第15話

 翌日の日曜日。桃太は昼の一時に、昨日作った秘密基地で瓜子たちと待ち合わせていた。

 昨日の一件で元気がないかと予想していたが、それに反して瓜子は元気そのものだった。いつものように千雪や桃太を振り回してはしゃぎ、笑った。

「昨日さ、京弥の家の牛の腹を裁いてみたんだ」

 遊びの途中で、ふと瓜子がそんなことを千雪に言った。

「そ、そうなんだ。そんなことしたんだね」

「うん。でもビー玉見付けられなかった。すぐに大人に見付かっちゃってさ。騒ぎを聞いてやって来た桃太が、お腹の中探す時間ちょうだいって京弥のお父さんにお願いしてくれたんだけど、ダメでさ」

「そ、そう……」

「うん。ごめんね」

 本気で申し訳なく思っている様子の瓜子に、千雪は引きつらせた表情で「いいよ、いいよ」と口にするばかりだ。

「ねぇ瓜子ってさ。大人から怒られたり、酷い罰を与えられたりすることって、怖くないの?」

 千雪は言う。嫌悪と恐怖が滲み出しそうな表情を、作り笑いで覆ったような顔をしていた。

「怖くない訳ないよ。すごく怖いし嫌だよ」

「……その割には、瓜子って何でもやることない? 昨日のことだってそうだし、あたしの弟が殺される時だって……」

「千雪は大切な友達だもん。千雪の為ならなんだってやるよ」

 瓜子は屈託のない笑みを浮かべている。

「また友達に戻れて嬉しかったもんね。大人に怒られるくらいは全然へーき。またなんか困ったら何でも言ってね。いくらでも助けてあげるから」

「そ、そう。……あ、だったら今度は」

 千雪はその表情にどこか下卑た視線を宿しつつ、何事か口に出そうとした。そこで桃太は。

「そこまでにしよう」

 そう口を挟んだ。

「君はまたどうして、瓜子に何かと酷いことをさせようとするのかな? ヤモリを食べさせたことと言い、牛を殺害させたことと言い、おかしいよ」

「ちょっと桃太。何言ってるの」

 咎めるような声を出したのは瓜子だった。

「別にわたしやらされてないよ。自分がしたくてやったんだよ。本当だよ?」

「でも瓜子。君だってまったくおかしいと思わない訳じゃないんだろう?」

「千雪が何考えてるのかは分かんないけどさ。でも何か事情があるんだよ」

「その事情を聞き出した方が良いと思う。だから、ちょっと持って来たものがあるんだ」

 桃太は秘密基地の大型冷蔵庫の中を開け、中から大きな布に包まれた箱のような物を取り出して、土の上に置いた。

「ねぇ千雪。ちょっとこれを見てくれないかな?」

「え? ……どうして? これは何?」

「良いから。行くよ」

 そう言うと、桃太は自分の目を閉じつつ、片手で瓜子の目を抑えた。

 そしてもう片方の手で……勢い良く箱にかぶさった布を引き剥がす。

 中に入っていたのは、さとりの化け物を入れた檻だった。

 檻は七十センチ四方の立方体のような形をしており、四面が格子となっていて中の異形の姿が外から伺えるはずだった。そしてさとりは目が合った人間に憑依する特性を持っている。この場で目が見えているのは千雪一人だ。

