#35 「原石」
冬休みも中盤に差し掛かったある日のこと。
外は灰色の雲が空を覆い、粉雪が舞い散る寒空となっていたがライブハウス『Remain』のスタジオ内は熱気に包まれていた。
暖房が効いていることもあるがそれ以上に中にいる人間たちの熱量が室温を押し上げていたからだ。
今日も真琴のドラム練習が行われている。
講師役は引き続き芦田さんが務め、俺と義母はその様子を後方のソファに座り見守っていた。
真琴がドラムに触れてからまだ数日しか経っていない。
普通であればスティックの持ち方に慣れスネアドラムを叩く感触を楽しむ段階だ。
しかし目の前で繰り広げられている光景は俺の予想を超えるものだった。
「そうそう! それを交互に!」
芦田さんの指示が飛ぶ。
いわゆる『8ビート』の基本パターンだ。
手と足がバラバラの動きをするため初心者が最初にぶつかる壁である。
頭では分かっていても身体がついていかずどうしても手足が釣られて同じ動きをしてしまうのが常だ。
特に利き手と利き足は連動しやすい。右手を動かせば右足も動きたがる。
これを分離して制御するにはそれなりの反復練習が必要となるはずだった。
「えっと……こうかな?」
真琴は眉をひそめながらゆっくりと確認するように叩き始める。
最初はぎこちなかった。
リズムもヨレていたし叩く強さもバラバラだ。
だが数分もしないうちに変化が訪れる。
「……なんとなく分かってきたかも」
真琴の瞳に光が宿る。
次の瞬間彼女の身体から無駄な力が抜けた。
チッチッチッチッ……というハイハットの刻みが安定しそこにバスドラムとスネアが的確に落ちていく。
テンポキープもしっかりしている。
「マジすか」
芦田さんが目を丸くして呟く。俺も内心で舌を巻いていた。
まるで自転車に乗れるようになった瞬間のように一度コツを掴んだ彼女は水を得た魚のようにリズムを刻み続ける。
「……へえー、真琴ちゃん。適性ありそうだね」
義母がスウーッと目を細める。
義母は才能に対する感度が鋭い。安定してライブハウスを経営できているのも、義母が持つ人材の適材適所や職場の適合性をひと目で見抜く才あってこそだ。
「義母さん、仕事スイッチ入ってない?」
「おっと、失礼」
俺は驚いていた。
義母のスイッチは忖度なしの本気状態。普段は明るく優しい義母だが、ライブハウスでライブをするバンドのテストではかなり厳しく審査する。
故にお客さんからは「バンドの質が高い」「前は下手だったバンドが見違えるほど良くなった」「ここにくると誰かには必ず刺さる曲が聴けるよ」など信頼されている。
話を真琴に戻そう。
前世で多くのミュージシャンを見てきた。真琴と同程度の早さで成長する人間はそれなりにいた。
(正直なところ、今はまだそれなり……特筆すべき点は音感と目がいいところか)
「次はフィルイン入れてみようか! 4小節に一回『タタタタン』って感じで!」
芦田さんが新しい課題を出す。
一定のリズムパターンを崩してアクセントを入れる。
ここでも初心者はリズムを見失いがちだ。
叩く場所が移動するため身体のバランスが崩れやすくテンポが走ったりもたついたりする。
だが真琴は芦田さんの実演を一度見ただけで見よう見まねで食らいついていく。
「タタタタン……あ、ちょっと遅れた」
「惜しいっ! もう一回!」
失敗してもどこが悪かったのかを即座に修正してくる。
トライアンドエラーのサイクルが異常に速い。
一時間もしないうちに真琴は簡単な8ビートにシンプルなフィルインを混ぜて叩けるようになってしまった。
教える芦田さんの顔にも驚きと喜びが入り混じっている。
教えがいがあるというのはこういうことだろう。
「じゃあ少し休憩にしよっか」
切りのいいところで芦田さんが声を掛ける。
真琴はスティックを置いて大きく息を吐いた。
額にはうっすらと汗が滲んでいる。
「ふあ~……疲れたけど楽しい!」
「お疲れ様。はいドリンク」
俺はクーラーボックスからスポーツドリンクを取り出し真琴に渡す。
真琴は「ありがとー!」と受け取りゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。
「ぷはーっ! 生き返るー」
芦田さんがタオルで汗を拭きながら俺の隣に来て小声で話しかけてきた。
