第20話
「がしゃどくろ、という妖魔を知っているか?」
王一郎は尋ねる。床に体育座りした瓜子と桃太は顔を合わせて、それぞれに小首を傾げた。
「……埋葬されなかった無数の人骨が寄り集まってできる、巨大な髑髏の怪物だ。その身の丈は十メートルを超え、その力は山をも持ち上げると言われている」
「お父さんは見たことあるの?」
「伝聞だけだ。討魔師の仲間の一人が言うには、単騎での討伐はほぼ絶望的と言える程、圧倒的な実力を持つという。我がそこの鬼に人間の遺体を食わせているのは、それを作り出して鬼にけしかける為だ」
桃太は思わず十兵衛の方を見た。その場で胡坐をかいて話を見守っていた十兵衛は、小さく頷いて露悪的な表情を作った。
「如何にも。俺はその討魔師に毎夜人間の遺骸を食わされている。ただし、骨は残せという命令付きでな。生殺与奪を握られた立場なもんで、大人しく従ってる。でもなきゃあんな薬品臭い死体なんか食えたもんじゃない」
「……どうやってその、がしゃどくろというのを作り出すんですか? そもそも妖怪っていうのは人が創り出せるものなんですか?」
「……まるで逆だ童よ。妖怪が生じるきっかけには必ず人が関わっている。人間とは無関係に自然発生することはない」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。人間の信仰心がきっかけで作り出されるものもいれば、怨念や憎悪などの負の感情が寄り集まって発生する者もいる。意図して人工的に作り出される例もあれば、中には人が妖怪に変化するという例も少なくない」
「……鬼のように、ですか」
「十兵衛から聞いたか? その通り。鬼とは人が変化する妖怪の最たるものだ」
「鬼になる途中の人間は、角が生えたり背丈が伸びたりするんですよね?」
「その通り」
桃太は病院で出会った長身の女性の姿を思い浮かべた。その背丈は三メートルを超す十兵衛には及ばないものの二メートルは越えていて、頭には黒い帽子を被っていた。
あの女性の正体が桃太の思った通りだとして……いくつかの疑問が生じる。一つは何故彼女が輝彦と一緒にいたのか。もう一つは何故父の病院に訪れていたのか。
「……鬼になりそうな人間を、病院で治療する、なんてことはあり得るんですか?」
桃太が尋ねると、瓜子が目を大きくしてこちらに視線を向けて来た。
「治療が行われたケースはある。だが我の知る限り、医学的なアプローチでの治療法は存在しない。呪術的な手法でなら有効な手法が存在するという話もあるが、どれも噂レベルだ。一顧だにする必要はないだろう」
「……そうですか」
桃太が俯くと、瓜子は視線を王一郎の方に戻した。そして質問する。
「それで、がしゃどくろってのはどう作ったら良いの? お父さん」
「さっきも言ったが、がしゃどくろというのは、埋葬されなかった人骨が寄り集まってできるものだ。きちんとした供養がなされずぞんざいに扱われた人骨が怨念を発し、その怨念を媒体として融合し、巨大化する。故に、人間の遺体を大量に手に入れ、葬式を上げず火葬もせず、山奥の同じところに無造作に撒いておけば、それらはやがて結びついてがしゃどくろと化す。……と我は思っている」
その話を聞いて、桃太は薄気味の悪さを覚えた。妖怪を作り出す実験の為に、遺体を火葬せずに山に振りまくというのはおぞましく、罰当たりな行いだった。鬼に立ち向かうという大義名分があるとはいえ、そんなことを実行している王一郎が、桃太には不気味だった。
「骨を供養せずにばらまけば、それらが融合してがしゃどくろになるっていうのは分かったけど……なんで鬼に食べさせる必要があるの?」
「良い質問だ。それこそがこの実験の最たる価値だ」
王一郎は腕を組んで不敵に笑う。
「がしゃどくろは遺体であった自分達をぞんざいに扱った者に恨みを抱き、復讐に訪れるという。では、鬼に遺体を食われ、骨となった魂は誰を恨む?」
「……鬼を恨む、ってお父さんは考えているの?」
「如何にも! 鬼に食われ、鬼の住む山にて振り撒かれた人骨達は、鬼に対する怨念で結びつきがしゃどくろと化し、そして鬼の集落を襲うのだ! そして鬼の集落が滅んでしまえば、この村は救われるというものだ!」
フハハハハハハ、と、王一郎は得意の高笑いを放つ。
「土蜘蛛や大百足を捕獲し言うことを聞くように調教した後、そこの十兵衛と戦わせてみたが、想うような結果は得られなかった。勝つには勝ったが、勝敗はいずれも僅差だった。痩せて弱体化した十兵衛と『良い勝負』をしてしまう妖魔が、どうして鬼の集落全体と戦えようか」
「……ま。一対一なら鬼より強い妖怪なんてざらにいるのは確かだな。しかし鬼は集団性を持つ妖怪だ。鬼の社会全体を相手に勝ち目のある妖怪なんざ存在しない。それは人間と他の動物の関係に似ているな」
