Ep.2.0
谷中義和と峰子の長子として生まれた昌行には、三人の弟妹があった。弟二人は義和と峰子と共に家業に勤しみ、妹は派遣社員として勤めに出ているが、四人とも独身で、改築され五階建てとなった谷中ビルで暮らしていた。谷中ビルは、一階がタニナカベーカリー、二階と三階にはテナントが入り、四階・五階は家族の住居に割り当てられていた。
改築されてからの数年の間は順調のように見えていたが、一九九〇年にバブル経済が崩壊すると、その影響は谷中家周辺にも及ぶようになっていた。まず、入っていたテナントが撤退し、家賃収入が途絶えてしまった。この空白期は約二年にも及んだ末に、谷中義和は新規の借り入れを起こし、知人と共同経営のカレーショップを開店させた。カレーショップの業務は、義和の次男・昇が主にあたっていた。しかしながら、バブル経済後の経済停滞期にあって、谷中家の収支が好転するはずもなく、昇は原因不明の体調不良のため、寝込んでしまうようになっていた。このような状況が重なったゆえに、昌行は家族の諸問題からは距離を置きたいと考えるようになっていた。この頃になると、なぜ自分は義和の判断に、その都度反対しなかったのか後悔することが増えてきたのだった。
「じゃあ、これ。お父さんに言われてた十万円ね。昇は最近どうなの」
昌行は準備した封筒を、母の峰子に手渡した。義和はその後寝入ったまま、まだ起きてはいないようだった。
「すまないね。まさかこんなことになるなんて、申し訳ないねえ。ちょっとの間、貸してもらうね。昇も起きられる時には店に立ってもらってるんだけどね」
「そうなのか。まあ、みんな無理しないようにしてよ。じゃあ、悪いけど会社に行ってくるよ」
「時々は昇たちの話を聞いてやってちょうだいね」
「そうだね」
「これ。お昼にでも食べて。今日焼いたパン」
「ありがとう、じゃあ」
昌行が出社すると、待ちかねていたかのように上司の谷津が声をかけた。
「谷中くん、どうしたんだ。こんな日に遅刻だなんて、君らしくないじゃないか」
「いえ、半休取りたいって今朝電話してますけど。その時には何も言われませんでしたが。すいません、何かあったんでしょうか」
「まあいいよ、あとで社長から話があると思うからそのつもりでいてな。私も同席するんでね」
何てこった。何があったって言うんだ。谷津部長の一言を、怪訝な面持ちで昌行は聞いていた。大学院への進学を希望していたため、社会人としてのスタートがおそくなった昌行にとって、このサプライシステムズ社は二か所目の勤務先であった。パソコンメーカーから受託していたユーザーサポートに関する業務を、昌行は谷津の下で取り仕切っていた。このサポート部門は、サプライシステムズ社を、その中核的な業務として支えていたのだった。
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