#34 「宴のあと」
元日の朝。
天音家のリビングは、死屍累々の惨状を呈していた。
遮光カーテンの隙間から容赦なく差し込む初日の出が、テーブルに突っ伏した大人たちを無慈悲に照らし出している。
昨晩、大晦日に開催された『Remain』スタッフたちとの忘年会兼年越し蕎麦会。
除夜の鐘を聞き終えた後も宴は続き、日付が変わってからも大盛り上がりを見せていた。
その代償がこれだ。
「……うぅ……頭が……割れる……」
「み、水ぅ……砂漠……」
「……気持ち悪い……世界が回る……」
「……」
義母、佳代さん、芦田さん、秋乃さん。
四人の大人が屍のように転がっている。
コタツで丸くなっている義母、ソファから半身を乗り出している佳代さん、床に直に寝ている芦田さん、壁に寄りかかったまま微動だにしない秋乃さん。
テーブルの上には空になったビール缶や日本酒の瓶が林立し、昨夜の宴の充実さを物語っている。どうやら帰る気力もなくなり、そのまま雑魚寝コースに突入したらしい。
俺はキッチンに立ち、静かに鍋を火にかけていた。
前世の経験則から、大人が集まって酒を飲めば翌朝どうなるかなど火を見るよりも明らかである。特に義母と芦田さんは酒が入るとブレーキが壊れるタイプだ。
だからこそ俺は昨日のうちに準備をしておいた。
お玉で鍋の中を軽く混ぜる。
殻がぶつかり合うカチカチという硬質な音。
白濁したスープから磯の芳醇な香りが立ち上る。
しじみの味噌汁だ。
今の義母たちにとってこれ以上の特効薬はないだろう。
「みなさーん、新年。ハッピーニューイヤーですよー」
俺は人数分のお椀を盆に乗せてリビングへと運んだ。
声を掛けても反応は鈍い。呻き声が返ってくるだけマシか。
ふんわりと立ち昇るしじみ汁の湯気を軽く仰ぐと、佳代さんがゆらりと上半身を起こした。
髪は乱れメイクも崩れているが、顔の良さは変わらずだ。
「……いい匂いが……在処ちゃん?」
「ゆっくり飲んでください」
お椀を差し出すと、佳代さんは震える手でそれを受け取った。
一口啜る。
「……はぁぁ……染みるぅ……五臓六腑に……」
「生き返るっす……命の水っす……」
「……美味しい。……助かった」
続いて芦田さんと秋乃さんも起き上がり、汁を啜る。
最後に義母がのそのそとコタツから這い出てきた。目は虚ろだ。
「あ~り~か~……私の分は~? 見捨てないで~」
「はいここ。こぼさないでね」
「ふうー……ふうー……うっま」
「ありがたや~」と大袈裟に拝んでくる義母。
顔色はまだ悪いが口が回るなら大丈夫だろう。
「用意周到すぎるっすよ在処ちゃん。お嫁さんにしたいっす」
「……お母さんみたい」
大人たちに感謝されながら俺は自分の分の朝食を用意する。
餅を焼いて醤油につけ海苔を巻く。シンプルな磯辺焼きだ。
しじみ汁と一緒に食べると正月の味がした。
*****……
午後になり、しじみパワーで人心地ついたスタッフたちは、ようやく人間らしい顔色を取り戻していた。
「さて、酒も抜けたところで初詣行くよ」
俺が宣言すると、義母が「ええ~」と情けない声を上げた。
「明日じゃだめ? 今日はもう寝正月でいいじゃん……」
「だめ。元日に行くことに意味があるの。それにみんなもいるんだから、スタッフ一同で祈願しに行こうよ」
「うう、在処が鬼軍曹に見える……」
渋る義母をよそに、意外にも佳代さんが乗り気だった。
「いいじゃない。酔い覚ましに散歩も悪くないわよ。今年も気持ちよく頑張れるようにお願いしに行きましょ」
「自分も行くっす! おみくじ引きたいっす!」
「……私も、行く」
外堀を埋められた義母は観念して重い腰を上げた。
全員で身支度を整え、ゾロゾロと家を出る。
近所の神社までは徒歩で十五分ほど。
午後の日差しがあるとはいえ、空気は冷たい。吐く息が白い。
義母は厚手のコートにマフラーをぐるぐる巻きにして完全防備だ。他の三人もそれぞれの防寒具に身を包んでいる。
「今年は勝負の年だからねえ。しっかり神頼みしておかないと」
「さっきまでゾンビだった人の台詞とは思えないね」
「復活したからいいの! 在処の活動も祈願するんだから!」
参道には多くの人が列をなしていた。地元の小さな神社だが地域の人々にとっては重要な場所だ。大人数で並ぶのは少し目立つが、賑やかで悪くない。
三十分ほど並んでようやく拝殿の前に辿り着く。
