Todoリストの具現化

「……よし。こんなもんか」


 水越はそう言って、手帳を眺めた。手帳には、今日やることが二、三個書き込まれている。


「やっぱり、新しい手帳にやることを書き込むと、気分がいいな」


 そう呟きながら、今度は手帳をパタンと閉じて表紙を眺める。表紙は、シックな黒い装丁が施されている。シンプルながら使いやすそうだという理由で、水越は本屋でこの手帳を手に取ったのだ。思ったとおり、書き心地も抜群で、フリーページも充実している。これから様々な予定を書き込むのが楽しみだと水越は微笑んだ。


 今は弓波もいないので、ゆっくり過ごすことができそうだ。水越は時計を眺めながらそう思った。時計は朝の八時半を指している。

 弓波は今朝六時に飛び起きるや否や「散歩に行ってくる!」と水越に言い残し、

尻に火がついたウサギのように外に飛び出して行ったのである。

 普段は早起きが苦手なくせに、今日は一体どうしたのだろう。なんだか凄まじいエネルギーを発揮していた気がするな、と水越は思った。弓波が帰ってきたら聞いてみよう、と思いつつ、改めてTodoリストをじっと見てみる。

 Todoリストには


・気になっていた小説の続き読む

・昨日放置してしまった皿洗い

・筋トレ(腕立て伏せ一回)


と書いてあった。正直、どれもTodoリストに書かなくてもよさそうなものばかりだが、それでもちゃんと書けば思考の整理にもなるだろうと思い、書いたまでだった。


 どれからやろうかと考えあぐねていたとき、ふとインターホンが鳴った。宅配でも頼んでいただろうかと思い、玄関のドアを開けるとそこにはスーツを着た女性がかしこまった態度で立っていた。

