第21話

 がしゃどくろは既に人里近くまで降りて来ていた。

 それを遠くから目視できる程、その妖魔はあまりにも巨大だった。何せ身の丈は二十メートル近くにもなる。山を降りて来るその白い巨体が緑色の木々から飛び出して確認できた。

 それはまさしく巨大な骸骨であり、それ以上でも以下でもない外観だった。東京の小学校の理科室に展示されていた偽物と比べ、生々しさは遥かに上回っている。遠近感も相まって見ていると視覚が混乱しそうになる。

 村人たちの避難が完了していたのもそのお陰だった。がしゃどくろが降りて来るのと逆方向の海沿いまで、人々は村を捨てる覚悟を持って集団で逃げ出しているようだった。

「……ぼく達も逃げた方が良いですよね」

 桃太は呟いた。しかし王一郎は首を横に振った。

「いや。ことこの状況に至っては、我の傍にいた方がかえって安全かも知れぬ。がしゃどくろはもうすぐ傍まで来ているのだからな!」

 瓜子達の家はがしゃどくろが降りている山の山際にあった。ほとんど山中と言っても良いかもしれない。山から妖怪が降りて来ることへの牽制として、討魔師の王一郎がそこに住んでいるのだ。

 がしゃどくろの歩行速度自体は鈍重なものだったが、何せ一歩が大きいので移動速度は相当なものだ。それを王一郎が食い止められれば良いが、それが叶わなければ、今すぐ逃げたところでたちどころに追いつかれ獲物にされるに違いなかった。

「なんで鬼のいる山奥じゃなくて、人里の方に向かってるんだろう」

 瓜子がこんな時でも呑気に小首を傾げた。

「……人間を恨んでいるんじゃないかな? 人間を、というか……王一郎さんを」

 桃太が呟いた。

「何故我が恨まれねばならぬ?」

 王一郎は娘と同じ角度で小首を傾げた。

「いや……だって、遺体を食べたのは鬼ですけど、その遺体を鬼に差し出したのは王一郎さんでしょう?」

「骨にそんなことが分かるものか」

「実際、分かるんだからこっちに来てるんじゃないですか!」

 事実がしゃどくろは人里の方にというよりこの家の方に向けて歩いているかのようだった。両者の距離は既に百メートルに満たず、一歩で十メートル近く歩行するがしゃどくろがここに到達するのは最早秒読みだ。

「……どっちにしろ、やっつけるしかないんじゃない?」

 瓜子が言った。

「相異ない。……迎え撃つのみ!」

 王一郎は腰にぶら下げた日本刀を抜き放った。

「哀れなる妖魔め! 恨みにかられ人里に牙を向けようとするなら、この首狩泡影が両断してくれよう! ……行くぞ!」

 既にがしゃどくろは五十メートル先に迫っていた。雄たけびを上げながら、王一郎はがしゃどくろに向けて走り寄って行く。

「……勝てるのかな?」

 瓜子が言った。

「大丈夫よ。あの人、日本一の救いようのないばかだけど、剣の腕の方も日本一だから」

 瓜子の母は特に心配した様子はなかった。その胆力は流石は瓜子の母と言ったところだった。

「うおおおおおおっ!」

 王一郎は雄たけびをあげてがしゃどくろの方へと襲い掛かった。怨敵の姿を認めたがしゃどくろは、その場にかがみ込み緩慢に腕を動かして王一郎を捕まえようとした。

「甘いっ!」

 その長い腕を飛び越えるのに、王一郎は三メートル以上は垂直に跳躍して見せた。そして軽やかな身のこなしでがしゃどくろの手首に飛び乗ると、そのまま肘、肩という風に飛び移りながら、がしゃどくろの首の骨に向けて刃を振った。

 あっけなく両断された首の骨から、頭蓋骨が落下して地面に転がった。凄まじい音がして、着地した頭蓋骨に大きなヒビが入った。頭部を失ったがしゃどくろの胴体は、首を切られた生身の人間と変わらないような動作でその場で崩れ落ち、倒れ込んだ。

「やったっ」

 瓜子が叫んだ。しかし戦いは終わらなかった。

 アタマを失った胴体はその場で崩れ落ちたが、しかし頭蓋骨の方はまだ生きていた。信じられない程の高所から鮮やかに地面へと着地した王一郎に向け、頭蓋骨はその場でのたうつように転がって襲い掛かる。

