第24話

 目を覚ます。白い天井だった。

 そこが病室であることを桃太はすぐに感じ取った。そして思った。自分はどうしてこんなところにいるのだろう?

 瓜子と共に下校しながら鬼と遭遇したところまでは覚えていた。そこで鬼と出会ったことも。鬼との闘いで真っ二つに引き裂かれ、そして意識を失ったことも。

 あれから自分は死んだのではないか?

 記憶を整理するとそう考えるのが一番しっくりくる。全身を二つに切り裂かれるという体験をして生き残ることは不可能に思えた。仮に生きていたとしても、あの時奪われた腰より下が、戻って来ることはありえないだろう。

 桃太は自分の下半身を確認した。

 驚くべきことに、桃太の下半身はこれまで通りに桃太の身体にあった。太ももや膝、足の指に至るまでが通常通りに付随していて、それらは桃太の意のままに動かすことが出来た。

 さらに驚くべきことに、あれほどの負傷を受けながら桃太の全身には確かな活力があった。大きな負傷を乗り越えた後の苦痛や倦怠といったものは無縁であり、今すぐ竹刀を取って王一郎と稽古が出来るという程だった。

 桃太は混乱した。自分は今どういった状態にあるのだろうか?

 まず桃太は自分の下半身が切り飛ばされたのだという記憶を疑った。あれがすべて夢であり自分がここにいる理由が別の物だとすればとりあえずの説明は付いた。だが鬼と対峙した記憶は明瞭なもので、あれが嘘だとは桃太にはどうしても思えなかった。

 その時だった。

 病室の扉が開かれ、一人の少女が姿を現した。

「桃太っ」

 瓜子だった。瓜子は身を起こす桃太の姿を認めると、声を上げてその胸に飛び込んだ。

 あれからどれくらい時間が経つか分からなかったが、それでも久しぶりに瓜子に触れたような気がした。自分よりも十五センチ程は背の低い瓜子のぬくもりに、それでも桃太は寄りかかりたい気持ちになった。

「瓜子……あの、ぼくはどうなったんだ?」

 桃太が尋ねたのはそれだった。瓜子は目に涙を貯めながら顔を上げ、桃太の顔をじっと見つめると、感極まったような声で言った。

「桃太は鬼に殺されかけたの」

「腰から真っ二つにされて?」

「そう」

 桃太は愕然とした。あの出来事は夢でなく現実に起きたことらしかった。そんな状況から何事もなかったかのように復活している自分の肉体が不思議でならなかった。

「桃太はわたしの為に鬼を追い払ってくれたの。ありがとうね」

「それは良いんだけど……瓜子は不思議に思わないの?」

 尋ねると、瓜子は小さく小首を傾げた。

「不思議って何が?」

「ぼくの身体のことだよ。どうしてあんな目に合った状態から蘇生出来たんだろう?」

「言われてみれば不思議だね」

 瓜子はちょんと頷いて。

「でも桃太が生き返ったの嬉しいから何でも良いよ」

 あっけらかんとそう言った。

「まあそっちの不思議はまたいつか話せば良いんじゃない? 桃太だって自分が生きてたって嬉しさの前では、何で生き返ったのかとかどうでも良いでしょ? 手当をしたお父さんにでも聞けば良いじゃない。わたしは今は桃太が生きていてくれたのが嬉しい」

 そう言って桃太の胸に顔を埋め、頬ずりをする瓜子。言われてみると、そんな気もした。

「じゃあ桃太。わたしそろそろ行くね」

 瓜子は顔をあげて窓の方へと視線をやった。

「実は入っちゃいけないって言われたのに忍び込んで来ちゃったの。そろそろ桃太のお父さんが追っかけてくるころかもしれない。だから窓から逃げるね」

「あ……うん」

「じゃね。桃太」

 そう言って瓜子は窓から外へと消えた。

 窓を乗り越えた後に瓜子が行った挙動は『落下』だった。窓の向こう側の景色の高さや、歩き去る瓜子が見えないことなどからそれは明らかだった。

 思わず桃太は窓辺に歩み寄り外を見た。そこは明らかに二階であり桃太は愕然とした。思わず下を見ると、どのようにしてか無事に着地を果たした瓜子が、手を振りながら地面を走り去っていくところだった。