「何これ?」

 千雪は恐怖したような表情を浮かべた。

「これ、妖怪? もしかして……前に瓜子が話してくれたさとりの化け物なんじゃ……」

「きゃーきゃっきゃっきゃっきゃ!」

 さとりの化け物の声がした。

「『何今の声? 気持ち悪い! 妖怪なんて見たくもない! 何で? 何で桃太はこんなものをあたしに見せるの? 何を企んでいるの? あたしはどうなるの?』」

 桃太は瓜子から手を話して目を開けた。

「桃太……」

 瓜子が哀しそうな目で桃太の方を上目遣いに見詰めた。桃太は小さく首を振ると、千雪の方に向き直る。

「『あたしの心が読まれてる! ダメだ! 逃げないと!』」

 さとりは言う。桃太は背を向けようとする千雪の腕を掴んで制止する。

「暴れないでね。いくつかの質問に答えてもらったら、助けてあげるから」

「どうして桃太はウチで捕まえたさとりを持ってるの?」

 瓜子が問う。桃太は答える。

「午前中に王一郎さんに事情を話して、貸してもらえるようにお願いしたんだ」

 随分と渋られたものだったが、瓜子の為だと言ってどうにか説得した。

「じゃあ聞くよ千雪。君さ、瓜子に何か嘘を吐いているよね?」

 そう尋ねると、千雪は目に涙を貯めながら押し黙る。そしてさとりの方を見詰めながら、「やめて……やめて……」と震えた声で懇願した。

「『吐いてる』」

 さとりは答える。

「君は綾香にグループを追放されて瓜子と復縁を申し出たと言っていたよね? あれが嘘なのかな?」

「あああ……。やめてやめて。やめて……っ」

「『そうだよそれが嘘なんだよ。本当は綾香から言われて、瓜子と友達に戻った演技をしていただけなんだ。友達の振りをして瓜子に無茶な命令を聞かせて遊ぼうって言われて、そうしてただけなんだ』

「やめて……やめてよっ!」

 叫ぶ千雪。しかしそれ以上に動揺したのは瓜子だった。その場で崩れ落ちて、凍り付いたような顔で千雪を見詰める。

「う、嘘! 嘘だよね!」

「嘘じゃない。さとりは嘘を吐かない。瓜子、君はそれを良く知っているはずだよ」

 桃太は言う。そして千雪の方を向き直り、さらに問いかける。

「ヤモリを食べさせたのも、ビー玉のことを仄めかして牛を殺させたのも、そういう目的だったんだね」

「『そうだよ。上手く行って本当に良かった。皆をびっくりさせるような無茶苦茶な命令を三つ聞かせなかったら、あたしがリンチされることになっていたから。後一つ命令を聞かせたらあたしは瓜子の友達の振りから解放されて、綾香からも褒めて貰えることになっていたの』」

 千雪は涙を流していた。しかし容赦なくさとりは二つある内の下側の口で喋り続ける。

「『でも牛を殺したのは予想外。京弥の家に殴りこませるとか、糞の中身を調べさせるとか、それだけでも十分笑いものにさせられるはずだったからね。あんなことまでするとはあたしだって思わないよ』」

「……そっか。分かった。ここまでは良いよ。思っていた通りだったから」

 桃太は頷いた。そして続ける。

「ここからが重要な質問。さとりを使ってでも聞き出したかった、君の大切な本心だ」

「『何?』」

「君は本当は、綾香よりも瓜子のことが好きなんじゃないのかな?」

 泣きじゃくっている千雪の瞳が開かれる。

「君の気持ちは良く分かるよ。綾香のようなリーダー格の子に強く出られたら、逆らえないもんな。だから瓜子を騙していたのも本当は嫌々だったんじゃないかなって思うんだけど、そこはどうなの?」

「『嫌々だったよ』」

 さとりは言う。

「『誰かを騙す為に演技し続けるなんて、そんな疲れることないもん。面倒だし、嫌だったよ』」

「そっか。じゃあ、本当は綾香よりも瓜子が好きなんだよね? 綾香には無理矢理従わされているだけで、本当は瓜子と一緒にいたいんだよね?」

 この答えを、さとりを通じて瓜子に聞かせたい。そして桃太自身、それを聞きたい。

 それが桃太の願いだった。

 瓜子はバカじゃない。千雪の様子がおかしいのにはきっと気付いていたはずだった。その上で瓜子は目を瞑って千雪に接してあげていた。それは瓜子の優しさと友情だった。

 しかしそれはいつか必ず裏切られる。すべては罠であり、弄ばれバカにされていただけだと知らされる時が必ず来る。そしてそれはとてつもなく残酷で、瓜子の心をもっとも効果的に傷つける方法で暴露されるだろう。今桃太が瓜子にしていることも十分に残酷に違いないが、その何倍もむごいやり方で、綾香達は瓜子に真実を告げるだろう。

 そうなるくらいなら、桃太は自分の手で真実を暴いてしまった方が良いと考えた。そして千雪の本心を聞かせたかった。卑小な臆病者で瓜子のことを騙していた千雪だが、それでも瓜子のことは本心では好いているのだと、さとりの口から言わせたかった。