横一列に並び、賽銭箱に小銭を投げ入れる。
二礼二拍手一礼。
(みんなが健康で過ごせますように。音楽活動が順調に続きますように)
俺は目を閉じて静かに祈った。
静かに祈っていると、隣から聞きなれた声が鼓膜を揺さぶる。
「ライブハウス『Remain』の商売繁盛! ……あと娘のチャンネルも繁盛しますように」
前半はハッキリ聞こえた。周囲の人も「ん?」と視線を向けている。後半は小声だったので、隣の俺以外にはきこえていないだろう。少しだけ心臓がドキリとした。
参拝を終えた俺たちは社務所の横にあるおみくじ売り場へと向かった。
「よおーし。勝負よ、みんな。チキチキ今年の『Remain』運勢対決の時間です!」
「負けないっすよー!」
義母と芦田さんが張り切っている。
百円を渡され、俺も筒を受け取る。
カシャカシャと音を立てて一本の棒が出てきた。
全員が紙を受け取り、せーので開く。
「……吉」
俺は可もなく不可もなく。
書いてある内容も『待ち人来たる』『学業励め』。無難だ。
「あちゃー、末吉っす……」
「私は小吉ね。控えめにいきなさいってことかしら」
「……中吉」
スタッフ勢もそこそこの結果だ。
そんな中、一人だけ高笑いしている人物がいた。
「ふっふっふ……どーよ」
義母が勝ち誇った顔で紙を見せつけてくる。
そこには力強い筆文字で『大吉』と書かれていた。
「今年は天下取るぞー!」
「おめでとう。じゃあ天下取るために、帰ったらゴミの分別手伝ってね」
「……はい」
子供のようにはしゃぐ義母の背中を見ながら、俺たちは顔を見合わせて笑った。
まあこの人が元気なら、今年もきっと良い年になるだろう。
俺は吉の紙を丁寧に折り畳んでポケットに仕舞った。
*****……
三が日が過ぎ冬休みも折り返し地点を迎えたある日。
チャイムが鳴り玄関を開けると元気な声が飛び込んできた。
「あーりかちゃーん! あそぼー!」
クラスメイトの真琴だ。
赤いダッフルコートに身を包み両手には何やら紙袋を抱えている。
「いらっしゃい真琴。寒かったでしょ」
「うん、寒かった……でも走ってきたから平気!」
真琴はむんっ、と両腕でガッツポーズをする。
そんな真琴の赤くなった頬を温まった両手で挟む。
「ほっぺが冷たくなってるから早く温まろうねー」
「わはった!」
リビングに通すと真琴は我が家のように寛ぎ始めた。
今日は義母も休みで家にいる。コタツで蜜柑を剥いていた義母が「いらっしゃーい」と声を掛ける。
「これお土産! おばあちゃんの家に行ってたんだ」
「ありがとう。あとで頂くね」
一通り冬休みの宿題の進捗状況などを話した後、真琴が鞄から何かを取り出した。
「見て見て! サンタさんにお願いしてたやつ!」
それは最新型の携帯ゲーム機だった。
俺の前世の記憶にあるものより少し進んでいるような、でも懐かしさも感じるフォルム。
「ゲームもらったんだ。何やってるの?」
「これ! リズムに合わせてボタン押すやつ! 私これ得意なんだー」
真琴が起動したのは人気の音楽ゲームだ。
画面にはカラフルなノーツが流れてくる。
J-POPやアニメソングに合わせてタイミングよくボタンを押すシンプルなルール。
「へえ、面白そうだね」
「やってみるね!」
真琴は慣れた手つきで曲を選択する。
難易度は一番高い『エキスパート』だ。
イントロが始まり画面上部からノーツが降り注ぐ。
かなりの速度だ。しかし真琴の指は迷いなく動く。
タタッ、タン。タタタン。
ボタンを叩く音が軽快なリズムを刻む。
(……上手いな)
俺は画面と真琴の指先を交互に見る。
単に反射神経が良いだけではない。
曲のリズムを完全に理解し身体に落とし込んでいる。
裏拍の取り方や複雑な連打もリズムが崩れない。
小学生でこのレベルの譜面を初見ではなくともフルコンボ近くまで持っていくのは相当なリズム感だ。
「はいっ! クリア!」
画面には『FULL COMBO』の文字が輝く。
真琴は得意げに鼻を鳴らした。
「すごいじゃん真琴。リズム感いいね」
「えへへ、そうかな? なんかね、曲聴いてると身体が勝手に動いちゃうの」
天性の才能というやつか。
音楽をやっている身として少し羨ましくもある。
「私ね、この前テレビでバンドのライブ見たの。そこでドラム叩いてる人がすっごくかっこよくて」
「ドラム?」
