第13話

 どうやら自分達はこれからは仲良し三人組という体裁を取るようだった。授業が始まってからの休み時間も、瓜子は桃太と千雪に均等に話しかけ三人での遊びを提案した。

 桃太と千雪の二人は最初こそぎこちなかったが、しかし両者共に控えめなタイプの性格だったこともあり、馴れるのに時間はかからなかった。言動のペースや気の強さの程度が一致していた為、互いに警戒心を抱きづらかった。

「なんか、桃太君って意外と話しやすいよね。あたしみたいなどんくさいのと違って何でもできる子なのに、なんでか親しみが持てるっていうか」

 千雪は言って、桃太に好意的な視線を向けた。

 思えば東京にいた頃親しかった女子はたいていこのタイプだった。よって桃太は現状についてもどうにか適応は可能と言う認識を持った。千雪のことも少しずつ良いところを見付けて好きになって行けば良いと感じた。

 やがて放課後が近づいて来たある休み時間のことだった。

 桃太の机の隣の壁に、一匹のヤモリが現れた。小さく柔らかな四肢を動かして壁を這いまわるその姿と、虚ろな両眼と時折突き出される舌の様子に、桃太は強力な嫌悪感を覚えた。

「苦手なん?」

 青ざめた桃太に気付いた瓜子は穏やかな声でそう言った。

「……まあね」

 こんなのが次の授業中も隣の壁を這うことになると思うとぞっとした。雑菌に塗れたその汚らわしい身体で足元を這いまわられることを想像と鳥肌が立った。増して上履きでそれを踏みつけてしまったらと思うと意識が遠のくようだった。

「男の子でそういうの珍しいよね。だいたい皆無神経に触ったり引きちぎったりするのに」

 千雪が言った。バカにしているのではなく、その表情にはむしろ共感と親しみが込められていた。

「捕まえたげる」

 そう言うなり、瓜子はあっさりとヤモリを素手で捕まえてしまった。その手つきは洗練されており、山や森に分け入って遊ぶ中で、何匹ものヤモリやトカゲを捕まえて来たことを想像させた。

「あ、ありがとう」

 男の癖に女子にヤモリから守ってもらうという情けなさに赤面しつつ、桃太は感謝を口にした。心底からありがたいのは言うまでもない。

「瓜子ってこういうの平気だよねぇ。あたし無理だなぁ。桃太と一緒」

 千雪は言って粘ついた視線で桃太の方を見た。瓜子は無邪気に笑いながら、ヤモリを掌の上に這わせて遊び始める。

「小さいし弱いし、怖い要素何もないじゃん。お父さんなんかね、ナムールにいた頃は、ネズミとかトカゲとか捕まえて食べてたんだって」

 戦時中ならではのおぞましいエピソードである。己の指先を舐めさせるという桃太から見れば倒錯的な振る舞いに興じる瓜子に、ふと千雪が言った。

「そうなの? すごいなあ。じゃあ瓜子、そのヤモリ、食べてみてよ」

 桃太は目を丸くして硬直し、言った。

「ちょっと。何その冗談……」

 しかし千雪の表情は本気だった。どういう訳か縋るような面持ちで、千雪は瓜子の方を見詰め懇願するように続けた。

「本当に食べられるのか試して欲しいの。気になってしょうがないから、お願い、瓜子」

「……可哀そうじゃないかな?」

 瓜子はおだやかな表情を浮かべて言った。

「でも食べるとこ見てみたいし。ね、お願い」

「なんか変だよ、千雪」

「そんなことないよ。本当にお願い。あたし達、友達でしょう?」

 そう言って両手を合わせる千雪の様子は、どこか焦りを帯びているようだった。

 見れば周囲の生徒達の視線が瓜子たちの方に向けられている。取り巻きと談笑していた綾香が、纏わりつくような陰湿さを帯びてこちらに注がれていた。

「……分かった。いいよ」

 瓜子は言った。桃太は驚愕して瓜子に「やめなよ」と制止を口にする。しかし瓜子はあっけなくヤモリを口へと運んだ。

 教室は静寂に包まれていた。瓜子の小さな口がヤモリの為に大きく開かる。一口に飲み込むことはできず後ろ足から下が露出したが、指先で押し込むようにして校内へと詰め込んでしまった。