 そうでなければ……桃太自身、千雪のことを許せそうになかったからだ。

 しかし。

「『違う』」

 さとりはそう言った。

「『嫌いだよ、瓜子のことなんて』」

 瓜子の顔から完全に表情が失われる。崩れ落ちたままその場で尻餅を着き、虚ろな視線を千雪に向けるばかりだ。

「『誰が好き好んで村一番の嫌われ者と一緒にいたがるの? 瓜子とつるんでたらあたしまで皆から煙たがられて、無視されるじゃん? そんなの嫌に決まってるでしょ! そんなことも分からないでさ、友達でしょ友達でしょって付きまとってくる瓜子のことが……あたしは本当に疎ましかった!』」

 それを聞いて、瓜子はその場をふらりと立ち上がった。

 涙に濡れた顔は真っ赤になっていて、空虚だった顔には悲しみと怒りがない交ぜになっていた。そして桃太の方を睨み付けるような顔で一瞥すると、その場から背を向けて走り出した。

「瓜子! 待って!」

 思わず、桃太はそう口にした。しかし何を待てというのだろう。桃太が暴いたのは残酷極まりない真実であり、嫌がる瓜子にそれを突きつけたに過ぎなかった。いつか瓜子は真実を知らなければならないにしろ、冷静に振舞えば他にもっと傷つくことの少ない方法があるかもしれなかった。

 桃太は己の愚かさを知った。千雪の本心に瓜子に対する愛情が残っていると錯覚し、すべてが自分の思う通りに収まると傲慢にもそう思った。

 それが瓜子を傷付けた。桃太は己の未熟さに打ちひしがれた。

 今すぐにでも瓜子を追い掛けようと千雪の手を離した……その時だった。

「『でも綾香のことも嫌い』」

 さとりは言った。

「『あたしを下っ端の子分みたいに酷く扱う綾香も嫌い。嫌なことをたくさんさせて来るのが嫌い。面倒ごとを押し付けて来るのが嫌い。使いっ走りにするのが嫌い。それを見て助けてくれない他の皆のことも嫌い。嫌い嫌い。全部嫌い』」

 千雪は泣きじゃくっていた。膝を女の子座りの形にさせて、顔を両手にうずめて声を上げて泣きじゃくっていた。

「『お父さんもお母さんも嫌い。家は貧乏であたしが泣いても助けてくれないから。この村のことが全部嫌い。暮らしていて幸せだと思うことなんて何もないから。この世界のことが全部嫌い。何もかもあたしに優しくないから。どうして毎日こんなにつらいの? 苦しいの? 不幸なの? 嫌い嫌い、全部嫌い。大っ嫌い。壊れちゃえ、壊れちゃえ、無くなっちゃえ』」

 桃太は千雪を見下ろして、そしてそのちっぽけな姿に哀れみを覚えた。そしてその哀れみの中に、蔑みや嘲りと言った感情は混在しなかった。同情と、そしてどうにもならない世界への怒りと憎しみを己の内側でのみ叫び続ける、そうすることによってのみどうにか精神の均衡を保つ千雪への、一抹の共感を桃太は覚えていた。

「『それでも昔は少しはマシだったのに。瓜子と二人だけで遊んでいた頃は平和だったのに。ねぇ、瓜子は何であんなことをしたの? あんなことさえなかったら、あたしはずっと瓜子といられて、今よりはマシな暮らしを送れてたのに! 綾香なんかの子分にならなくて済んだのに!』」

 千雪はますます声を大きくして泣きじゃくり続ける。

「『あんなことをした瓜子が憎い。あんなことをした瓜子が嫌い。昔に戻りたい。瓜子と二人で遊んでたあの頃に!』」

 桃太はもう、千雪のことが見ていられない。

「『昨日は楽しかった。瓜子と桃太と遊んで楽しかった。あたしを使いっ走りにしない対等な相手と遊べて楽しかった。後から全部暴露するにしたって、あともう少しだけその楽しさが続くはずだったのに……どうしてこんなことになるの! どうしてこんなことをするの! 許さない桃太! 許さない、許さない許さない……』」

「……ごめんね」

 桃太は千雪から視線を反らしたまま、ぽつりと言った。

「ぼくは君を軽蔑しないよ。……酷いことをして本当にごめん」

 そう言い残し、桃太は千雪を残して瓜子のことを追い掛けた。

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