鬼と海神の巻
第22話
桃太が王一郎の元で稽古を行うのは、週三日月水金の放課後から午後七時前までと定められた。
これが決定するまでは因夫婦と鬼久保夫婦との間の折衝があった。週七日、時間は放課後から夜の十一時まで、日曜は終日という主張をする王一郎は、妻がアタマを叩いて黙らせていた。桃太くんには学業もあるし子供らしく遊ぶ時間も必要でしょうということで、結果的にその時間に決定したのだった。
そもそも王一郎を嫌っているはずの父が稽古を承認したことも、桃太にとっては意外だった。何故許可をしたのか尋ねる桃太に、父はしかめっ面をして言った。
「男なのだから武道の嗜みは不可欠だ。この村にも剣道場はあるが、東京の名門道場と比べやっていることは明らかに児戯だ。まともに剣技を教えられるのが因准尉しかいないのならば、奴に任せるのも致し方あるまい」
どうやら父は王一郎の人格よりも能力を評価して、桃太の剣術の師と認めたらしかった。事実王太郎の剣技は凄まじかった。村では腕利きの討魔師として慕われ、軍にいた頃は『首狩り』と呼ばれ畏怖されていた。桃太にとってもがしゃどくろと対峙する王一郎の勇ましさは記憶に新しいものだった。
それからというもの、桃太の日常には王一郎による剣術の稽古の時間が加わることになった。
決められた曜日になると、桃太は瓜子と共に王一郎のいる彼女の自宅へと帰還する。道中雑談を交わしたり、稽古の時間に遅れない程度の少々の道草を食ったりもする。
稽古はハードワークだった。時間が足りない分質を重視するということで、王一郎は碌な小休止も与えず二時間少々の時間を全力で桃太に動き回らせた。
王一郎は自身の稽古で剣術以外のことを一切教えなかった。東京の道場では礼儀作法や態度や言葉遣いなどへの指導も多く、剣道というよりそちらの習熟を目的に通わされている子供も多かった。しかし王一郎はそう言ったことを一切求めず、許される時間すべてを使って桃太と打ち合った。
「素振りや肉体の鍛錬と言った一人でもできる基礎的なことは、宿題として課しておく。ゆめゆめ、怠らないことだ。貴様は糞真面目だからサボったりはしないだろう」
その合理性ぶりが桃太には心地の良いことでもあった。何よりありがたいのはそれが王一郎とのマンツーマンでの指導ということだった。東京の道場には様々な年代の人物が詰めかけていたが、その気質は主として体育会系で、荒くれ者の割合も少ないものではなかった。大人しい性格の桃太はその人間関係にとにかく苦労したものだったのだ。
「がんばれ桃太ーっ! 今日こそお父さんに勝っちゃえーっ」
庭で行われる訓練に、瓜子は頻繁に見学にやって来た。その度に『良いところを見せよう』という気持ちに駆られる桃太ではあったが、もちろん王一郎と打ち合って勝てる訳もない。肉薄することさえままならない。精々が褒められる姿を見てもらう程度が関の山だった。
「ふふふっ。貴様やはり筋が良いぞ。難度高し秘儀奥義の数々を瞬く間に吸収せしその様まさにスポンジの如し! やはり子供は良いな。教えがいがある。ふはははははっ!」
王一郎はそう言って上機嫌に笑った。極限まで疲弊しながら、桃太の方も自分が強くなるのを実感していた。
ある日桃太は村に一つだけある剣道場へと連れて行かれた。門下生十数人の小さな道場だったが、京弥と宗隆を含む同年代の男子の多くがそこに通っていた。桃太はそこで一番の実力者という中学三年生の男子と試合をさせられた。
その男は身長百七十五センチ、体重など八十キロはありそうな巨漢だった。だが大人とも互角に打ち合うというその男の太刀筋は、桃太にはあまりにも稚拙に見えた。日々桃太を打ちのめす王一郎の剣神の太刀筋と比較すれば、スローモーションの如く感じられた。
あっけなく一本を取った桃太を、やられた本人はもちろん、道場中の大人と子供が驚愕の目で見詰めていた。驚いていないのは王一郎だけだった。腕を組み、あまりにも当然の結果だとばかりに、不敵に微笑むばかりだった。
「流石は討魔師殿のお弟子さんですな。こいつもウチのような小さな道場では望むべくもない秘蔵っ子なんですが、それでもまったく敵わないようです。まったく、いったいどこで見付けて来たんだか」
皮肉交じりに賞賛する道場主に、王一郎は高い哄笑で答えている。見に来ていた瓜子が腕を振りながら笑い、すごいすごいと喜んでいた。強くなったことよりも勝利したことよりも、瓜子に褒められたことが桃太には嬉しかった
確かな手ごたえを伴いつつ、稽古は連日続けられた。
夏休みの間は稽古の時間も延長され、朝から王一郎と打ち合った。稽古のない日は瓜子と川で遊びスイカを食べ笑いあった。
そんな夏も終わり、秋も過ぎ、桃太は明らかに強くなっていった。
あの時果たせなかった小学生大会の全国優勝も、今なら可能だという確たる自負を手に入れていた。それは自信家にはほど遠い桃太には珍しい現象だった。それが願望でも自惚れでもないことが桃太には確信できた。以前の自分と比較して、桃太の剣は何倍も鋭く速く重く柔軟だった。かつての大会で桃太を打ち倒しその後優勝を果たしたあの選手であっても、今の桃太と比較すれば大きな開きがあるように思えた。
相変わらず学校では瓜子以外に友達はおらず、周囲には遠慮しながら過ごしていた。それでも道場での劇的な勝利を目にした京弥や宗隆からは、どこか一目置かれた気配も感じ取っていた。女子からの評判も上がった。特に千雪はますます桃太に絡みつくような視線を向け、その度に桃太は瓜子に向こう脛を蹴り飛ばされ悶絶した。
そんな平和で充実した日々を送っていた、十二月のある日。
桃太は鬼に襲われた。
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