第16話


 はたして、瓜子はすぐに見付かった。

 山道の道路に腰かけて、落ちている石ころを拾っては森へ向かって投げつけていた。一つ投げるごとに「ちぇっ」「ちぇっ」とふてくされたような声でぼやいては、「もー。もぉおおお!」と唇を尖らせて脚をバタつかせた。

「瓜子」

 声をかけると、瓜子は真っ赤にした目を桃太の方へ向けて振り向いた。

「……本当にごめん。ぼくのやり方が間違っていたよ」

「いいよ。わたしも、薄々分かってたことだしさ」

 そう言って瓜子は涙を拭って立ち上がった。

「もうちょっとの間騙されてたかったんだ。だから本当のことを暴いた桃太のことちょっと睨んじゃった。でも良く考えたら桃太何も悪くないもんね」

「……千雪はさ。昔、瓜子と二人で遊んでいた頃は楽しかったって、確かにそう思ってるようなんだ」

 桃太は言う。

 瓜子は目をパチクリとさせ、桃太の話の続きを待ち受けた。

「けれど……瓜子が回りから嫌われるようになってからは、それもできなくなったって。自分が巻き込まれたくないからって。でもそうなってからの暮らしは決して千雪にとって楽しいものじゃないみたいでさ」

 桃太はさとりが口にした千雪の本心を語って聞かせた。瓜子は眉一つ動かさずにそれを聞き終える。すると。

「教えてくれてありがとう」

 そう言って、瓜子は千雪を置いて来た秘密基地の方へと向けて歩きはじめる。

 桃太は黙ってそれに続いた。瓜子もそうすることを知っているようだった。

 秘密基地に戻ると、今尚下側の口で何やら喋り続けるさとりの隣で、耳をふさいで蹲る千雪の姿があった。

「ねぇ千雪」

 瓜子が声をかけると、千雪は全身をびくりと震わせて顔を向ける。

「大丈夫。檻の中にいるさとりは何も怖くないよ。布をかけて遠ざけておけば、いずれ憑依も解けるから。持って行ってあげる」

 そう言って瓜子はさとりの檻に布を被せると、山を数十メートルほど登った場所に檻を置いた。そして戻って来る。

「ここまで離しておけば心を読まれることもないからね。もう安心して」

「……瓜子」

 千雪は涙を拭いながら立ち上がる。

「ごめんね」

「謝ることないでしょ。心の中で何を思ってようとその人の勝手なんだしさ」

「……そうじゃなくて、騙そうとしたこと」

「綾香にやらされたんでしょ。いいよ」

「…………そう。じゃあ、あたしもう行くね」

 そう言って背中を向けて山を降りようとする千雪に、「待って」と瓜子は声をかける。

「ねぇ、わたしね、千雪の中にあるの全部使わせて欲しいの」

「え? 全部? あたしの中の……何を使うの?」

「わたしとの時間とかわたしへの気持ちとか全部。何年間もずっと一緒にいてずっと一緒に遊んで、その時間の間に千雪がわたしに愛情を感じたり感謝したり、そういうことってたくさんあったと思うの。その全部をね、今ここで使わせて欲しいの。その全部を今この一回で全部使うから、一つだけお願いを聞いて欲しいの」

 そう言って千雪の顔をじっと見詰めると、千雪は目を丸くして、しかし小さく頷いた後。

「分かった。いいよ。何?」

 と尋ねて来た。




 山道から、二人の少女が、横たわった冷蔵庫に向けて歩いて来る。

 一人は綾香。現時点での村の子供社会の頂点にある少女だ。

 もう一人は千雪。おどおどと綾香の表情を伺いながら、取り繕うようにして彼女に何やら説明をしている。

「でねっ。上手いこと言いくるめて、瓜子のことをその冷蔵庫の中に入らせたんだ。一分で出すって言っておいたけど、綾香を呼んで来るのにもう三十分以上経ってる。きっと今頃怖くて泣きじゃくってるよ」

「そんなことをしたら、あなたが実は私の仲間のままだってこと、バレちゃうんじゃないの?」

「そうだけど……でも瓜子を騙して何かやらせるのは三度までで良いんでしょ? これがその三回目だから、問題ないかなって」

「それもそうかしらね。しかし本当に酷いことをやらせたものね。真っ暗で身動きの取れない場所に、数時間もいさせたら人間って発狂するんだって。昔は友達だった訳なのに、良くそんなことやれたものだわ」

「いやぁ。だって、今はあたし、綾香ちゃんの友達でしょう?」

 そう言って媚びたような表情を浮かべる千雪。綾香はそこに目もくれもせずに、冷蔵庫へと歩み寄った。

「ここかしら? もしもーし瓜子? 聞こえるかしらー?」

 そう言う綾香だったが、冷蔵庫の中から何の反応もない。

「……本当に中に瓜子がいるの?」

「いるよ? 中から声は全然聞こえないんだよ。扉が分厚すぎるのかもしれないね」

「あっそう? じゃあ、ここらで一回外に出してやってから、種明かしをしましょう。ショックを受けて泣きじゃくる顔が見ものだわね」

 そう言いながら、綾香は冷蔵庫の蓋を開けた。

 中は空だった。

「今だっ」

 そう言って、物陰から飛び出したのは、二人の会話をずっと見守っていた瓜子だった。冷蔵庫の中を覗き込む綾香の身体を、瓜子は力付くで冷蔵庫の中へと叩き込む。

 本気で力比べをしたら勝つのは体格で優る綾香だったろうが、しかし不意打ちが完全にうまく行って綾香を内部に押し込むことに成功した。その隙に、同時に飛び出して来た桃太が冷蔵庫の扉を閉めようとする。