「嚙み殺す気だ!」

 桃太は叫んだ。がしゃどくろの頭蓋骨はそれだけで三メートル近いサイズを誇っており、その巨大な口で噛み付かれれば絶命は免れないはずだった。

 しかし王一郎は苦も無くそれを迎え撃つ。

 無造作な腕の振りだけで、がしゃどくろの頭蓋骨はあっさりと縦に両断され、真っ二つになった。刀身よりも大きな物を斬ったようにしか見えなかったが、それは魔術の類ではなく、達人の腕が成せる列記とした剣技であるらしかった。

「造作もないっ!」

 王一郎は高らかに叫ぶと、両断された頭蓋骨が左右に転げる前に、今度は真横に剣と腕を振るった。

 四頭分された頭蓋骨はそれぞれ四方に倒れた。最初微かに震えていた頭蓋骨だったが、王一郎がその内の一つを蹴飛ばすと、観念したように動かなくなった。

 王一郎は刀を鞘に戻すと、不敵な笑みを浮かべながら腕を組んだ。

「ふんっ。噂程にもなかったな」

「お父さんっ。すごいよ!」

 感動したように、瓜子が叫んだ。

「これ、すっごく強い妖怪なんでしょう! それを一人で倒しちゃうなんて……っ」

「ふふん。まあ弱くはなかったな。確かにこれは、並の討魔師では討伐は不可能だろう。しかし我にとっては造作もなき相手に過ぎん。この魔王の手を煩わせるには甚だ役不足よ! フハハハハハハ!」

 桃太もまた感動していた。『役不足』の誤用など気にならない程に、鮮やかに妖怪を退治してのけた王一郎は恰好良かった。

 しかし同時に、桃太は危惧もしていた。

 王一郎の仲間の討魔師は、このがしゃどくろを『単騎撃破は絶望的』と称していたという。確かに二十メートルを超える巨人の首を鮮やかに跳ねるのは、通常の個人の力では不可能に違いない。それを成し遂げた王一郎が規格外だっただけだと、そう理解することも可能ではある。

 しかし……相手は妖怪だ。それも人骨の集合体、すなわち一度死んだ者達なのだ。それはすなわち、脳や心臓のような特定の急所がない。

 確かに首を跳ねられ、頭蓋骨を四等分されることで、一度は動きを止めている。だがそれで安心して良いものなのだろうか?

 興奮した様子で瓜子が王一郎の元へと走り寄って行く。瓜子の母がそれを止める様子はない。

 しかしその時……がしゃどくろの腕が動いた。

 首無しの人骨の腕の身が動いて少女の身体へと伸びていく様は、この世の光景とは思えない程おぞましかった。

「しまったっ」

 王一郎は叫び、脚を停めた瓜子の方へと走り寄った。

 一度動きを止めたがしゃどくろを相手に警戒を怠ったのは、確かに王一郎の油断だった。それでも狙われたのが王一郎自身であったなら、どんなに油断した状況からでも、それを跳ね除けて見せただろう。

 しかし狡猾ながしゃどくろが狙ったのは彼の娘である瓜子だった。彼女には何の心得もなかった。迫り来る死者の腕から瓜子を逃れさせる為に、抜刀を済ませていない王一郎に出来ることは、彼女を突き飛ばして見せることだけだった。

 それによって瓜子は救われた。しかし瓜子を突き飛ばしたがしゃどくろの白い手の平が、王一郎に絡みついた。

「うおおおっ! いだだだだだっ! いだだだだだだっ!」

 あっけなく握り潰されそうになっている王一郎に、妻は瓜子を救出しつつ文句を言った。

「バッカねぇ! 何油断してるのよ!」

「そんなこと言ったって妻よいだだだだだっ! 動かなくなったら倒したと思うであろういだだだだだっ!」

「瓜子を突き飛ばすんじゃなくて、妖怪の腕を切り落とすとかできなかったの? 刀仕舞ってたにしても、居合術とか抜刀術とかあるでしょう!」

「咄嗟のことで間に合わなかったいだだだだだだだっ! 娘を救うことが精一杯だったいだだだだだっ!」

 王一郎は精一杯腕や脚を使って握り潰されるのに抵抗していたが、山を持ち上げるというがしゃどくろの握力は凄まじいものがあるらしい。その顔色はどんどんと青白さを増して行った。

 しかし頭蓋骨を失った胴体の方も、王一郎を握り潰す以上の行動には出てこなかった。どころかその場を立ち上がることもできなかった。脳味噌を持たないただの巨大な人骨ながら、その制御のある程度は頭部に委ねられているのかもしれない。よってそれを失った胴体や手足は、人を握り潰すという単純な動きをするのがやっとなのだ。

 ならば……そこに勝機があるのではないか?

