第19話

 その日、桃太は瓜子の自宅へ遊びに行くことになっていた。

 瓜子の自宅は討魔師因王一郎が建てたものというだけあって、村でも指折りの規模の高級住宅だった。村長の屋敷や桃太の自宅には劣るものの、その面積は凡百の家屋とは掛け離れており、地下室までをも有していた。

 場所は山際だった。ほとんど山中と言っても良いかもしれない。討魔師である王一郎がそこに住むことは、山から妖怪が降りて来ることへの牽制として機能していた。それ故に毎朝登校する為に他の子供より遥かに早起きしなければならないことについて、瓜子は日々愚痴を募らせていた。

 「ただいま」「お邪魔します」とそれぞれの挨拶を口にして、二人は瓜子の自宅へと入る。他人の家の匂いを嗅ぎながら廊下を歩いていると、王一郎とすれ違った。

「来たか。童よ」

「……王一郎さん。お邪魔してます」

 桃太が小さく会釈をすると、王一郎は鷹揚な様子で「精々寛いで行くが良い」と告げた後、玄関から家を出て行った。

「出かけるみたいだね」

「そうみたい。……あ」

 言いながら、瓜子は王一郎が出て行った玄関の方へと走って行った。

「どうしたの?」

「地下室の鍵だ!」

 瓜子がそう言って玄関から一本の銀色の鍵を拾い上げる。

「お父さんのポケットから零れ落ちるの、わたし見逃さなかったもんね! やったぁ! これで地下室の探検ができる!」

 言いながら、瓜子は桃太の手を引いた。

「行こうよ桃太! お父さんの地下室が見られるんだよ!」

「秘密の地下室……なんてものがあるって前に言ってたよな。王一郎さん」

 過去の王一郎の発言を思い出しながら、桃太は言った。

「そんなところに入って大丈夫なの? 怒られない?」

「バレなきゃ大丈夫だよ。あのねっ。お父さんの地下室には、妖怪退治の道具がたくさんあるだけじゃなくて、お父さんが研究用に捕まえて来た色んな妖怪が檻の中にいるんだよ! そんなの見たいに決まってるよね!」

 そう言われ、桃太は胸の高まりを禁じ得なかった。捕らわれた妖怪を見に行けるなんて、まともな好奇心があれば惹かれるに決まっている。大人が鍵を掛けてまで入るのを禁じている場所に踏み込むと考えると、臆病風に吹かれないでもなかったが、しかしすっかり行く気になっている瓜子の前で弱虫な自分を晒したくもなかった。

「……そうだね。じゃあ、行ってみようか」

 普段臆病な桃太がそう言ったのも、何かと無茶をやる瓜子と接する内に、知らず知らず影響を受けていたからかもしれない。

「そう来なくっちゃね」

 瓜子は満面の笑みを浮かべて、地下室の方まで桃太の手を引いた。




 地下室の入り口は母屋の裏口から靴を穿いて外に出て、渡り廊下を一つ渡ったところにあった。薄暗い、殺風景な階段を下ったところにある重厚な鉄の扉に、瓜子が鍵を差し込んだ。

「なんだかドキドキして来た……っ」

 瓜子がそう言って目を輝かせている。よっぽど中を見て見たかったらしい。

「行くよ、桃太っ」

「う、うん」

 開け放たれた扉の向こうはやはりというか真っ暗だった。瓜子が手探りで明かりをつけると、想像していたよりも広いその空間が露わになる。冷ややかなコンクリートの壁や天井が広がり、その至るところに、鉄格子の嵌った牢が並んでいた。

「す、すごいっ。すごいすごいすごいっ!」

 瓜子がはしゃぐ。桃太も思わず息を飲んでいた。しかしそれは珍しいものを見た興奮からというより、無数に並んだ牢という情景が持つ恐ろしさ故だった。それが悪しき妖怪の為の牢であることは理解していたが、それでも冷たい鉄格子とその奥の閉塞感に満ちた牢の様子は、本能的な恐怖を呼び起こすものだった。

 牢には空のものも多かったが、いくつかにはおぞましい妖怪が閉じ込められていた。

 ある牢には直径二メートルにもなる巨大な蜘蛛の化け物がいた。その全身には、人間のそれをサッカーボール程に大きくしたような眼球がいくつもはめ込まれていた。

 別の牢には長さが十メートル程にもなりそうな巨大なムカデがいて、細長い全身を狭苦しい牢の内壁に複雑な形で張り付かせていた。

 さらに別の牢にはなんと河童が住んでいた。中には薄汚い風呂釜のようなものが設置されていて、そこに張ってある濁った水の中でふてくされた顔で河童が浸かっていた。青年程の歳恰好のそいつは、桃太達の方を見ると「ぐあらう。あぎゃらぐぎゃらがあぐう」と、縋るような声で何やら言葉を発した。

「……おぞましいな」

 桃太はついそんなことを口にしていた。妖気なる物が存在していると言われれば信じてしまいそうな程、その空間には独特の空気感があった。アイスを丸呑みした時のように体の内側から全身が冷え込み、そこにいるだけで気が触れてしまいそうだった。

 妖怪達はそれぞれの牢の中で体を捩る度に金属が触れあうような激しい音を立てた。鼻をひく付かせると、どの妖怪が発しているのとも付かない、虫の死体が腐ったかのような青臭さを感じた。天井の蛍光は冷ややかで単調でありながらけばけばしい程に明るく、見ているだけで気分を害する程だった。