 日曜なのにスーツを着ているとは、もしかして休日出勤の人だろうか。営業回りでもしているのか? 水越は不思議に思ったが、女性は鋭い目つきで水越に言った。


「私を呼んでくださったのですね。では、失礼します」


 女性はずけずけと玄関に上がり込んできた。


「ちょっ……待ってください!」


 水越は慌てて女性に声をかける。


「いきなりなんなんですかあなたは。営業なら、そう言ってくれれば……」

「いいえ、営業ではありません。あなた、私を呼んでくださったでしょう?」


 困惑している表情の水越をよそに、女性はきっぱりと言い放った。

女性は続けて言う。


「失礼しました。自己紹介がまだでしたね。私は、そうですね……端的にいえば、

貴方の手帳に棲んでいる妖精のようなもの、とでも申しましょうか」

「え……?」


 女性は淡々と、事務的にそう言った。いきなりそう言われても、何が何だか分からない。もしかしたら、この女性は頭がおかしいのではないだろうか。


「悪いのですが、何を言っているのかさっぱり分かりません。これ以上変な行動を

取るのなら、こちらも然るべき対応を取らせていただきます」


 水越はわざと女性に見えるようにスマホを掲げて言った。こうして脅せば、帰ってくれるだろうと期待しての態度である。


「……私にそのような脅しは通じません。スマホをしまっていただけますか」


 しかし女性は怯えるそぶりも見せず、無表情であった。


「……ここで、電話してみせてもいいんですよ」

「えぇ。ご自由にどうぞ」


 怯えるそぶりを見せない女性を、水越はさらに挑発したが、これも無駄だった。

女性は顔色ひとつ変えない。水越は本気だった。


「……いいんですね。本当に、電話しますよ」


 そう言うと、電話アプリを開き110番に電話をした。

その間も、女性は顔色ひとつ変えず、無言で蛇のようにこちらを見つめてきた。

 水越は女性の圧を感じながらも、通話が繋がるのを待った。


 しかし、いくら待っても返事が返ってくることはなかった。


「おかしい。もしかしたら警察も忙しいのか?」

「いえ、私が電波を妨害しているのです」


 水越が首をかしげていると、女性は言った。

それを聞いて、水越は思わず耳を疑う。電波を妨害? 一体何を言っているのだろうか。電波を妨害なんて、ただの一般人ができるわけがない。


「本当です。だから、今警察に電話が繋がらないのが証拠です」


 女性は淡々と言う。水越はなおも表情を変えない女性に驚き、困惑し、戦慄した。

女性はかまわず続ける。


「……これで、理解してもらえたでしょう? 安心してください。貴方に危害は加えません。

では、やることを片付けてしまいましょう。あ、あと敬語は使わなくてもいいです。私は貴方の秘書のようなものですから」


 そう呟いた女性には、有無を言わせない迫力があった。その迫力に気圧され、いつのまにか水越は女性の入室を許可してしまっていた。



       *


「では、まず手始めに。あなたのやることリストを見せていただけますか?」


 女性は、居間に入るなりそう言った。


「……分かった。まぁ、そんなに多くない。二、三個しかないが」


 水越は、黒い手帳を開いて女性に見せる。


「なるほど。小説と、皿洗いと、筋トレですか」


 女性は少し考えてから、口を開いた。


「まずは勢いをつけるために、お皿洗いから始めたらどうでしょう。そこから、筋トレをして、ご褒美に小説を読むという流れはどうですか」

「……確かに、その流れは悪くないかもしれない。じゃあその順番でやってみるか」


 どうやらアドバイスをしてくれたみたいだ。勢いをつけるために、まず着手しやすいタスクから始めるのは確かに理にかなっている。そう思い、水越もそれに同意した。


「よし。じゃあ皿洗いから始めるか」


 水越はそう呟き、台所に向かった。台所の流しには、昨日食べてから下げたままの状態のお皿が放置されていた。


「……昨日からこの状態だったのですか」


 女性は、流しを見つめながらそう言った。


「あぁ。情けないことに、昨日は買い物に行ってから、疲れすぎてそのまま寝てしまってな」


 確かに、昨日は弓波に付き合ってショッピングモールに行ったのだった。帰る頃にはへとへとで、なんとか夕飯を作りはしたが皿を洗う気力まではなかったのだった。


「……なるほど。まぁ、人間誰しもそういうことはあります。あなたは真面目なようですし、これくらいならすぐに片付きそうですね」


 女性は、水越の説明を聞くと、優しい口調でそう言った。この人、最初はキツそうだと思ったが、意外と優しいのか? 水越はそう思った。


「ああ。じゃあ、始めるぞ」


 水越は手際良く皿を洗っていく。その間も、女性はじっと水越を見つめていた。


「……あの、見られてると気になるんだが……」


 水越は言いにくそうに、女性に小声で言った。


「すみません。ですが、私ども妖精は、主がやるべきことを終えるまで監視しなくてはいけないという決まりがあるのです」


 女性はそう言った。顔こそ無表情だが、声音は少し申し訳なさそうである。


「……なるほど。監視せずに、他のことをやったとしたらどうなるんだ?」

「別に、罰則などはありませんが。上司から怒られる程度です」


 女性は、水越の質問にも淡々と返した。妖精の世界にも、規則や上司とかの概念があるんだな。水越は皿をすすぎながら思った。


「まぁ、リストを書いたのにも関わらず、タスクをやらない人間もいます。そういう人をやる気にさせるためにも、監視は必要です」


 女性はため息をつきながらそう言った。リストを書いたのにタスクをやらない人間か。水越の頭には同居人の姿が思い浮かんでいた。まぁ、あいつの場合はそもそもリストすらも書かないかもしれないが。


「……終わったぞ」


 女性と話をしていたら、いつの間にか皿洗いは終わっていた。誰かと話をしていると、やっていることにそれほど意識が向かないためか、作業も早く終わる気がする。


「お疲れ様です。少し休憩しますか?」


 女性は水越の様子をうかがうようにそう尋ねてきた。気遣いもできるし、目つきは少し鋭いが優しい。最初は得体の知れない人だと思っていたが、こうして話してみると少しこの女性の人となりがわかってきたような気がする。水越はそう思った。

まぁ、正確には人ではなく妖精なのだが……。


「そうだな。ここからは少しキツいタスクがあるし、ここで休憩を入れよう」


 水越はそう言うと、ダイニングテーブルの椅子に腰を下ろした。

女性は相変わらず立ったままである。疲れないのだろうか。


「……座らないのか?」

「えぇ。妖精は休息を必要としません」


 女性はきっぱりとそう言った。二人の間に気まずい沈黙が流れる。


「……あ、そうだ。もてなさないのも変な話だよな。コーヒーか、紅茶か

好きなものを飲んでくれ。少しだが、確かお菓子もあったはず–––」


 水越は思い出したように台所へと向かった。


「いえ、大丈夫です。飲食しなくても大丈夫な体なので。妖精はそういう体質なのです」


 女性は再度きっぱりと切り捨てた。二人の間に、二度目の沈黙が流れる。


「……そういうことなら、何も用意しなくていいか。そういえば、あなたは手帳の妖精って言ってたが、そんな奴がいるとは思いもしなかったよ。俺が思っている妖精はもっとこう……羽が生えていて小さい感じを想像してたんだが」


 水越は女性に尋ねる。


「私たちは人間程度の大きさです。羽も生えてないですし、一見すると人間と見間違えるかもしれません」

「……しかし、さっきの電波妨害。あれは、妖精特有の能力なのか?」

「はい。さっきは少々手荒な真似をしてすみません。私たち妖精は、色々な能力が使えるのですよ。電波妨害もそうですし、あとは火を起こしたりとか。まぁ、人間に危害を加えるために能力を使ったりはしませんが」