十兵衛はぼやくように言った。
「しかしがしゃどくろなら! 村一つ滅ぼしてのけるという伝承も持つがしゃどくろなら! 鬼の集落をも攻め落とすに違いない! いや攻め落とすに至らずとも、僅かでも弱体化すればそこに勝機が生まれるというものだ!」
「……どうやって、その人間の遺体というのを調達していたんですか?」
桃太はそう尋ねるのを抑えきれなかった。
「童にはとうてい話せぬ」
「ぼくの父さんと、何やら怪しげな売り買いをしているという話を、母さんから聞きました。それは関係ありますか?」
父は医者だ。当然、人間の遺体を扱うこともある。それは実験用に寄せられたものだったり、闘病の末亡くなって霊安室に安置されたものだったりするだろう。そして十兵衛は『薬品臭い死体』と言っていた。
「詮索は無用だ、童よ」
王一郎は鼻息を一つ。
「貴様は幼さ故分からぬだろうが……しかし何もかもを知ろうとする者や、知っていることを無暗に話そうとする者は、排斥される運命にある。よって大人の世界にはこのような言葉が存在するのだ。すなわち……見ざる! 聞かざる! 言わざる!」
一つ言う度に目元や耳元、口元を覆って見せる王一郎。
桃太はそれ以上の追及はやめた。
「でも鬼と戦う為に色々考えてるのは立派だよね。やっぱりお父さんはすごいよ」
心底の賞賛を込めた笑顔で、瓜子は言った。
「村の皆はすっかり諦めて、毎年大人しく海神に赤ん坊を差し出してるのにさ。お父さんは鬼を滅ぼすことを諦めていないんでしょう? 尊敬だよ」
「分かってくれるか我が聖姫よ。そうだとも! 人の世は人の手によって守られなければならぬのだ!」
拳を握りしめて、王一郎は力説した。
「人が妖魔を恐れ、妖魔に諂い、顔色を伺って生きる時代は終わる、終わって行かねばならぬ! いや……もうすでにほとんど終わっているのだ! 証拠に……童よ! 貴様が生きた都会では妖魔のことなど噂も聞かなかっただろう?」
そう水を向けられ、桃太は頷いた。東京にいた頃は、鬼や河童を恐れたことはなかったし、またその実在すら信じていなかった。
「ただこの山奥の小村だけが取り残されている……。それではいかぬのだ。人は、人の力で妖魔に立ち向かえるのだ。我は討魔師としてそれを証明したい! そして村を救った英雄となりて、その名声を村が終焉を迎える遠きその日まで轟かせるのだ! フハハハハハハ」
おもむろに立ち上がった王一郎は、胸を張って高笑いを地下室に響かせた。
「すごいよお父さん! 本当に偉い!」
瓜子が立ち上がって拍手をし、そのような父を称えた。
桃太は微かに釈然としない者も感じながらも、瓜子が父を称えるのも分かるような気がしていた。海神に生贄を捧げ続ける現状を良しとせず、鬼と戦う為の相異工夫を凝らすこと自体は、この村に必要な心掛けであるに違いなかった。
しかし同時に……桃太は一つの疑問も感じていた。
海神に頼らず鬼に立ち向かうのは良い。その勇気は賞賛されるべきものだ。
しかしその為に取った王一郎のやり方は、果たして褒められたものなのだろうか?
誰かの死体を粗末に扱うのがいけない……というだけではない。王一郎はがしゃどくろという妖怪を作り出して鬼に対抗しようとしている。だがそのやり方は、結局のところ鬼と言う妖怪に対抗する為に海神という別の妖怪を頼っている村の現状と、本質的には変わらないのではないか?
赤ん坊を生贄にするくらいなら、ホルマリン漬けの死体を活用した方がまだ良い……という感覚は、どうにか理解できる範疇だ。しかし人間の良いように妖怪を操ろうとするのなら、それは海神が生贄を欲するのと同じように、何かしらの代償を伴うのが道理なのではないか?
桃太がそう考えた時、地下室の鉄の扉が開け放たれる音がした。
「あなた! 大変よ!」
瓜子の母だった。青白い顔で、強い足音を立てながら地下室の王一郎に歩み寄る。そして瓜子と桃太の方を訝るような視線で一瞥する。しかしそれどころではないように。
「白い、巨大な骸骨みたいな化け物が、山に現れたの!」
「なんと! それは本当か!」
王一郎は歓喜の表情を浮かべた。
「そうかそうか! 上手く行ったか……。ふふっ、ふはははははっ!」
「何を笑ってらっしゃるの?」
「妻よ! 恐れることはない! それは我らを救うものだ! 鬼を滅ぼすものなのだ!」
「そんなはずはないわ!」
「どうしてそう思う?」
「だってその骸骨……山を降りて来てるんだもの! 人里の方に向かってね!」
それを聞いて、王一郎は血相を変えた。
「お願いあなた! 討魔師として……骸骨から村を救って!」
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