 そんな中でも、瓜子は怯えた様子も見せずに地下室の奥へと歩いて行った。桃太がそれに続くと、瓜子は一つの牢の前で立ち尽くした。

 地下室の最奥にある牢である。中にいたのは体長三メートルを超えそうな巨大な人型で、狭い牢の中で如何にも窮屈そうに胡坐をかき座り込んでいた。裸の全身はやせ細っていて、胸には肋骨が浮かんでいる。皮膚の色は地下室での暮らしが長いことを思わせる不健康な青白さだった。

 性別がオスであることは、剝き出しの股間に陰茎と睾丸がぶら下がっているのを見るまでもなく、その顔立ちで判別できた。背が異様に高いことを含め、いくつかの点を除けばその姿は痩せた成人男性のそれと変わらなかった。

「……鬼だ」

 瓜子はそう呟いた。その頭上から二対の大きな角が生えていること、そして通常人が持つのと同じ眼球の他に、額に三つ目の眼球を有していることが、瓜子がそう判断した理由だろう。

「……何者だ」

 鬼は低い声でそう言って、瓜子と桃太の方を睨み付けた。

 鬼が喋った、睨み付けて来たというだけで、桃太はその場で尻餅を着きそうな程の恐怖を感じた。大きな口にはやけに鋭い犬歯が生えており、桃太の胴体など簡単に引き裂いてしまいそうだった。その痩せた表情には、桃太達人間に対する底知れない憎悪が滲んでいるかのようだった。

「そっちの女は討魔師の娘だな? 俺を閉じ込めた奴に顔が似ている」

「そうだね。わたしは因瓜子。あなたは鬼さん?」

「……見て分からないか?」

「初めて見るんだもん。確認しなきゃ分かんないよ」

 瓜子は唇を尖らせてそう言った。ごく普通に鬼と会話をしている瓜子が、何か得体の知れない存在に思えた。この子の胆力は常軌を逸していると、桃太は改めてそう感じた。

「如何にも。俺は鬼だ。おまえの父親に捕らえられた」

「お名前は?」

「十兵衛」

「人間みたいな名前だね」

「鬼は皆、生まれた時は人だ」

 十兵衛と名乗った鬼は取るに足らないことのように言った。

「俺が鬼になったのは百年以上も前だ。ある日突然、アタマから小さな角が生え始めたかと思ったら、何か月も掛けて成長して髪の毛で隠せない程になった。その次は体がでかくなり始めた。やがて人里にいられなくなって山奥へと逃げ隠れしている内に、鬼の集落に仲間として迎え入れられて、それからは山で狩りをしたり人間から略奪をしたりして暮らしていた」

 瓜子は自分のアタマに手をやると、何度かそこを撫でてから「ふうん」とこともなげに呟いて、それから十兵衛の方に向き直った。

「どうして自分が鬼になったのか分かる?」

「分からない。仲間に聞いても、鬼になる人間にこれと言った傾向はないそうだ。それまでの身分や暮らし、健康状態なんかとは無関係に、何の予兆もなく『鬼化』は始まる。強いて共通点を挙げるなら、鬼になった奴は皆、周りの人間から『あいつなら鬼になってもおかしくない』と思われるような奴だということらしい」

「何それ?」

「周りから嫌われていたり、憎まれるような奴だってことだ。俺のいた鬼の集落には鈴鹿様という頭領がおられたが、その方がこんなことを仰っていた。鬼になる者自身に鬼になる原因があるのではなくて、周囲からの向けられる憎悪や嫌悪がそいつの中に蓄積して、それがそいつを鬼にするんだってな」

「……そうなのかな?」

「実際のところは誰にも分からん。それにしても、おまえ、話しやすいな」

 そう言うと、十兵衛は痩せこけた顔に、歪ながら笑みのような表情を浮かべて見せた。

「討魔師はしばしば村の重役をここに連れて来て、俺達捕らわれの妖怪を見物させる。そいつらが俺らを見る目は二通り。俺を怖れるか蔑むかだ。しかしおまえはそのどちらでもない」

「捕まってるあなたは怖くないけど、捕まえられてるのはあなたが悪い訳じゃないから、蔑んだりもしないよ」

「捕まっているから蔑まれる訳じゃない。鬼だから蔑まれるんだ」

「どうして?」

「俺も昔は人だったから分かる。人が人以外に接する態度は、怖れるか蔑むかだ。いや、人が人と接する時の態度も、もしかしたらその二つのどちらかなのかもしれない。とは言え、それがただ悪いこととは、俺は思わない」

「なんだか難しいよ」

「そうか? 鬼の世界には子供は滅多にいないから、どういう話し方をしたら良いか分からなくってな」

「もっと簡単な話をしよう。好きな食べ物は?」

「卵焼きと、目刺の炙りだ」

「人間は食べる?」

「食う。鬼だからな。ここに来てからは、ずっと人間の死体ばかりを食べている」

「そうなの? どうやってそれを手に入れるの?」

「討魔師が持って来る。おまえの父親だ」

 十兵衛がそう言った時だった。

 扉が開かれる音が背後からした。驚いた桃太が振り向くと、そこには困り果てた表情の王一郎が立っていた。

「……娘よ。ここには入ってはならぬと言っただろう?」

 言いながら桃太達に近付いて来ると、十兵衛の方を一睨みして、一言。

「何を娘に話した?」

「悪ぃな。あんたが俺にやってるエサのこと、話しちまったよ」

「約束破ってごめんなさい、お父さん。どうしても気になって、入っちゃったの」

 そう言って、瓜子は王一郎にアタマを下げる。

「それで……人間の死体を十兵衛さんに食べさせてるっていうのは、どういうこと?」

 王一郎は深くため息を吐いてから、地下室の床に直接座り込んで、言った。

「すべて話す。その代わり、決して他言するな。……貴様もだ」

 そう言って大きな瞳でぎらりとこちらを見た王一郎に、桃太は直立不動で「はい」と答えるしかなかった。

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