 口内で這いまわるヤモリの様子が、肉付きの薄い頬の動きで見て取れるような錯覚を覚え、桃太は眩暈を覚えた。瓜子はもごもごと口を動かすとあっさりとヤモリを咀嚼せしめ、ごくんと飲み込むと簡素な感想を口にした。

「苦くてまずい」

 教室から笑い声が沸いた。しかしそれは明るく甲高い笑い声と言うよりも、暗い歓びを称えたような静かな忍び笑いだった。

 桃太は千雪の方を見る。その表情は、安堵を帯びた媚び諂いの笑みだった。




 そんなことがあった後も、瓜子と千雪の様子は殊更に変わらなかった。

 ブランクを伴いつつも、二人には確かに確立された二人のペースというものがあった。放課後、人魚を探す為と言いながら山中に分け入り川原へ向かいつつも、すぐに二人は無関係の遊びを始めた。

 水切りや秘密基地作りなど、山中や川原でできる遊びを三人は堪能しつくした。これは桃太も十分に楽しむことが出来た。千雪に対する不信感も一時忘れてしまうほど、土曜日の放課後の遊びの時間というのは小学生にとって甘美なものだった。

 特に面白かったのは秘密基地作りだった。山の中には壊れた冷蔵庫などの大型家電が不法投棄されている一角があった。そこを秘密基地にしようと言い出した瓜子に従い、投棄物の配置を動かすなどして『秘密基地』と呼べるだけの空間を拵えた。

「この冷蔵庫、中に入ったらどうなるかな?」

 瓜子はふとそんなことを言い出した。

「危ないんじゃないかな? 出られなくなるかも」

「万一の時は外から助けてよ。じゃ、入るね」

 などと言い、横たわった冷蔵庫の扉を開けて、中へ這い入る瓜子。業務用らしい巨大な冷蔵庫は、少女の肉体を簡単に収納してしまった。

「ドア閉めて」

 好奇心が旺盛で怖いもの知らず。瓜子にはそう言った子供らしさがある。

 桃太は躊躇したが言われたとおりにした。

 その後一分が過ぎ、二分が過ぎる内に、桃太は不安になって来た。中から全く声がしないので、瓜子がどこかに消えてしまったような錯覚を覚えたのだ。

「瓜子。大丈夫? 中はどんな感じ?」

 そう尋ねてみるが、返事は一切ない。

「これ、助けた方が良いんじゃ……」

 千雪が言う。桃太が冷蔵庫のドアを開けると、瓜子が真っ青な顔で這い出して来た。

「なんで出してくれないのっ? 助けてって言ってるじゃんっ」

 瓜子は珍しく取り乱した様子だった。顔が青いだけでなく、目は充血して涙ぐんでいる。余程中が怖かったらしいことが見て取れた。

「ごめんね。外からは何も聞こえなくってさ」

「そっか。じゃあ桃太悪くないね。すっごく危ないねこれ」

「うん。危ないね」

「もう二度と入らないもんねっ。身動き取れないし暗いしで、すっごく怖かったっ!」

 言いながら桃太の胸に縋り付く瓜子。この胆力の申し子のような少女をここまで怯えさせるあたり、内部の暗闇と閉塞感は相当のもののようだった。

 やがて日も傾き、そろそろ帰ることも検討する必要が生じ始めた頃、瓜子がふと言い出した。

「ひさしぶりにさ。これ、やろうよ」

 瓜子は自宅からビー玉を持って来ていた。昔のように千雪とこれで遊びたい、桃太も一緒にどう、ということだった。桃太に断る理由はなく、三人は冷蔵庫の上に置いたビー玉を転がし取り合う遊びを始めた。

