#41 「優里リバイバル」
――――ライブハウス『Remain』
店内に差し込む午後の光は、浮遊する埃を白く照らし出している 。
俺はカウンターの内側で、開店準備を兼ねてグラスを磨く手伝いをしながら、入り口の重い防音扉が開くのを待っていた。
隣では義母が落ち着かない様子で自分の髪を何度も整えたり、服の皺を気にしたりしている。
今日の来客は義母にとって特別な存在だ。
かつて同じ夢を追い、今はそれぞれプロの世界で生きているという、学生時代のバンド仲間たち。
義母だけが音楽から離れていた期間が長いため、その緊張がこちらまで伝わってくる。
「そんなに動くと逆に髪が乱れるよ」
「わっ、ごめん。つい……だって、みんなに会うの本当に久しぶりなんだもん」
「……ははは」と義母は苦笑いしながら、ようやく動きを止めた。
彼女は前日の特訓で指先を痛めていたが、俺が施したメンテナンスとケアのおかげで今はギターを弾くための最低限のコンディションは整っている 。
やがてカランとベルが鳴り、店の扉が押し開かれた。
最初に姿を現したのは目を引くほどの長身に艶やかな黒髪をなびかせた女性。
松野美香。
ドラム担当の彼女はゆったりとした足取りで店内を見渡すとおっとりとした微笑みを浮かべた。
「懐かしいわね、優里ちゃん」
その声は柔らかく包み込むような温かみがある。
続いて赤い髪をウルフカットにした小柄な女性が跳ねるような勢いで入ってきた。
赤司柳子。
ベース担当の彼女は少し目つきが鋭いが、表情からは快活さが滲み出ている。
「へえ、ここがアンタの店か。悪くないじゃん」
背後からは桃色のツインテールを揺らす、少女のような外見の女性が続いた。
桃野桃子。
キーボード担当の彼女は黒を基調とした地雷系ファッションに身を包み、唇には銀色のピアスが光っている。
無言で会釈をしたが、その視線は既にステージ上の機材を値踏みするように動いていた。
最後に青い短髪が鮮やかな長身の女性が静かに足を踏み入れた。
ボーカル担当の青橋恵美奈。
凛とした佇まいは「イケメン」という形容が相応しく、ただ立っているだけでステージ映えする存在感がある。
「みんな、久しぶり」
義母が弾んだ声で駆け寄る。
かつての仲間たちが一堂に会した光景は、それだけで一つの完成された物語のような密度を持っていた。
俺は磨き終えたグラスを置き、用意していた飲み物をトレイに乗せて彼女たちの元へ向かった。
トレイを差し出すと、松野さんが優しく微笑んでグラスを手に取った。
「あら、ありがとう。可愛らしい店員さんね」
俺は当たり障りのない笑顔を返したが、赤司さんの鋭い視線が俺の全身をなぞるように動くのが分かった。
「……優里。この子、小学生じゃない?」
赤司さんが義母の耳元でボソリと呟く。
「ふふん、紹介しましょう。私の自慢の娘。
義母が誇らしげに俺の肩を抱く。
四人の表情が一瞬で固まった。
「娘!? アンタ、いつの間に」
赤司さんが素っ頓狂な声を上げ、青橋さんも端正な顔を驚愕の表情で染めた。
「まあ、正確には姉さんの子なんだけどね。でも今は私の娘だよ」
義母の説明を聞き、彼女たちは納得したように息を吐いた。
「そういえば、お姉さんに似てるわね。特にその澄んだ瞳とか」
松野さんが懐かしむように言い、俺の頭を撫でた。
彼女たちの視線に悪意がないことはすぐに分かったが、桃野さんだけは依然として俺の背後に置いてある機材を凝視していた。
「……このオーディオインターフェース、
桃野さんが見た目にそぐわぬ低い声で呟く。
「あ、それ、在処が配線も全部やったんだよ」
義母が自慢げに話すと、桃子は驚いたように俺を見直した。
「……ノイズ対策の取り回しも含めてよくできてる」
桃野さんは腕組みをしながらうんうんと感心するように頷いた。
挨拶もそこそこに、彼女たちの関心はすぐに"例の話"へと移った。
プロとして活動する四人にとって、練習は遊びではない。
松野さんはドラムセットに座り、スティックの感触を確かめ始める。
赤司さんは愛用のベースを繋ぎ、重厚な低音を一発だけ響かせた。
それだけで空気が震えた。
ブースには既に佳代さんがスタンバイしており、諸々のチェックをしている。
今日はRemainのスタッフも手伝いに参加している。。