 桃太は握り潰されている王一郎の方に近付いた。そして今にも死にそうな顔で抵抗している王一郎に叫んだ。

「王一郎さん! 刀を!」

「何ぃ?」

「ぼくに刀を投げてください! ぼくは剣道一級だ! きっとがしゃどくろの腕を切り落として、あなたを救います!」

「一級とは立派だな! だが無理に決まっているだろう!」

 王一郎はその整った顔をありえない程捻じ曲げながら痛みに耐えていた。

「でもっ。最早それしか方法は……」

「諦めて死を待つよりマシという訳か! ならば……ええい! 一か八かだ!」

 言いながら、王一郎は腰にぶら下げた刀を肘で弾き飛ばした。

 その刀は見事に桃太の足元へと着地する。桃太は『首狩泡影』と呼ばれている王一郎の刀を持ち上げた。そのずっしりとした重さは竹刀とは比較にならなかった。

 桃太は見様見真似で抜刀すると、恐る恐るがしゃどくろに近付いた。人間の胴体程、いやそれ以上に太いその白い腕の骨に固唾を飲み込むと、桃太は力一杯振りかぶった刀を強く振り落とした。

 しかしそれはあっけなく跳ね返された。鋼鉄を打ったかのような感触があり、桃太の腕は激しい痛みに痺れ、刀を取り落としてしまう。

「……ダメだ。硬すぎる」

 桃太はその場に蹲りそうになりながらつぶやいた。

 骨には傷一つ付いていなかった。全力を込めた桃太の一撃も、がしゃどくろは一顧だにする気配すらなかった。これよりも大きな頭蓋骨を、無造作な腕の振りだけで簡単に四分割してのけていた王一郎の実力は計り知れなかった。そこには無慈悲な程の力量差、すなわち大人と子供の差があった。

 絶望しそうになる桃太の頭上から……王一郎の声が降り注いだ。

「……童よ。悪くない。決して悪くないぞ」

 その声に顔をあげると、王一郎は真摯な瞳で桃太を見詰めていた。

「だが妖魔を恐れるあまり基本が疎かになっている。道場にて身に着けたであろう踏み込みが活かされていない。今の位置から一歩、いや二歩下がって、腕だけでなく全身の力で持って打ってみるのだ」

 落ち着いたその声に、桃太の混乱は解けていった。そうだ。今のは自分の全力を出し切った訳ではない。普段やっていた修練の内、この状況でも活かせること、治せる部分はたくさんある。

 桃太は刀を持ち直すと、王一郎に言われた通り、骨の腕から二歩下がった位置から踏み込みながら打ってみた。腕だけでなく肩、腰まで使うことを意識して、桃太に出来る限りの一撃を人骨に叩きこんだ。

 しかしその一撃はがしゃどくろの腕に微かな傷跡を残すに留まった。再び消沈しそうになる桃太の頭上から、王一郎の声が降り注ぐ。

「格段に良くなったぞ童よ! 今度は狙いを考えるのだ! 肘にある骨と骨の継ぎ目を狙い打て!」

 桃太は王一郎の言われた通りにした。狙いを考えるだけでなく、非常に硬いものを切断するという初めての体験にあたって、二回の失敗を加味した調整を施した。より力強く、よりまっすぐに、よりしなやかに腕を振り落とす。

 それでも刀は弾かれた。しかし、桃太は今度は何も落胆しなかった。

「いいぞ! もう一度だ!」

 桃太は再び刀を振り下ろす。

「もう一度だ!」

 幾度の失敗を加味したその一撃は、今度こそがしゃどくろの腕を両断することに成功した。

 刀が骨を通り抜ける感触と共に、言いようのない達成感が桃太の全身を包み込む。思わずへたり込みそうになる桃太の肩を、瞬時にがしゃどくろの手の平から脱していた王一郎が受け止めた。

「見事だ童よ。我は貴様のことを見くびっていたようだ」

 言いながら、王一郎は桃太から刀を受け取る。

「魔王たる我の瞳は既に、此奴の動きの悉くを見切っている。瞬劇の速さにて細断せしめること造作もない」

 見れば、四分割された頭蓋骨が、かすかに震えながらその場を動いて、一つに繋がり直そうとしていた。しかし王一郎は有言実行をする。あっけなく頭蓋骨は六つに、八つに、数えるのもバカらしくなるほどバラバラに砕かれて行った。

 その隙に動き出そうとした胴体の残された左腕も、今度は王一郎は自由にはさせない。いともたやすく胴体全体を真っ二つに切り裂いたかと思ったら、その四肢をあっけなく切り飛ばしそれぞれをバラバラに切り裂いた。

