼もそこそこにろうそく屋を飛びだし、家に飛んで帰ったそうだ」


「それは驚いたでしょうね。子供にしてみれば幽霊や妖怪の話に相当する恐怖でしょう」


「うむ、その子供はしばらく見た物について親にも誰にも話さなかったらしい。ところがある夜、うなされた子供が思わず手首のことを口走ってしまったらしい。心配して問い詰めた両親にろうそく屋で見たもののことを話すと、それがいつの間にか家の外に漏れ、気がつくと町中に広まっていたというわけだ」


「ろうそく屋にとっては降ってわいた災難ですね」


「うむ、しかしもとはと言えば 仏壇に手首のような物を供えておくという行い自体がまともではない。自業自得と言っては気の毒だが、やむを得ないところもあろう」


「その手首のようなものが、不慮の事故死を招いたと?」


 流介が尋ねると、日笠は「それだけではないのだ」と身を乗り出した。


「というと?」


「七夕の少し前から、巷の間で気味の悪い噂が流れていてね。舟見町あたりの坂道に夜な夜な怪人物が現れ謎かけのような言葉を口にするというのだ」


「謎かけのような言葉?」


「なんでも「月が消える前に、手を売ってくれ」というのだそうだ」


「手を?それはまた気味の悪い話ですね」


「怪人物は目のところが穴になっているのっぺらぼうの面を着けていて、左手の袖を異様に長くしているのだそうだ。それを見た人は「どこかで左手を切られて、頭がおかしくなっているのだな」と思ったようだ」


「ううむ、売ってくれと言われてはいそうですかとあげられるものではないですしねえ」


「この辺りの人たちからは『手をくれ面』と呼ばれているそうだ。それで件の佐吉が亡くなった時、仏壇の手首と結び付けて佐吉が怪人の手首を奪った下手人なのではないかとまことしやかに語られたわけだ」


「つまりこの匣館で偶然、憎き仇らしき者の噂を耳にして正気に返ったというわけですか」


「うむ、復讐という悪しき正気ではあるがね」


「で、その怪人の見当はついているのですか」


「残念ながらまだ噂にとどまっているようだ。……奇譚の材料にうってつけではないかな?」


 日笠はいい仕事をしたとばかりに目を細めると、氷水を流しこむように口に入れた。


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