「うん! ドンドコドンドコって! あれやってみたいなあって思ったんだ」
真琴が身振り手振りでドラムを叩く真似をする。
その動きも様になっている。
俺の頭の中である考えが浮かんだ。
(あー、空いてるな)
今は冬休み期間中。
義母のライブハウス『Remain』は営業こそしていないがスタッフの練習用などで開放されているはずだ。
俺はコタツの向かいで蜜柑を食べている義母に視線を送った。義母は察したように頷く。
「ちょっと叩いてみる?」
「えっ? ドラム?」
「うん。義母さんのお店に行けば本物のドラムセットがあるよ」
「えっ、本当!? 行きたい行きたい!」
真琴が目を輝かせて身を乗り出す。
興味があるならやらせてみるのが一番だ。
だがその前にやるべきことがある。
俺は立ち上がり受話器を手に取った。
「その前に真琴のお母さんに許可取らないとね」
「あ、そっか」
小学生が親の知らない場所に行くのは御法度だ。
ましてやライブハウスとなれば尚更である。中身が大人の俺としては、そこら辺の筋はしっかり通しておきたい。
幸いなことに義母と真琴の母は仲が良い。義母曰く、パッション的なものが合うのだそう。
『はい、高城です』
「あ、こんにちは。天音在処の母です」
『あら
「保護者らしくしてみようかなって。
真琴の母――
義母はさっそく本題に入る。
「真琴ちゃんにドラムを叩かせてあげたくてねー」
『あー、最近よくテレビで見てたわね。音楽ゲーム? を欲しがったのもその影響かしら』
しばらくすると、義母が電話を切ってこちらを向き、両手を頭の上で合わせた。
「オッケー! 真琴ちゃんのお母さんの許可もらったよー」
「ナイス義母さん」「やったー!」
許可は取れた。
これで大手を振って連れていける。
「じゃ、行こうか。義母さん車出して」
「はいはい、運転手承りましたー」
義母が腰を上げる。
俺たちは身支度を整えて家を出た。
*****……
ライブハウス『Remain』。
裏口の鍵を開けて中に入ると微かに楽器の音が聞こえてきた。
ドッ、タン、ドコドコ。
ドラムの音だ。
「誰かいるね」
「うん。スタッフのお姉さんが練習してるんだと思う」
俺たちは防音扉を開けてスタジオへと入った。
そこにはドラムセットに向かう芦田結城さんの姿があった。
緑のメッシュが入った髪を揺らしながら激しくスティックを振るっている。
その迫力に真琴が息を呑むのが分かった。
俺たちに気づいた芦田さんが演奏を止めヘッドホンを外す。
「おっ? 在処ちゃん。早いっすね」
「こんにちは芦田さん。練習中にお邪魔してすみません」
「全然いいっすよ。店長からさっきメール来たし。その子がドラム志望の子?」
芦田さんが人懐っこい笑顔で真琴を見る。
真琴は少し緊張した面持ちで俺の後ろに隠れた。
「はじめまして。
「はじめまして!
義母も後ろから入ってきて、腕組みをして頷いている。
「うわあ……おっきい」
真琴がドラムセットを見上げて呟く。
スタジオの照明を反射して輝くシンバル。重厚なバスドラム。
「叩いてみる?」
芦田さんが立ち上がり席を譲る。
真琴はおずおずと椅子に座った。
足がペダルに届くか心配だったが高さ調整をしてなんとかなった。
「まずはスティックの持ち方からだね。こうやって持って……」
芦田さんが手取り足取り教える。
俺は壁際で義母と並んでその様子を見守る。
「まずはスネアを叩いてみて。真ん中の太鼓ね」
真琴がスティックを振り上げる。
――パンッ。
乾いた音がスタジオに響いた。
「おっ、いい音!」
「手がジンジンする!」
真琴が目を丸くする。
衝撃がダイレクトに手に伝わる感覚。
これが生楽器の醍醐味だ。
芦田さんは簡単なリズムパターンを実演して見せた。
「チッ、チッ、チッ、チッ……はい、やってみて」
真琴が見よう見まねで叩き始める。
たどたどしいが、リズムの芯は捉えている。
芦田さんが驚いたように眉を上げたのが見えた。
「すごいね真琴ちゃん、初めてなのに」
「えへへ、楽しい!」
真琴の無邪気な笑顔。その奥に潜むリズムへの鋭い感覚。
(やっぱり、リズムを取るのがうまい)
「もっとやりたい!」
俺は小さく口元を緩め、楽しそうに太鼓を叩く真琴に目を細めた。
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