「……貴様らを制御しているのは集いし怨念。しかし元が人である以上、司令部を頭部に置き、その妖力をそこに集中させるのが自然。そこを切り飛ばせばそうそう胴体など動かせぬと踏んでいたが……少々の妖力は胴体の方にも残していたらしいな」

 王一郎は最早粉々と言って良い程細断されたがしゃどくろを見下ろして不敵に笑った。

「とは言え、これほどバラバラにされてしまっては、復活するのは容易ではあるまい。時間を掛ければ或いは可能だとしても、これほど力の差を見せたのだ。最早戦う気力は残ってはいないだろう」

「それで……これからどうするんですか?」

 桃太が尋ねると、王一郎は今度は油断なく刀を構えたまま。

「この状態で火を付けて火葬するなり土をかけて土葬するなりして、どうにか供養してやれば、死者の溜飲も下がるだろう。そうすればただの人骨の群れに戻るに違いない。そしてその為には人手が必要だ」

「避難してる村の人達を呼んで来るんだね」

 瓜子が言った。

「ごめんねお父さん。わたし、脚を引っ張っちゃったみたいで」

「悪いのは油断したこのトンマよ」

 行って、瓜子の母は王一郎のアタマをはたいた。

「娘を危ない目に合わせて、増してやこんな男の子の手を借りるなんて。まだまだ未熟ね」

「……甘んじて受けよう」

 王一郎は潔く言った。

「ここは我が受け持つ。村人たちを呼んで来てくれ」

「了解!」

 瓜子が元気良く言って、桃太達はその場を走り出した。




 村人たちの協力を得て、残された人骨達をどうにか火葬にすることに成功する。

 未だ微かに震えている人骨達を村人たちは恐れ、気味悪がった。しかし瓜子が平気な顔で、桃太が戦々恐々とそれを火にくべているのを見て、子供に負けじと彼らはその作業に従事した。

 どんなに細切れにされ、抵抗の術を失くしていても、それらが意思を持った悪霊の類であることに違いなかった。危険な作業だったが、村を滅ぼさない為にと臆病な村人たちもこの時ばかりは勇気を出した。

「しかし流石は因さんだねぇ」

 村人の一人が感心したように言った。

「あんな巨大な骨の化け物を倒しちまうなんて……ウチの村の討魔師は達人だっ!」

 その声を聞いて、王一郎は作業の手を止めてまで腕を組み、誇らしげに高笑いをした。

「そうだろうそうだろう! フハハハハハハハハハ!」

「しかしどうしてこんな骨の化け物なんか生まれたんだろうね? 誰かが良からぬことをした所為じゃないのかい? もしそうだとしたら、誰も死ななかったとは言え、本当に許せないねぇ」

「フハっ。ふ、フハハハハハハハハハ!」

 王一郎は作業の手を再開しながら、誤魔化すように高笑いをし続けた。

 日暮れまでにはどうにかその作業は終わり、村人達は解散して行った。

 桃太も家へ帰ろうとした時、背後から瓜子に呼び止められた。

「恰好良かったよ、桃太」

 桃太は苦笑するしかなかった。確かに自分はがしゃどくろの腕を両断してのけたが、しかし王一郎と比べればその手際には雲泥の差があった。到底誇れるようなものではなく、むしろ無様を晒したような気分すらあった。

「まことにあっぱれだ。桃太よ、貴様には剣技の才があるらしい」

 言いながら、王一郎が近づいて来て、桃太の全身をあちこち触れた。

「わ、わわ。何ですか?」

「良い筋肉が付いている。十二歳にしては身の丈もある。順調に成長すれば、屈強な体格を手にしよう」

 王一郎は顎に手を当てながら、桃太の全身を見聞するようにじっと見つめる。

「利発さは申し分ない。精神力の方も……見た目よりはあるらしい。全体としては丙種合格と言ったところか。悪くないぞ」

「いったい何ですか、王一郎さん」

「桃太よ。我が弟子となれ」

 そう言われ、桃太は目を丸くするしかなかった。

「討魔師の跡継ぎとなれ。胸を張り、世間に誇れる素晴らしい職業だ。財も築ける。貴様にはその才能があるのだ。時間を作り、稽古の為に定期的にこの家を訪れよ」

 桃太は口をぽかんと開けた。王一郎の視線は熱を帯びており、桃太が生半可に抵抗をしても意思を曲げそうにはない。隣ではニコニコと嬉しそうに笑いながら、瓜子がこちらを見詰めていた。

 助けを求めるようにして、桃太は瓜子の母の方へと視線をやる。しかし彼女はあっけなく言った。

「いいんじゃない? 私も好きよ、その子」

 大変なことになった。肩を落としながら、桃太はそのことを悟った。

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