 女性は水越に言った。しかし水越は反論した。


「でも、さっきは電波妨害をしたじゃないか」

「あれは、信じてもらうために仕方なくやったのです。それに、危害といっても

人間に直接は加えていませんし、命に関わることでもないです」


 女性は淡々と言った。確かにそう言われれば、返す言葉も出ない。


「……はぁ。確かに言われてみれば、電波を妨害しただけだしな。

そういえば、名前を聞いていなかったな。俺は水越だ」

「私は、マルタです」


 女性は、うやうやしくそう自己紹介をした。いい名前だな、と水越は思った。


「さて、マルタ。あなたと話をしたら緊張もほぐれてきたよ。そろそろ筋トレに

取り掛かろう。まずは腕立て伏せだ」

「分かりました」


 水越は、床に四つん這いになって腕立て伏せを始めた。


「頑張ってください。応援することはできますので」


 マルタは、そう言うとフレーフレーと言い始めた。やけに機械的な声だったが。



       *



「よく頑張りましたね」

「はぁ……久しぶりだったから、だいぶ疲れたな……」


 息を切らしている水越を、マルタが労った。


「少し休憩しますか?」

「いや、平気だ。このまま小説を読む」


 そう言うと、水越は自分の部屋に行き、小説を手に取って戻ってきた。


「この小説を読む。短編小説だが、まだ続きがあるんだ」

「なるほど。小説、面白いですよね。私もたまに読みます」

「へぇ……。妖精でも本は読むのか」


 妖精でも小説を読むことはあるのか、と水越は意外に思った。


「えぇ。仕事が終わったら、あとは余暇時間なので」

「なるほどな……」


 水越は相槌を打ちながら、ページをめくった。妖精も、人間と似たような生活形式を持っているんだな、と本を読みながらふと思った。


「ただいま!」


 ふと聞き馴染んだ声が聞こえた。水越は反射的に玄関の方を振り向いた。

そこには同居人の弓波が立っていた。


「あぁ……おかえり、弓波」


 いきなり知らない人がいるとびっくりするだろうかと身構えながら、水越は返事をした。


「誰ですか」

「同居人だ」


 マルタと水越はそう小声で言いあった。


「ねぇねぇ、聞いてよ。さっき散歩してたら、めっちゃカッコいい犬を散歩させてる人がいてさぁ……って、あれ? 誰だよ、その人! お前の彼女か!?」


 弓波は居間にくるなり、二人を指差してそう言った。


「いや、違う! 誤解だ。この人は……えぇと……」


 水越は慌てて否定したが、マルタをどう説明しようか迷った。


「失礼しました。私は、水越さんのやるべきことを終わらせるために来たのです。

びっくりさせてしまい、申し訳ありません」


 マルタはそう言って弓波に深々と頭を下げた。


「はぁ……なんかよくわかんないけど、彼女ではなさそうだな。なーんだ」


 弓波は目をぱちくりと動かすと、ふぅと息をついた。マルタへの興味は削がれたようだ。


「じゃ、俺手を洗ってくるね〜」


 そう言って弓波が洗面所へ消えると、マルタは水越に向き直った。


「なんだか、素直な方のようですね。あなたの同居人は」

「素直と言うか、単純と言うか……。俺はあいつの行動に困っているんだがな」


 水越はそう言って、はぁとため息をついた。


「あいつも帰ってきたことだし、自分の部屋でゆっくりと読むことにするよ」

「はい。それがよろしいかと。よければご一緒しても?」

「……マルタはいいのか? それで」


 いくら妖精とはいえ、マルタも女性だ。俺が変な気を起こすとかは考えないのだろうかと、水越は少し気になった。


「私は妖精ですし、あなたが私に危害を加えそうになっても能力で対処できますよ」

「分かった。好きにしてくれ」


 マルタは表情を崩さずに言った。まぁマルタさんはいい意味で迫力があるし、大丈夫だろう。水越は気を取り直すと、自分の部屋に行った。マルタも勿論ついてきたが。



       *



「……読み終わったぞ」


 水越はそうマルタに告げた。


「素晴らしい。今日のタスクは完了しましたね。では、私はこれでお暇します」


 マルタは少し微笑んだ。かと思えば、マルタの周りを淡い光が包んだ。


「……おい、大丈夫か?」

「えぇ。もう貴方はタスクを完了させたので、私は妖精の国へ帰ります。

再びあなたがTodoリストを書いた時に、また会えるかもしれません。

違う妖精が配属されるかもしれませんが」


 もう会えないのか、と水越は思っていたがどうやらそうでもないらしい。


「……あぁ、俺もまた会いたいよ。マルタさん」


 水越はマルタに微笑んで言った。それをみて、マルタも微笑み返した。


「では、また」

「あぁ。またな」


 二人はさよならの言葉を交わした。やがて、マルタをどんどん光が包み、

やがてマルタは完全にいなくなってしまった。


「おーい何してんの水越。……ってあれ、あの人は?」

「……もう帰ったよ」


 弓波がひょっこり顔を覗かせたが、水越は少し寂しそうに笑うだけだった。

またマルタに会えればいいと、水越はそう思うのだった。




















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ただ駄弁るだけ 翡翠琥珀 @AmberKohaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