「懐かしいね。千雪ってこれすごく上手いんだよ」

 けらけら笑いながら心底幸せそうにビー玉をはじく瓜子。

「昔すごくたくさんビー玉持ってたよね? それまだ持ってる?」

 瓜子に尋ねられ、「ああ、それなら……」と言った後、千雪は少しの間口ごもった。

 桃太はそこに一瞬の違和感を覚えたが、しかし千雪はすぐに沈んだ表情になって。

「実はあれ、もうなくなっちゃったんだ」

「え? そうなの?」

 瓜子は目を丸くして、心配そうな表情で千雪を覗き込んだ。

「あれ千雪の宝物だったじゃん。どうしたの?」

「京弥の奴にね、その、盗られちゃって」

「何それ!」

 その場から立ち上がって憤慨した様子で瓜子は言った。

「それっていつのこと?」

「え? ……いつ? う、うん。それがその、昨日なの」

「昨日? じゃ、絶対まだ持ってる訳ね。いいよ、今すぐ取り返しに行こう」

 そう言って息巻く瓜子の勇敢さと友情とに、桃太は憧憬を覚える。友達が理不尽な目に合う際はただちに立ち上がるという瓜子の気質に、桃太は好ましい喜びを感じた。

「うーん。気持ちは嬉しいんだけど、でも取り返すのは無理かもしれないよ」

 千雪は言う。

「なんで?」

「京弥の奴、家で飼ってる牛に食わせたって言ってたから」

「牛がビー玉食べる訳ないじゃん。絶対ウソだよ」

 瓜子は唇を尖らせて言った。

「……え、あ、でも。実際に食べさせるとこ、あたし見さされたし」

 千雪は言った。さっきと言うことが不自然に変わったことは明らかだったが、しかし瓜子はそこに頓着することはなく。

「本当?」

「うん、餌に混ぜたら簡単に食べるみたい。ほら、牛って口、大きいから」

「本当に本当?」

「本当だよ! 瓜子は、友達を疑うっていうの?」

 いぶかしむような目をする瓜子に、千雪の答えはそうだった。すると瓜子ははっとした表情で。

「そうだね。ごめん。千雪が見たんなら本当なんだろうね」

「ううん。気にしないで。……流石の瓜子でも、牛が食べちゃったものを盗り返すのは……無理かな?」

 そう言って千雪は媚びるような挑戦するような目で瓜子の方を見る。その瞳に何か奸悪な気配のようなものを、桃太は感じ取った。しかしそれをどう口にして良いのかを桃太には分からなかった。

「京弥の奴叩きのめして弁償させりゃ良いじゃん。駄菓子屋に売ってるんだからさ」

「でも思い出の品物だから、同じものを弁償してもらっても意味がないの。ほら、昔瓜子ちゃんとあれでたくさん一緒に遊んだでしょう?」

「……そうだね。どうしようか。うーん……」

 そう言って小首を傾げ始めた瓜子の真剣な表情に、桃太は何かぞっとするものを感じた。それは悪い予感としか言いようのない漠然とした危機感だった。

「きょ、今日はもう遅いし、帰ろうよ」

 桃太はとにかくこの場を終わらせることにした。そして常識的なアドバイスをする。

「だいたい物を取った取られたのトラブルなんてさ、子供だけじゃ解決できないでしょ。それぞれの親に相談してさ、どう解決するか一緒に考えるべきだと僕は思うな」

「……そうかな?」

「そうだよ。とにかく暗くなる前に家に帰ろう。ね?」

 実際、もう夜はすぐそこに来ていた。そろそろ帰って勉強を始めなければ本格的に叱られる頃だった。

「……桃太が言うんなら」

 瓜子はそう言って自分のビー玉を片付けて立ち上がった。

「でも、京弥のことはわたし、絶対に許さないんだからね。絶対何とかして見せるから、千雪、安心してね」

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