「在処ちゃん……あの子やばいっすよ。教えたことを砂漠が水吸うみたいに吸収していくっす。たぶん、かなり目がいいっすよ」
「芦田さんもそう思いますか」
「はは、将来が楽しみっす」
芦田さんは苦笑いしているがその目は真剣だった。
プロを目指す彼女から見ても真琴の才能は脅威に映るのだろう。
基礎練習の段階でこれだけの適応力を見せるのだ。
本格的に曲を叩き始めたらどれほどの速度で成長するのか想像もつかない。
スタジオの真ん中では真琴が義母と楽しそうに話している。
義母は「真琴ちゃんカッコよかったよー」と手放しで褒めちぎっている。
親戚のおばちゃんか何かか。
「在処ちゃんもやってみる?」
ふと真琴がスティックを持って俺に手招きをする。
友達と一緒に楽しみたいという純粋な気持ちからの言葉だろう。
俺は一瞬だけ考える。
前世では金を稼ぐために必死で、ギターに限らずドラムやベース、それにキーボードも
今でもときどき動画用にドラムを触っている。技術的な面で言えば、プロとしてやっていくのに遜色ないと義母から太鼓判を押されている。
だが、まだ真琴の前では「ただの友達」でいなければならないのだ。
俺は首を横に振った。
「ううん。私はいいよ。真琴の楽しんでるところを見るのがいいんだ」
「えー? ホントにー?」
「ホントホント」
「そっかあ。じゃ、また今度いっしょにやろうね!」
真琴は少し残念そうにしたがすぐに気を取り直して芦田さんに質問を始めた。
シンバルの高さやスネアの角度について聞いている。
道具への関心も出てきたようだ。
休憩が終わり練習が再開される。
後半はバスドラムのパターンを変えたリズムに挑戦するようだ。
「ドッチードッドッチー」という少し跳ねたようなリズム。
これもまた足の使い方が難しいのだが真琴は数回の試行錯誤であっさりとクリアしてしまった。
「……本当に見てて飽きないな」
俺は腕を組んでその様子を眺める。
原石が磨かれていく過程を見るのは面白い。
それもこれほどの輝きを秘めた原石だ。
何か手助けをしたくなるのがクリエイターの性というものだろう。
その日の練習が終わる頃には真琴は基本的なリズムパターンを三種類ほど習得していた。
スタジオを出る頃には外はすっかり暗くなっていたが真琴の表情は晴れやかだった。
「手足がジンジンするけどすっごく面白かった! 明日も来てもいい?」
「もちろん。芦田さんも大丈夫ですよね?」
「おっけーっすよ」
芦田さんも乗り気だ。
優秀な弟子を持つ師匠の喜びといったところか。
義母が車を回してくる間に俺たちは機材の片付けをする。
真琴はスティックを大切そうにケースにしまっている。
その横顔を見ながら俺は次のステップを考えていた。
基礎練習だけでは飽きが来る。
真琴の集中力ならまだ持ちそうだが音楽は曲を演奏してこそ楽しいものだ。
リズムパターンを単体で叩くのと曲に合わせて叩くのとでは得られる経験値が違う。
曲の構成を理解し展開に合わせて盛り上げを作る。
ドラムはバンドの屋台骨であり指揮者でもある。
その感覚を養うには実践形式が一番だ。
(ちょうどいい曲があったはずだ)
俺の脳内ライブラリを検索する。
比較的初心者向けでノリが良く叩いていて楽しい曲。
BPMは速すぎず遅すぎず。
フィルインもシンプルでキメの分かりやすい曲。
俺が『リンカネ』として動画投稿サイトにアップしている初期の楽曲だ。
その名の通り晴れた日の散歩をイメージしたポップで明るいインストゥルメンタル曲。
ギターのカッティングが主体の爽やかなナンバーでドラムパートも基本的な8ビートがメインだ。
これなら今の真琴でも十分叩けるだろう。
ドラムのマイナスワントラック(ドラムの音だけ抜いた音源)も手元にある。
動画制作用に素材を分けて保存しておいたのが役に立つ。
「よし」
明日の練習メニューが決まった。
「みんな、ほら乗っちゃって。うひー、寒いさむい」
店の前に義母の車が到着する。
俺たちは白い息を吐きながら車へと乗り込んだ。
暖房の効いた車内で真琴はすぐにウトウトし始めた。
(眠くなってきた。俺もまだまだ子供だな)
俺は寄りかかってきた真琴の頭に目をやり、「ふっ」を薄く微笑んだ。
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