「ちょっと千雪! どういうことなのこれは?」

 焦りに満ちた表情で、綾香は言った。

「まさか……裏切ったんじゃないでしょうね!」

「違うよ。千雪は何も知らない。わたしが外にいるのは桃太に助けられたから。あなたがここにやって来たから、仕返しの為に物陰に隠れてたんだ」

 瓜子は言う。扉を閉めようとする桃太に対し、綾香もまた内側から扉を押して抵抗しようとするが、腕力は桃太が勝っていた。扉の隙間は徐々に小さくなり、やがて完全に閉じてしまうまでもう幾ばくの時間もない。

「ねぇ綾香。どうして満作がわたしを無視はしても、直接はいじめなかったか分かる? 本気で報復を決意したら、わたしが一番強いからだよ」

 言いながら、締まりかけている扉の隙間から、瓜子は挑発するような表情で綾香のことを見詰めた。

「あなたって多分、クラスのボスって器じゃないんだよ。三日くらいしたら助けに来てあげるから、それまで中で泣いてな。そしたらそれでもうチャラにしたげる。それっきりそっちが何もして来なきゃだけどね」

「待ってっ! 許して!」

 綾香は泣き叫ぶようにして言った。

「こんな真っ暗で身動きが取れない中で、何日も閉じ込められたら死んじゃうわ!」

「その時はそれが運命だったってだけ。じゃあね」

 瓜子がそう言い終わるのを待ってから、桃太は力尽くで扉を締め切った。

 これで内部からは扉は開かなくなる。

 これから気が遠くなるような長い時間、綾香は中の暗闇でもがくこともできずにのたうち回り、泣き叫びながら苦しみ抜くのだ。何らかのトラウマを負ってしまうことは想像に難くない。医者にかかるような事態になることも十分に考えられた。

 それを相応しい罰だとか自業自得だとか、そうした表現で言い表すのには抵抗がある。報復の目的があろうとも、意図して誰かの精神を深く傷付けることは明確な悪だ。

 しかし桃太はこの行いに反対しなかった。瓜子のしたいようにやらせたかった。

「じゃあさ千雪。これからあなたはわたし達に捕まえられて、綾香を助けに行けないように夕方まで木に吊るされるってことでね」

 瓜子は千雪にそう言った。

「で、一時間くらいわたし達を説得し続けて、ようやく解放されてから、千雪は綾香を助けに行くのね。それで良い?」

「うん。いいよ。そんな感じで口裏合わせて」

 千雪は頷いた。

「……これからもあたしは綾香の仲間でいると思う。だから表向き、瓜子のことを皆と一緒に無視すると思う。多分、桃太のことも一緒にね」

「うん。それで良いよ」

 桃太も隣で頷いた。それが千雪の生きる道だった。対等な友達として瓜子と共に周りに嫌われているよりも、末端の使いっ走りとしてでも綾香の傍で多数派として生きる。そのどちらが幸せなのか、それは本人にしか決めることはできないし、千雪は自分の選択に疑いを抱いていなかった。

「でもさ……別にあたし、好きで瓜子のこと無視してるんじゃないから」

 千雪はそう言い添えた。

「あたしはこの村の誰のことも好きじゃない。あたしが好きなのはあたしだけだから。だとしてもね、同じ『嫌い』でも綾香に対する『嫌い』より瓜子に対する『嫌い』の方が、『嫌い』の度合いは小さいから。それは本当だよ? だから、綾香にバレないようにこっそり遊べるんなら、また瓜子や桃太と一緒に遊んでも良いかなって、そう思ってるの」

「ものすごくムシの良いこと言うね」

 桃太はそう言って苦笑した。

「……ダメかな?」

 千雪はおずおずとした表情で桃太の顔色を伺う。

「いいや全然。むしろ、なんというか以前より君のことを理解できた分、親しみを感じられる気さえするよ」

 この少女は多分どんな集まりに所属しても下っ端にしか属せないことだろう。気が弱いとか大人しいとかは根本的な問題ではない。芯さえ強く持てば人望は得られる。しかしこの少女は何をされても人を憎むことしかできず、とことんまで自分に包容で、だから何の進歩も成長もない。そうした点を軽蔑され侮られ、淘汰され続けることになるのだ。

 だが誰にでもそんな部分は存在している。誰だって自分一人が可愛いのだ。その自分可愛さを時には覆い隠し時には剝き出しにし、そうしたせめぎ合いの中で得をしたり損をしたりしながら、人間同士は絶妙なバランスを取って営みを形成している。この少女はきっと、少しばかりそれが下手なだけなのだ。

「さっきも言ったとおり、ぼくは君のことを何も軽蔑しないよ。友達になろう」

 そう言って掌を差し出して見せる。そんな桃太の手をぱちくりと見詰めた後で、千雪は微かに頬を染めながら、その手を握りしめた。

「よ、よろしく」

 そうしてはにかんだその表情に、桃太は不思議な愛嬌を感じる。照れた様子の千雪を見て己の頬も赤らもうとした、その時。

「ちぇい」

 背後から瓜子に向こう脛を強めに蹴られ、桃太はその場で悶絶した。

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