 桃太は学校へ復帰した。

 奇跡の生還を学校中の子供が驚愕し、そして訝しんだ。千雪など涙を流しながら桃太に縋り付きわんわん泣いた後、「でもなんで生きてるの?」と不躾なことを口にした。

 一番不思議だったのは他でもない桃太だった。真っ二つにされて瓜子に村を引きずり回される桃太の様子を村中の誰もが目撃していた。村人達も桃太が助かるとは思ってはおらず、それ故桃太の復活に皆胡乱な視線を向け時には質問攻めを浴びせかけた。こんな風に。

「おめぇ。なんで生き返ったんだ? おまえの父ちゃんはもしかして妖怪か?」

 桃太は何も言えない。桃太自身どのように自分を救命したのか父に問いかけたことがあったが、父はあくまでも「俺の腕のお陰だ」と答えるだけだった。

「おまえの命は助かったんだ。その理由について詮索する必要なんてどこにもないだろう?」

 それ自体は確かにその通りだと納得することが出来る。何より桃太にとって父は重ね重ね自身の命を救ってくれた大恩人である訳だし、その父が語ろうとしないことを無理に聞き出すことは桃太の本位でない。

 しかしそうもいかない理由があって、それはやはり瓜子に関わっていた。

 失われた自分の片眼球を取り戻す為、瓜子は人魚の捜索を続けていた。金一封を狙って海神の子である人魚を捜索する貧しき村人達よりも、その意思と情熱には強固なものがあった。

 そんな瓜子は、後から桃太に言ったものだ。

「桃太が助かったのって、多分人魚の涙のお陰だよ」

 瓜子は人魚の流す涙にあらゆる傷や病を治癒する力があると信じていた。しかも瓜子は真っ二つになり死にかけた桃太を誰よりも間近に目撃していた。そんな桃太が何の後遺症もなく復活を遂げる為には、何か超常的な現象にでも頼ったと考えるより他はなく、それが行方不明になっている人魚の涙によるものと考えるのは、彼女にとってあまりにも自然な通りだった。

「……ぼくも可能性はあると思うんだけどね」

 桃太は俯いてそう答えるしかなかった。

「覚えてないの?」

「流石にね。ずっと気を失っていたものだから」

「お父さんに聞いてみた?」

「聞いた。でも何も答えてくれないんだ」

 そう答えると、瓜子はこれ以上桃太に質問攻めを浴びせることはなかった。

 桃太の心は揺れていた。父は明らかに何かを隠している。その隠し事の正体が人魚であるという可能性は十分に考えられる。

 それを本当に隠し通したかったのなら、誰の目にも死ぬはずに見える程負傷した桃太を、人魚を用いて治療することは悪手だったはずだ。そうと知りながらそれでも桃太を治療したのは、それは明確に医者として父親としての使命感や責任感、愛情と言ったものが理由だったはずだ。

 ならば桃太の方もそんな父の想いを汲み取り、感謝をして詮索を行わないのが、然るべき振る舞いだと理解している。人魚に会いたくて仕方がないはずの瓜子が、それでも桃太をあまり追及しないのは、桃太のそうした心中を察してのことだろう。

 だが桃太は瓜子のことも助けたかった。

 瓜子の人魚への執着は偏執の域に達していた。鬼に攫われかけるという経験をしてさえ、冬の川を渡って山へ分け入った。『人魚は河童に囲われている』と言い出せば河童の集落に行こうとしたし、『村長の家に閉じ込められている』と言えば窓を割って村長の家に侵入しようとした。

 体の一部を失うという体験が、どれほどのショックなのかは、桃太には完全には理解できない。だとしても、それは周囲の大人達に叩きのめされ、子供達に蔑まれてでも人魚を追い求め続ける程のことなのだろうか?

 何か他に理由があるのではないか?

 そんな疑問をぶつけても、瓜子はすました顔で首を横に振るだけだった。

 瓜子にどんな狙いがあるにしろ、桃太は友達として彼女の前に人魚を連れて来てあげたかった。その為の鍵を父が握っていそうなのは間違いがなかったが、しかし桃太は父のことも裏切ることはできなかった。

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