「在処ちゃん、今日は最高の勉強になるわよ。プロの現場の音をしっかり聴いておきなさい」
佳代さんがヘッドホンを片耳に当てながら、真剣な表情で言った。
リハーサルが始まると、ホールの空気の密度が劇的に変化した。
松野さんのバスドラムが正確なリズムで店内の空気を一定の周期で叩き始める。
赤司さん0のベースがその隙間を埋めるように太いグルーヴを生み出す。
俺が普段一人で多重録音している「整った音」とはまた違う、生身の人間が放つ圧倒的な音圧だ。
青橋さんの歌声が重なった瞬間、鳥肌が立った。
マイクを必要最小限のゲインで鳴らし切る、その声量と表現力。
言葉の一つ一つが輪郭を持って、耳に飛び込んでくる。
桃野さんのキーボードがメロディのテクスチャを楽曲に添え、平面的だった音が三次元的な奥行きを持ち始める。
そして、義母のギターだ。
数日間の特訓で取り戻した技術がプロのアンサンブルの中で火花を散らす。
義母の音は四人のプロに比べれば僅かに粗い。
しかし、その粗さが逆に楽曲に人間味のあるエッジを与えていた。
「これが現役のプロ……」。
単に演奏技術が高いのではない。
お互いの音を聴き、一瞬の揺らぎさえも音楽の要素として取り込む呼吸。
それが「バンド」という生き物の正体なのだと突きつけられた気がした。
佳代さんは集中した表情で機器を操り、彼女たちの音を最適なバランスで整えていく。
現場で鍛えられたPAの技術とプロの演奏者の技術が真っ向からぶつかり合い、最高の結果を導き出していく過程。
それは配信だけでは得られない、生の音楽。
一曲の演奏が終わる。
店内を支配していた熱気が余韻となって静かに霧散していく。
「……優里、少し走ったわね。でも懐かしいわ。優里の荒いピッキングは嫌いじゃない」
柳子がベースを鳴らしながら、義母に不敵な笑みを向けた。
「ありがと。柳子にそう言われると、自信つくよ」
義母は肩で息をしながら、充実した表情で笑った。
休憩に入ると彼女たちはプロとしての顔を少し緩め、再び俺に興味を示し始めた
「在処ちゃん。さっき、私たちの音をどう聴いてた」
青橋さんがPAブースの柵に寄りかかり、俺の目を覗き込む。
俺は一度、自分の中の言語を整理してから、事実を淡々と述べた。
「中音域の密度が凄いです。特にベースとキーボードの同期が完璧で、ギターのソロが入るスペースが綺麗に空いていました。それにボーカルの倍音がスピーカーの癖を上書きして、ホール全体が楽器の内部になったみたいでした」
静寂が訪れる。
赤司さんがベースを置き、俺の前に歩み寄ってきた。
「……あんた、本当に小学生なの? よくそこまで言語化できるね」
「耳が良いだけです。最近流行りの動画サイトでいつも色んな曲を聴いているので」
俺は首を傾げ、子供らしい仕草を混ぜる。
青橋さんは驚いたように眉を上げ、それから楽しげに笑った。
「優里。この子ちょーだい」
「ダメだよー。在処はうちの大事な娘でーす」
俺はブースから、再度リハーサルを始めた彼女たちの姿をじっと見つめ続けた。
プロの演奏を近くで見る機会はそう多くない。前世でもここまで近くに寄ることは数えるほどしかなかった。
一挙手一投足を見逃さず、脳に焼き付ける。それが今の俺にできることだった。
リハーサルは深夜まで続いた。
俺は結局、最後まで佳代さんの隣でステージの音を追い続けた。
疲労はあるが、それ以上に知識の乾きが癒やされていく感覚が心地よかった。
「よし、今日はここまで。みんな、本当にありがとう」
義母が最後にそう言うと、メンバーたちは晴れやかな顔で楽器を置いた。
俺はPAブースのメイン電源を落とし、静寂が戻った店内の匂い――機材の熱と僅かな汗の匂いに懐かしさを感じた。
「義母さん、お腹空いたでしょ。冷蔵庫にレンチンするだけで食べられるもの、色々準備してるから楽しみにね」
義母がステージから降りてきて、俺の頭を優しく撫でる。
「ありがと在処ぁー! 本当に可愛いのう!」
俺は義母にタオルを押し付けて引きはがし、苦笑する。義母のバンドメンバーも同じように笑っていた。
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